linux-libreプロジェクト、なかなか賛同を得られず

 今年は、フリーソフトウェア財団(FSF)が支持する完全にフリーなディストリビューションgNewSenseのバージョン2.0がリリースされたり、Ubuntuがフリーソフトウェアのみをインストールするオプション翻訳記事)を追加したりという動きがあった。そんな中、Red Hatの社員で、フリーソフトウェア財団ラテンアメリカ(FSFLA)の役員としても知られるAlexandre Oliva氏が、linux-libreというプロジェクトを進めている。もくろみ通りに事が運べば、100%フリーなディストリビューションの構築を容易にするプロジェクトになるはずだった。だが残念なことに、自由を求める同氏の道のりは、主義主張の違いに阻まれたり、理想より利便性を求める声に押されたりして、難航している。

 最近までは、ソフトウェアがフリーかどうかというのは、主にライセンスで判断されていた。だが2年前のgNewSenseの登場で、Linuxカーネルにはフリーではない要素も含まれているという事実をフリーソフトウェアコミュニティは認識した。フリーでない要素とは、たとえば非フリーなファームウェアに依存するハードウェアドライバなどだ。gNewSenseは、こうした要素を取り除いてリリースされたディストリビューションだった。これを受けてFSFは、事務局で利用するディストリビューションとしてgNewSenseを採用。さらに今年は、フリーディストリビューションとは何かを明確に定める一連のガイドラインを発表した。その中では、この取り組みがまだ新しいことをふまえて、まだ完全なガイドラインにはなっていないことを明言したうえで、非フリーな要素を取り除くための「真摯な努力」が、ガイドラインの完全な遵守と同じく重要だと述べている。

 この新たな定義の普及を目指してOliva氏が立ち上げたのが、完全にフリーなカーネルを提供するための取り組みであるlinux-libreプロジェクトだ。Oliva氏は、一連のスクリプトを使用して作業を進める。「linux-libreのメンテナンス作業には、1日2~3分しかかからない。ほとんどの場合、手動での削除処理は特に必要ない。フリーでない部分はLinuxの中の決まった場所にあることが多く、手動で特段の処理が必要かどうかはスクリプトで判断できるからだ。これらのスクリプトは数日がかりで作り上げ、今でもときどき修正を加えているが、最近はほとんどがルーチンワークだ。新しいLinuxリリースが登場したら、フリー化を施したtarballがわずか数分で出来上がる。リリースの開発サイクル全体を通して、そのための準備を重ねてきているからだ」。

 だが、取り組みを進める中でOliva氏は気付いた。こうしてフリー化したカーネルを利用するかどうかは、単なる技術的な問題ではなく、主義主張が絡む問題でもあるのだと。

カーネル開発者に話を持ちかけるも…

 linux-libreのカーネルを採用するというアイデアがLinuxカーネルコミュニティに受け入れてもらえそうにないことは、Oliva氏は最初からわかっていた。「ユーザの自由の価値を利便性と同じレベルで考えるコミュニティではない」と同氏は言う。同氏自身、GNU General Public Licenseのバージョン3についてLinus Torvalds氏といがみ合った経験があるし、こんな話も耳にしていたという。「gNewSenseとBlag(別のフリー・ディストリビューション)にかかわった開発者から聞いた所によると、フリーでないソフトウェアをLinuxから一掃するパッチを提出しようとしたら、嘲笑と罵声を浴びるかのような対応を受けたそうだ」。

 それでもOliva氏は先月、Fedoraのカーネル開発者たちにlinux-libreの話を持ちかけた。ところが折悪く、先方は、標準カーネルとXenバージョンの両方について、メンテナンスに関連する問題の解決に奮闘する真っただ中だった。「タイミングが悪すぎた」と同氏は嘆く。「ここで別系統のカーネルをさらに追加したら、同じ苦労の種がもう1つ増えるおそれがあると受け止められた。こうして、linux-libreを基にした別カーネルを提供するという案は却下された」。

 代わりに、カーネル開発者のDavid Woodhouse氏から提示されたのが、フリーでないファームウェアをカーネルソースツリーの別ブランチに移し、通常のカーネルビルドから除外するという案だった。フリーでないファームウェアは、必要とするディストリビューションが別パッケージで配布すればよく、100%フリーなディストリビューションや派生品からは除外できる。

 だがOliva氏はこの案を拒否した。それでは現状とあまり変化がないし、フリーなファームウェアを開発しようという気をベンダに起こさせることができないと考えたからだ。また、もう1つ重要なこととして、次の点を挙げる。「他にも不明瞭なコードがカーネルに含まれる可能性について、その案は何の対処にもならない。よくありがちなのが、非開示条項が適用されたドキュメントから派生したコードや、GNU General Public Licenseの下でのコードの配布が許可されていない非フリードライバから派生したコードだ」。したがって、そうした非フリーコードがないかどうか、各ディストリビューションがそれぞれ別個に目を光らせなくてはならない。一方、linux-libreカーネルを使えば、あちこちで同じ苦労をする手間が省けると同氏は言う。

Fedora Freedom

 それと並行してOliva氏は、Fedora Freedomというプロジェクトを立ち上げて、Fedoraプロジェクト内で自らの案の認知度を高める取り組みを始めた。確かに、Fedoraのライセンスガイドラインでは、非フリーのファームウェアを考慮の対象から明示的に除外している。だが、Fedoraのもともとの目標は、「完全で汎用的なオペレーティングシステムをフリーソフトウェアのみで開発する」ことだったし、「“自由”が特徴」をFedoraプロジェクトのスローガンにするというGreg DeKoenigsberg氏の提案はプロジェクト内で大いに歓迎された。こうしたことからOliva氏は、自分の案がある程度受け入れてもらえるのではと期待していた。

 しかしそんな期待は、厳しい現実の前にもろくも崩れ落ちた。linux-libreを基盤としたカーネルは、Fedoraのトレードマークにできないので、受け入れ難いと言われたのだ。フリーの派生物であれば歓迎するとのことだった。

 数週間前からOliva氏は、Fedoraのメーリングリストを通じて、Fedoraのフリーバージョンの開発について賛同者を募ろうとしてきた。しかしここでも反応は冷たかった。Oliva氏はソフトウェアにおけるフリーの新たな定義について、説明や弁護を繰り返さざるを得なかったし、そこから議論が飛び火して、FedoraはLinuxかGNU/Linuxかという以前からの論争がぶり返したり、理念よりも個人的な利便性の方が大事だとしてOliva氏を非難する声が上がったりもした。Oliva氏の考えに賛意を示す投稿もわずかにあったものの、この議論に関わったのは6人ほどに過ぎなかった。そのうちの1人で、Oliva氏と同じくRed Hatに勤めるAlan Cox氏は、議論で出てきたあらゆる論点についてOliva氏が事細かに主張しようとすることなど、さまざまな面にいらだちを感じていた。

 これだけ歓迎されていないFedora Freedomに今後も取り組む価値があるのか、Oliva氏に尋ねてみると、沈んだ声でこんな答えが返って来た。「私自身、非難や反発を受けるたびに、そうした疑問が頭をよぎる」。今のところ、Fedora Freedomの提案は、必要な作業が少ないにもかかわらず、次のFedoraリリースには採用されそうにない。

現実に落胆

 Oliva氏にとって、今回の経験は期待外れだった。フリーソフトウェアに対する同氏の理想主義だけが原因ではない。同氏自身は、理にかなった方法で取り組んでいると思っていたからだ。「非フリーのカーネルに完全に置き換えるという案は、反発を買うと予想していたが、100%フリーなソースから構築した100%フリーなカーネルを用意して、代わりの選択肢の1つとして加えるというという話なら、苦もなく進むと思っていた」。

 個人的には、Fedoraでの反応が特にがっかりだったという。「私はRed Hatで働いており、自分の勤務先が開発に関係しているディストロを世の人に勧めることができたらうれしいと心から思っている。フリーソフトウェアのみを使用したオペレーティングシステムを開発するという目的で立ち上がったはずのコミュニティなのに、非フリーなソフトウェアが含まれたシステムしかインストールや配布ができないというのは、本当に残念だ」。

 Oliva氏の経験をふまえると、こう言えるかもしれない。完全にフリーなオペレーティングシステムを構築する技術は存在するが、フリー/オープンソースソフトウェアコミュニティと自称するコミュニティの多くは、その考えに追い付いていない。多くの人は、フリーな部分とプロプライエタリな部分が混在した、これまでに慣れ親しんだオペレーティングシステムで不満がないようだ。

Bruce Byfield コンピュータージャーナリスト。Linux.comに多く寄稿している。

Linux.com 原文