Richard Stallman氏、GNUプロジェクトの25年を振り返る

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 1983年9月27日、Richard M. Stallman氏は、フリーのオペレーティングシステムを構築するためにGNUプロジェクトを発足すると表明した。それから25年。このほどFree Software Foundationは、25周年を記念して1ヶ月にわたって祝賀行事を行うと発表した。Stallman氏は、この四半世紀を振り返り、フリーソフトウェア運動の成長に慎重な満足を示しつつも、内外の新しい課題への直面による状況の複雑化に懸念を示し、目標の達成には道半ばであると語った。

 Stallman氏の記憶によると、GNUプロジェクトは少人数の開発者でスタートした。Stallman氏を除くと「3人ぐらい。4人だったかもね。でも、使い物になるプログラムをリリースしてからは、興味を持つ開発者が増えた」

 Stallman氏は、GNUプロジェクトがプロプライエタリ・ソフトウェアの増加への懸念から立ち上げられ、最初はコンパイラを開発し、次いでGNU Emacs(Stallman氏が最も密接に関わったプログラム)の開発へと進んだことを、これまでも多くの機会に書き、論じてきた。元々は「フリーソフトウェアを書く人を集めることに力を入れていた。システムのコアさえなかったから、それを書くのは大仕事だった。でも、誰にも邪魔されずに仕事ができたね。単なるプログラミングの作業だった」

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Richard M. Stallman

 とはいえ、当初からプロジェクトは目標達成のために開発活動以外のものにも目を向けることを迫られた。最初のいくつかのプログラムは、Stallman氏の言う「コピーレフトライセンスの初期バージョン」の下にリリースされた。1989年、Stallman氏はGNU General Public Licenseの最初のバージョンを作成し、1992年に2番目のバージョンを発表した。

 ライセンスと法的な諸問題を考慮する必要性が増していると気付いたことで、難しい発想の転換を強いらなかったかと問うと、Stallman氏の答えは事務的だった。「迫られたからそうした。明らかにその必要があったことをしただけなんだ。考えられうる最高の仕事をしたと言えばウソになるが、まったく苦労はなかった」

 法的な問題が懸念されるようになった要因の多くは、フリーソフトウェアを阻む新しい障害の出現の結果であった。たとえば、有名なLotusとBorlandの訴訟や90年代中頃のソフトウェア特許の増加の根幹にあったのが、ユーザインタフェースに著作権を適用しようとする動きだった。

 また別の問題として、Stallman氏の言う「シークレット・ハードウェア」もあった。プロプライエタリのドライバとBIOSを使うハードウェアのことである。「80年代には、ハードウェアを販売する会社が自社製品の使い方を教えることを拒否するなんてことは一度もなかった。90年代にそれが起きたときは、心底驚いたね。80年代はハードウェアのすべてについてドキュメントに書くのが当たり前だった」

 もう少し時代を下ると、プロプライエタリのフォーマットやいわゆるジデタル著作権管理(Stallman氏は「デジタル制約管理」と呼ぶ)などの問題がフリーソフトウェアを脅かすようになった。「どうも、僕らがある分野で進歩すると、決まって新しい種類の障害が出現したり、新しい社会現象が計画的にフリーソフトウェアへの敵対を生み出すらしい」

 このような難題に直面しつつも、フリーソフトウェア運動は哲学的・政治的な意見や戦略を大きくは変えず、むしろ研ぎ澄ました。たとえば、「価格のフリー(無料)と自由のフリーを慎重かつ厳格に区別する必要性を認めるまで、何年もあれこれ考えた。ただし、昔の決断を今1つ1つ振り返ってみると、この区別がいつも根底にあったね。表ざたにしなかっただけで。正しい考えは心の中のどこかにあって、結論はそこから導き出されたが、それに磨きをかけてはっきりと表現することを学んでいなかった」

 90年代に現れたもう1つの現象は、「同じ発想がソフトウェア以外のすべてに当てはまらないか、と尋ねる人が出てきたことだ。考えた末、こう結論した。生活の中で実際的な目的に利用される他の実用的な産物、たとえば教育書や参考資料などはフリーであるべきだと」─ 芸術作品はフリーではないとStallman氏は考えるものの、少なくとも「精度の高いコピーを営利目的以外で再配布することはフリーであるべきだ」。

 どれも大きな問題である。GNUの歴史を語るStallman氏の声にはかすかな驚嘆のトーンが混じっていた。「たくさんの問題をうまく切り抜けたみたいに聞こえるだろう。でも、ある意味で、当時より事態は難しくなった。あの頃はただプログラムを書いていれば良かったからね」

今日のフリーソフトウェアの状況

 Stallman氏の見解では、フリーソフトウェアは代替品として真剣な考慮に値する初期段階にまで達した。残念なことに、人は「まだプロプライエタリ・ソフトウェアをも代替品として考慮している。実際、ほとんどの人はまだ使ってるんだ。GNU/Linuxシステムのほとんどのユーザだって、プロプライエタリ・プログラムをまだ使ってる。これは、フリーソフトウェアの倫理面の概念を顧慮しないフリーソフトウェア開発者がいるせいだ。こうした人々は自分はオープンソースのサポーターであると称して、フリーではないソフトウェアの世界に身を置いている。そんなことは許されないとは思わないのだ。便利ならいいだろうと思ってる」

 たとえば、Linuxカーネルにはプロプライエタリのファームウェアを必要とするドライバがある、と彼は指摘する。「Torvaldsはフリーソフトウェア運動に賛同しないが、それでも僕は長い間少なくともカーネルはフリーだと思ってた。でも、あるとき気が付いた。プロプライエタリのファームウェアがLinuxのソースコードに組み込まれてるじゃないか。つまり、TorvaldsがリリースするLinuxはフリーソフトウェアではないというのが真実だ」

 このような状況は、フリーソフトウェア運動が「サイバースペースの完全な解放に未だ遠い」場所にいることを意味する。「フリーソフトウェアは、誰かがやらなければならない仕事をやるべきだ。問題は、目標の完全な達成とは何か、だ。それはつまり、完全なフリーソフトウェアとフリードキュメントが存在し、プロプライエタリのソフトウェアを書くことはもはや妥当であるとか自然の成り行きであるとか見なされず、たとえ存在したとしてもそれを使うほど人々は愚かではない、そういう世界になることだ」

新しい課題

 Stallman氏は未来の予測は断ったが、新しい課題が今後も現れると思うとは述べた。「Microsoftはまだ相当にリッチでパワフルだ。金の力で新しい障害物を作ることもやめてない。それと同時に、フリーではないソフトウェアの新しい問題がWebアプリケーションで起きている。ブラウザを通じてインストールされるプロプライエタリのソフトウェアの問題と、Webサーバ自体の問題、この2つがある」

 また、モバイル・デバイスにも憂慮がある。「新しいテクノロジには新しい問題が現れるというが、その面白い実例だね。10年前に携帯電話を見たときは、ソフトウェアがフリーなのかプロプライエタリなのかという問題はなかった。ソフトウェアを携帯電話にインストールできなかったから。でも、こいつはビッグ・ブラザーの夢だと言ったのを覚えている。どこへ行こうとも、居場所はやつらに筒抜けだと」

 「やがて携帯電話のプログラミングが可能になってから気が付いた。リモートからスイッチをオンにして会話を聞けるじゃないか。でも、この数年で携帯電話はさらにパワーアップし、ソフトウェアをインストールできるコンピュータになった。その結果、フリーソフトウェアの問題は携帯電話にも当てはまることになったんだ。で、実のところ、この問題に対処することは監視と追跡に対処することにも役立ってる。フリーソフトウェアを使えば、携帯電話はユーザが管理できる。リモート信号の送信を禁止できるんだ。また、少なくともセキュリティを確保し、他人がリモートから携帯を動作させることも防げるだろう」

 このような一連の問題は、ここ数年でフリーソフトウェア運動がますます行動主義的になり、他の社会活動家との共闘に傾いていることの説明になる。昨今は「単なるフリーソフトウェアの開発活動は、さほど求められない。他にも開発者が大勢いるからね。一方で、デジタル制約管理のような、フリーソフトウェアを根本的に禁じかねない脅威が現れてきた。プログラミングだけでデジタル制約管理には立ち向かえない」

 残念ながら、Stallman氏はこう指摘する。「人権や最大多数の最大幸福を標榜する人々は、フリーソフトウェアの支援という問題については、その存在さえ理解しない。その原因の一部は、オープンソースが存在を隠すのがうますぎることだ。アメリカでは、企業によるソリューション以外を否定する宣伝活動が非常に強い。利益優先の発想しかなく、すべてが利益を生むためにあると信じて疑わないんだ」

 事実、フリーソフトウェアの25年間に関するStallman氏の苦言は、ユーザの自由が最初から強く訴えられてこなかったことに集中するようだ。「90年代にフリーソフトウェアの作成が本格化したが、そこにはフリーソフトウェアがユーザに与えうる自由についての考慮が抜け落ちていた。そして今、この関心の欠如が原因で、僕らのコミュニティはさまざまな意味において弱体で、傷つきやすい」

 「そんな事情があって、このユーザの自由という問題に関心を持ってもらい、強い決意で自由を擁護する大きなグループを作り上げることが、僕らにできる一番重要なことだと決断した。それはことわざに言う「釈迦に説法」だろうとたまに指摘されるが、実際には運動の概念を聞いたこともない人がほとんどなんだ。だから、フリーソフトウェア運動になんらかの形で関わっているのにオープンソースの基本的な概念がわかってない人に訴えかけるのはとても有効だ」

 明らかに、Stallman氏はフリーソフトウェアが進むべき道はまだ長いと信じている。さらに、この25年間を語りながら、現実と目標にギャップはあるが、落胆はしていないとはっきり明言した。「人生の残りの部分では落胆させられることばかりだよ。アメリカは中国をお手本にしてるみたいだ。およそ想像できる限りのあらゆる種類の胸糞悪いことを実行に移してる。奇妙なことだが、少なくともフリーソフトウェアの領域では、僕らは進歩してる。人権に関する他のすべての領域で事態は悪くなってるのに。この運動を始めたときは、ソフトウェアの世界を除いて人権が全般的に悪い状況になるとは思わなかったね。だから、僕らがソフトウェアの領域で進歩し、他の人権のフレームワークが周囲でファシズムへと崩れ落ちていくのは、実に皮肉で意外なことだよ」

Bruce Byfieldは、Linux.comに定期的に寄稿しているコンピュータジャーナリスト。

Linux.com 原文(2008年9月26日)