FOSSと哲学者

 哲学者であり、ソフトウェア開発者であり、FOSS(フリー/オープンソースソフトウェア)運動に強い関心を持っているような自分自身のことを、これまで私は変わり者だと考えていた。しかし先月シカゴで開催されたNA-CAP(North American Computers and Philosophy)コンファレンスに参加したところ、同様の関心を持っている人々が数多く存在することが分かった。

 NA-CAPコンファレンスはロヨラ大学シカゴ校で開催され、GNUの業績で有名なRichard Stallman氏と、学術雑誌のOA(オープン・アクセス)運動翻訳記事)の唱道者で哲学者のPeter Suber氏とによる基調講演が行なわれた。また北米、ヨーロッパ、アフリカの哲学研究者や計算機科学者たちが、シカゴまで足を運んでこのコンファレンスに出席してそれぞれの研究を発表した。

 コンファレンスの参加者は、3日間の開催期間中に40を越える発表を楽しむことができた。コンファレンスのテーマは正式にはFOSSとOAだったが、認知科学や人工知能から、Web 2.0やセマンティック・ウェブ、オンライン授業や研究用ツールまで、幅広いテーマが取り上げてられていた。

 哲学者と計算機科学者――さらには経済学者、法学者、数学者、社会学者もいた――が一堂に会して、主にソフトウェア開発者の専門であると思われるようなテーマについて議論するというのは驚くべきことなのだろうか? コンファレンスの参加者にとっては、そうではなかったようだ。計算機科学が専門のGeorge Thiruvathukal教授は「哲学者たちと計算機科学者たちが同じように、哲学と計算機科学の共通項に関心を寄せているということは印象深い。計算機科学の由来が、他の学問分野(哲学、数学、科学、芸術)にもあるということを考えれば驚くべきことではないが、それでもやはり印象深いことだ」と述べた。

 NA-CAPコンファレンスはIA-CAP(International Association for Computers and Philosophy)の主催で、ロヨラ大学哲学部と同計算機科学部が共同で運営にあたった。なおロヨラ大学計算機科学部は、FOSS研究会のEmerging Technologies Labの本拠地でもある。

 セッションは木曜日の午後、IA-CAP代表のLuciano Floridi氏による開会の辞をもって始まった。開会の辞が終わるとすぐに、FOSSにおける倫理的な論点を集中的に扱った素晴らしい発表が4つ続けて行なわれた。このパネルは多くの意味で、これ以降のコンファレンスの雰囲気を決定付けるものになった。

 例えば、一人は哲学者、もう一人は計算機科学者という組み合わせであるSamir Chopra氏とScott Dexter氏の二人は、「フリーソフトウェアの定義」のいわゆる「第0の自由」に関する論文についての発表を行ない、コードに対する無制限のアクセス/利用が確実に害となる場合においても、無制限のアクセス/利用を義務付けることは道徳的に責任感のあることだと言えるのだろうかと問いかけた。例えば、なぜGPLは、フリーソフトウェアの核兵器での利用や人間を拷問するための利用を禁止しないのか? 激しい議論を呼び起こしそうなこの倫理的な問題は、NA-CAPコンファレンスでは終始、数多くの会話の中で取り上げられていた。

 その後のセッションでは様々なテーマが取り上げられ、ソフトウェア開発における倫理、認識論とWikipedia、オンラインの学術資料、オンライン教育の有効性などのテーマごとにパネルが用意されていた。どの程度深く掘り下げた内容を扱うかは発表によって非常にまちまちであり、もっぱら一般的な入門用の題材を扱った論文の発表もあれば、個々の込み入った問題に焦点を当てた論文の発表もあった。私が特に気に入ったのは「『ソフトウェアの不具合』はあり得ない?」と題したJesse Hughes氏による発表で、「ソフトウェアの不具合とは何か」を明確に表現することがいかに難しいかを指摘する内容だった。

 金曜日の午後には、「フリーソフトウェアの倫理」と題した基調講演をStallman氏が行なった。Stallman氏の哲学にすでに親しんでいる人にとっては、この講演には特に新しい内容はなかった。Stallman氏は4つの自由を一つ一つ、それぞれが必要な理由を説明しながら紹介した。またDRM(Stallman氏によると「デジタル諸制限管理」の略)についての議論も行ない、FSFが最近発表したGPL改訂版であるGPLバージョン3が、どのようにして、一方でフリーソフトウェアでのDRM機能の実装の禁止をせずに、もう一方でDRM機能の変更/削除の禁止が不可能になるようにしているのかを説明した。Stallman氏はその力強い講演の最後に、ローブを着て古いハードディスクのプラッタを後光のように頭に取りつけて、St. Ignutious(イエズス会の創設者でありロヨラ大学の大学名の由来でもある聖イグナティウス・デ・ロヨラと、GNUとをかけ合わせた名前)というユーモラスなキャラクタになりきっていた。

 土曜の午前中には、Peter Suber氏による基調講演が行なわれた。Suber氏はその優れた構成の発表において、学術雑誌の世界におけるOA(オープン・アクセス)運動について説明し、OAの学術雑誌やレポジトリを支える哲学的な論拠の概略を紹介した。NA-CAPコンファレンスの運営者であるTony Beavers氏は「オープン・アクセス出版についてのPeter Suber氏の議論はあまりに完璧だったため、わざと反対の立場を取ろうとあえて試みたとしても反論を考え出すことさえ困難なほどだった」と述べていた。

 OA運動の中心となっている考え方というのは、大まかに言うと、ロイヤリティなしの印刷物という数少ないジャンルの一つである学術雑誌の記事はオンラインで無料で公開されるべきだというものだ。科学や人文科学の多くにおいて、最先端の研究はテーマ別の学術雑誌上で発表されるようになっている。しかしそのような記事の著者やピアレビューを担当した人々に対して執筆料が支払われることは滅多にない。さらには、著者が著作権も一緒に手放してしまっていることも多い。Suber氏は「このような分野の著者たちが目的としているのは、金銭ではなく、名声と自分の研究分野の研究の進展なのだ」としている。したがって研究者はOA雑誌上で記事を公開して、そのコピーをOAレポジトリ上で保存するべきだという。そうすれば著者は自分の記事をより多くの読者に読んでもらうことができ、著者以外の研究者たちは最先端の研究に簡単にアクセスできるようになるとのことだ。

 Suber氏の基調講演の後は、Suber氏、Stallman氏、そして哲学者のSelmer Bringsjord氏による討論会が行なわれ、聴衆からの質問も受け付けられた。討論は時折白熱したが、内容は初心者にとっても非常に参考になるものだった。Beavers氏によると「フリーソフトウェア運動に対する賛否両論の優れた議論が展開された。しかし時折、主義主張を重視する人たちにとっては重大で物議をかもしがちな問題になることがあるような、政治的な言葉遣いや思い入れやこだわりが原因となって、議論がぶれることがあった。とは言え、議論されたような問題について詳しくなかった人でも、各議論の本質をより深く理解することができた」とのことだ。

 今回のコンファレンスの参加者の知的レベルの高さは特に印象的だった。出席者のほとんど全員が、関連分野での博士号を取得しているか、そのような学位を目指している大学院生かのどちらかだった。発表された論文は、よく研究されていて、興味深く、洞察力に満ちていた。風刺マンガによく登場するような哲学者は今回のコンファレンスでは見当たらず、いわゆる「IPパケット上では何人の天使が踊ることができるのか?」といった類いの役に立ちそうにない問題に焦点を当てた論文はなかった。それどころかその正反対で、コンファレンスの出席者の多くは、実用的なことを議論したいと考えていた。ソフトウェア開発者やシステム管理者など日常的にコンピュータを中心とした作業を行なっている人々にとっての、今回のようなコンファレンスの重要性を尋ねたところThiruvathukal氏は「現代社会でのコンピュータの遍在性と影響力とを考えれば、コンピュータを利用するすべての人々――当然、開発者も含む――が、スパイダーマンが言うところの『大いなる力には、大いなる責任が伴う』というモットーを理解することがこれまで以上に重要となっている。哲学という学問分野は、倫理のための道具を提供してくれる。また、われわれが責任を持って技術を応用するための手助けをしてくれる。このような問題は、計算機科学や哲学を教える人々にとっては特に興味深い」と答えた。

 今回のコンファレンスのセッションのすべてが、コンピュータについての哲学的な思索にねらいを定めていたわけではない。例えば大学院生のRory Smead氏は「有限母集団のムカデゲームにおける協力の進化」と題した論文の中で、コンピュータ・シミューレーションを使用してゲーム理論を検証した。計算機科学者のMatt Bone氏は「この発表の素晴らしいところは、『哲学をする』ためにコンピュータを使用しているという点だ。数学や物理学を行なうコンピュータは見たことがあったが、哲学をするコンピュータは見たことがなかった」と述べた。その他にも、論理ダイアグラム作成用アプリケーションなどの、とりわけ哲学者を対象とした研究ツールとしてのソフトウェアを取り上げたセッションなどがあった。

 今回のNA-CAPコンファレンスでは、FOSSの考え方/動機/成果が、学術機関において議論されるテーマとしてどれほど広まっているのかが明らかになった。FOSSに反対する声もあったが、議論は建設的であり、FOSSの哲学的な意味合いを考察することに多くの研究者が価値を見い出していることを示していた。

 (Stallman氏とSuber氏の基調講演も含め)各セッションのビデオは、コンファレンスの運営者によって数週間後に同コンファレンスのウェブサイトで公開される予定だ。一部の発表についてはすでにSlide Shareでスライドを見ることができるようになっている。

 次回のIA-CAPコンファレンスであるAsian-Pacific AP-CAPコンファレンスは11月2日から4日まで、タイのバンコクにあるチュラロンコン大学で開催される予定だ。なおEuropean E-CAPコンファレンスは2ヶ月前にオランダのトウェンテ大学で開催された。

Matt Butcherは、Aleph-Null, Inc.の最高顧問を務めるかたわら、ロヨラ大学Emerging Technologies Laboratoryに参加している。3冊のFOSSソフトウェアに関する書籍の著者で、最新の書籍『Mastering OpenLDAP』は今月Packt Publishing社から出版予定。現在、ロヨラ大学哲学部の博士候補生。IA-CAPのメンバーでもある。

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