FOSSコミュニティによく似た、学術分野における「オープンアクセス運動」

 FOSS(フリー/オープンソースソフトウェア)は、学術的な自由という理念と、何ものにも妨げられることのない情報交換という理念とに端を発するものであり、もともと学界からの影響を色濃く受けた考え方だが、この5年間に渡り逆にFOSSから学界に影響を与えているという。FOSSは今や、学界における「オープンアクセス運動」のモデルにもなっているのだという。オープンアクセス運動は、研究者に対しても一般大衆に対しても学術的な資料を制限なく閲覧可能にすることを促進することを目的とした運動だ。

 民主的ですべての人に優しい改革を社会のあらゆるレベルにおいて促進することを目的とする私設財団Open Society Instituteでオープンアクセス運動のプログラムマネージャを務めるMelissa Hagemann氏は、「考え方が非常によく似ているため、オープンソースの成功を知って以来、オープンソースはわれわれのお手本になっている」という。オープンアクセスがFOSSに似ているのは考え方だけではない。その他にも共通点として、それぞれの運動の歴史、新たなビジネスモデルを構築する必要性、ユーザの権利向上の実現、発展途上国における影響、それぞれの運動に対する抵抗勢力の存在などがある。

 オープンアクセス運動が可能になったのは、すべての人々が情報にアクセスすることのできる機会がインターネット文化のおかげで増えたためだ。とは言えオープンアクセス運動が誕生するきっかけとなったのは、第二次世界大戦以降存在している学術誌の出版が置かれた状況だ。ブリティッシュコロンビア大学教育学部言語教育学科のJohn Willinsky教授によると、この60年の間に学術誌の出版は、大学や学会に託されるのではなく、商業化されるようになってきたのだという。――これは、1980年代初期のソフトウェアのコモディティ化にそっくりの状況変化だ。Willinsky教授によると「このような変化は両刃の剣だった。出版の機会は増えたが、コストがかかるため流通の機会は減った」とのことだ。

 学術出版は少数の企業にほぼ独占されるようになったうえ、講読料も高騰し、10年足らずで400%も上昇した。そしてこのような高騰の結果、「定期刊行物の危機」として知られている状況が生まれた。講読料の上昇にともなって、経済状況の厳しい学術機関は購読を継続すべき学会誌の取捨選択を頻繁に行なわなければならなくなった。そしてその結果として図書館の書架から学会誌が消えていけば、図書館に学会誌が揃っていないとして、その図書館が付属している学術機関の評判に直接的な打撃を与える可能性もある。さらに言えば、大手の学術出版社はそれでも複数の学会誌をバンドル販売することができるので、「定期刊行物の危機」のために入手が困難になるのは小規模な出版社の学会誌や独立系の出版社の学会誌であることが多い。

 「定期刊行物の危機」は特に、学会誌のための予算が北米やヨーロッパよりもさらに厳しい状況である発展途上国において深刻だ。発展途上国では、プロプライエタリのソフトウェアで技術インフラを構築することが経済的に困難であるのとまったく同様に、自国の研究者たちが国際的な研究者コミュニティに余すところなく参加することを支援することが経済的に困難となっている。

オープンアクセスの創設

 2001年頃になると、以上のような問題の解決手段として、いくつかの学術グループがインターネットに注目し始めた。2001年12月、そのようなグループを代表する13名がブダペストに集まり、組織を作り、Budapest Open Access Initiative(ブダペスト・オープンアクセス運動)と呼ばれる文書を作成した。この文書は「かつてない公益を実現するため、古き良き伝統と新たな技術とが融合した」という文から始まるもので、すべての学術記事をオンラインで閲覧可能にすることを呼び掛けている。その後2003年4月にBethesda Statement on Open Access Publishing(オープンアクセス出版に関するベセズダ声明)が、そして2003年10月にはBerlin Declaration on Open Access to Knowledge in the Sciences and Humanities(自然科学と人文科学の知識に対するオープンアクセスについてのベルリン宣言)が発表された。どちらもオープンアクセスを実現する方法を提案するものだ。以上の3つの声明は、まとめて「BBB宣言」としても知られているものであり、オープンアクセスの発展において実際的な面と哲学的な面における基礎となっている。

 FOSSの場合と同様に、オープンアクセスに対する当初の反応は嘲笑的なものだった。『ブダペスト・オープンアクセス運動』の最初の署名者の一人であるHagemann氏は「人々はわれわれのことを笑っていた。私は様々な国においてプレゼンテーションを行なったが、プレゼンテーションでは嘲笑の声が聞かれた」という。当初、オープンアクセス運動の代表者たちは学協会出版社協会(ALPSP)のメンバーになることさえ一苦労した。ALPSPはオープンアクセスを痛烈に非難する声明まで発表していたのだ。またFOSSの場合とちょうど同じようにそのような非難には、オープンアクセスにはビジネスモデルが存在せず、持続不可能であるという点が含まれていた。その他の非難には、オープンアクセスは結局のところ自費出版に等しいものになるという点や、ピアレビューされなくなるという点も含まれていたが、実際にはどちらも根拠のない非難であることが明らかになっている。

 もう一つFOSSに似ている点として、オープンアクセスが広がるにつれて、抵抗勢力が政府に対するロビー活動を拡大し、訴訟の脅迫が行なわれるケースまで出てきたということがある。Hagemann氏によると、例えば米国立衛生研究所は、出版社のロビー活動グループの主張に従う上院/下院議員の介入の結果、オープンアクセスの導入を延期したとのことだ。また同様にHagemann氏によると米国出版社協会は最近、オープンアクセスに反対するキャンペーン活動を行なうためにワシントンのロビイストを採用したという。

 トロント大学の上級講師であり、オンライン出版社Bioline創設者の一人であり、『ブダペスト・オープンアクセス運動』の最初の署名者でもあるLeslie Chan氏は、「人々はわれわれのことを笑っていたが、今ではわれわれのことを非常に真剣に受け取っていて、政治的に対抗しようと活動している」という。Chan氏は、FOSS界でもよく引き合いに出されるガンジーの言葉を述べた。「彼等はまず無視し、次にあざ笑い、次に挑みかかってくるだろう。そしてわれわれが勝つのだ」。

 抵抗勢力に対抗するためオープンアクセスの支持者たちは、患者関連団体、図書館関連団体、その他の関連グループからなる連合体であるAlliance for Taxpayer Access(納税者のためのアクセス同盟)を設立し、公的援助を受けた研究は誰でもが無料で閲覧可能になるべきだと主張している。

コミュニティの構築

 抵抗勢力の存在にも関わらず、研究者の間ではオープンアクセスは加速度的に普及し続けた。Hagemann氏によると中でも画期的な進展となったのは、2004年にオックスフォード大学出版局が、Nucleic Acids Researchの寄稿者の90%がオープンアクセスを支持していることを明らかにしたうえ、論文の閲覧をこれまで通りに制限するかオープンアクセスとして公開するかを寄稿者が選択することのできるハイブリッド・ビジネスモデルに移行すると発表したことだったという。

 Hagemann氏によると、数多くの研究者がこれほど急速にオープンアクセスを支持した主な理由は、「論文は、オンラインで閲覧可能になっている方がより広く行き渡り、論文の引用率が上昇するため」だという。自分以外の他の研究において論文が参照された回数は、学界での成功を測る主な基準の一つであり、論文著者の昇格の際にプラスにもなるため、オープンアクセスには明らかな利点があるのだ。

 またHagemann氏はハイブリッド・ビジネスモデルについて「オープンアクセスへの移行を検討している学会誌にとっては、著者たちの関心度を測ることのできる非常に優れたモデル」だと評価している。なおその後、Nucleic Acids Researchを含む数多くのオックスフォード大学出版局の学会誌がオープンアクセスに移行した。

 Chan氏によると、オープンアクセスのビジネスモデルは他にも出現していて、学会が出版費用を負担するケースもあるという。「そのような学会には、会費や年次総会から得た資金があるので、無料で出版することができる」とのことだ。

 また、研究費用が公的資金によってまかなわれているのだから、研究成果は政府が無料で一般公開するべきだとオープンアクセス支持者が主張しているケースもある。この方針の実現は、米国およびカナダにおいて出版社のロビイストたちによって延期されたものの、現在カナダでは、オープンアクセスの学会誌は政府の資金援助を申請することができるようになっている。Chan氏によると同様にイギリスでは、イギリス政府が研究費を負担する7つの公的研究機関のうちの5つが現在、オープンアクセス出版を検討中とのことだ。

オープンアクセスの成果

 以上に紹介したような様々なモデルは十分うまくいっていて、オープンアクセスの学会誌の数は現在では数千に上っている。FOSSの場合と同様に、オープンアクセスの学会誌の正確な数を把握することはできないが、Willinsky氏によると同氏が創設したFOSSベースのプロジェクトであるOpen Journal Systemsは現在では世界中の1,000を越える学会誌で利用されているという。さらに言えば、少なくとも一社、すなわちニューヨークとカイロを拠点とするHindawi Publishing Corporationという出版社が現在、すべて完全にオープンアクセスである学会誌を80誌以上発行していて、オープンアクセスの持続可能性についての疑問を反駁する強力な実証例となっている。

 オープンアクセスは、著作権やライセンスの問題を研究者たちに対して啓蒙するという、また別の分野においても成功している。学術論文の著者がよく考えずにそのすべての権利を出版社に署名のうえ譲り渡してしまうことはよくあり、その結果、自らの著作物を自らが再配布することができない状態に置かれている。このことに関してWillinsky氏は「学会誌の大半は、不必要に著作権を要求していると思う。実際に問題となるのは、最初に出版する権利だけだからだ」と述べている。現在、Chan氏を含むオープンアクセスの支持者は、著者に対して論文をクリエイティブ・コモンズのAttribution(帰属)ライセンスの下で公開するか、あるいは少なくとも、自らの論文をオンラインで保管する権利を残すよう出版契約を変更することを推奨している。

 さらにWillinsky氏は、オープンアクセスは、現在ますます高まっている学術的な情報に対する一般大衆からの要求に答えるものだという点を指摘した。例えばWillinsky氏自身の研究について言えば、公認マッサージ療法士たちが非常に関心を寄せていて、概要だけでなく、彼らの仕事に関連する論文の本文全文を読むことができることを希望していることが分かってきたのだという。さらに、教師やアマチュア天文学者からも同様の関心が寄せられているという。またおそらくもっとも大きな影響があることとして、ピュー財団が現在進めているInternet and American Life Projectにおいて、医療情報を入手したいという一般大衆からの需要の高まりを報告書にまとめているということがある。同プロジェクトではこのトレンドを「健康革命」と呼んでいて、医療を受けている患者自身とその家族が、より豊富な知識で武装し、患者の健康についての意思決定の際により大きな決定権を持つことを要求し始めたとしている。Willinsky氏はこのような変化について、権威者の知識を信用するしか人々に選択肢が与えられていなかった「専門知識の専制政治」を変える可能性のある「民主化の節目」だと表現している。

 とは言え、もっとも大きな成果を見ることができるのはおそらく、オープンアクセスの結果としてこの数年で閲覧可能な学会誌の数がおびただしく増えた、開発途上国においてだろう。Willinsky氏は例として、レゴンにあるガーナ大学を同氏が最近訪れた際に、図書館員が今では19,000以上の学会誌をオンラインで閲覧することができるようになったと言っていたということを挙げた。対照的にほんの2、3年ほど前には、アフリカの多くの図書館では、5、6誌の学会誌しか閲覧できないことが多かったのだという。学会誌を閲覧できないということは、開発途上国の市民が学術的な輪に参加することを妨げる唯一の障害というわけではない――Willinsky氏はその他にも、停電、帯域不足、研究者が仕事をかけ持ちする必要があることなどを挙げた――が、主要な障害であることは間違いない。Willinsky氏は「学会誌が閲覧可能になっていることは必要ではあるが、それが満たされるだけで十分だというわけではない。それでも最初の一歩を踏み出しているということは確かであり、それだけでも大きな成果だ。今後われわれはそれを継続していく必要があると思う」と述べた。

 オープンアクセス運動は、これまでにそのすべての目標を達成したわけではないが、当初多くの人が実現可能と考えていたよりもずっと多くの業績をあげていて、現在もオープンアクセスの考え方を普及させ続けるための方法を探し求めている。最近の大きな事業はGoogle Scholarの設立だ。Google Scholarは、研究者がオンラインになっている学術論文を調べるのを手助けすることを目的としている。

 Chan氏は、学会誌の出版と同様の状況にあることの多い教科書においてもオープンアクセスの考え方を普及させたいと考えている。また同氏は、Global Knowledge Partnershipの次の会合において、NGOやNPOに対してもオープンアクセスを紹介する予定だ。

 オープンアクセスの支持者たちは、以上のような取り組みのすべてにおいてFOSSからインスピレーションを得たと述べている。Chan氏は、そのような因果を考えると「一回りして、また元の場所に戻ってきたのだと感じる。オープンソース運動を生み出したのは、学術コミュニティだった。その後、学界はシェアするという感覚をしばらく見失ってしまっていた。そして今、オープンソースのおかげで、その感覚を取り戻しているように思う」と述べた。

Bruce Byfieldは、Linux.com、IT Manager’s Journalへ定期的に寄稿するコンピュータジャーナリスト。

Linux.com 原文