コメンタリ:Linux Foundationが投影するLinuxの将来に対する懸念

 第2回Linux Foundation Collaboration Summitへの参加後、私は複雑な気持ちで過ごすことになった。Linus Torvalds氏の貴重な時間を購入する形でフリー/オープンソースソフトウェアの広告塔的プロジェクトの旗振り役を継続してもらおうとするグループの活動は、むげに否定できるものではない。だが同時にこのヒモ付き援助システムこそがLinux Foundationに対して私が抱く最大の懸念でもあるのだ。

 本イベントのスポンサーとなったのはIBMであり、同社はLinuxをサポートする業界随一の企業でもある。この財団の参加メンバとなっているのは世界中の大手IT企業および今後の成長が期待される企業群であり、例えば最近メンバとなったばかりのAdobeもその1つだ。該当する企業の正確なリストは同財団のWebサイトに掲載されている。

 これらIT企業群がLinux開発活動のサポートにこれまで費やしてきた時間と予算および、そうした支援活動の今後の継続が、Linuxという存在だけでなく同プラットフォームを使用する私たち全ユーザへの恩恵となっていることに間違いはない。またTorvalds氏などカーネル開発の第一人者たちを開発活動と直接関係しない些事から解放することも、私たちにとってのメリットとなるはずだ。同様にLinuxの広範な普及を妨げている障壁を取り除くことを目指したLSBなどのプロジェクト活動も進められている。それでもなお私が懸念しているのは、そのために支払われる代償である。

 Robin Miller氏によるLinux Foundationの取締役を務めるJim Zemlin氏とのビデオインタビューでも指摘されているように、現在のLinux Foundationが主眼を置いているのは、個人レベルのユーザや開発者あるいはLinux用ソフトウェアの開発ないし応用に携わっている多数の中小企業の抱く要望ではなく、Linuxユーザの中でもコアグループと目される大手企業の意向とされている。またZemlin氏は、オープンソースの強みの1つは誰でも独自の組織や財団を立ち上げられることだと指摘し、Linux Foundationが自分達に適さないと感じる者がいれば、独自の団体を立ち上げるべきだと示唆している。Zemlin氏のコメントは現在のLinux Foundationが目指す方向性を伺わせるものではあるが、私の感じる不安を解消するものではなかった。

 今回のイベントの2日目と3日目に開催されたトップレベルの運営会議はすべて報道関係者お断りであることを後から知らされたのだが、それに先だって私は一般のLinuxデスクトップユーザから出された不満の声をいくつか耳にしていた。例えばその1つは、Linuxの普及を妨げている要因トップ10として同財団メンバから成る委員会が作成したリストの中に、デスクトップ用途に関するものが何も含まれていないという不満である。つまりこのリストに挙げられていたのは“鉄のかたまり”と揶揄される大型マシンやサーバに関係したものばかりで、デスクトップ関連のものはまったく顧みられていないのだ。

 Wi-Fiドライバについても行きがかり上触れられている程度で、アクションアイテムの1つとしては取り上げられておらず、いまだ完備されていないノートブック用キーボードやトラックパッドなど各種の入力デバイス類の問題についても言及されていなかった。私個人のトップ10リストにこれら2つは常にランクインしているのだが、委員会メンバにとってはLinuxの普及を妨げている要因とは映っていないようである。

 開発活動への金銭的な支援を行い、カーネル開発者に旅費を始めシステム管理やドキュメント整備のコストを負担する者が、そうしたカーネルやアプリケーションの開発者たちに何を優先すべきか口を出したくなるのは当然の成り行きであろう。実際、世の中はそうした関係で成り立っているものである。問題は、このようなLinuxのメイン開発者と大手のIT企業群との蜜月関係が深まるとサーバプラットフォームとしての用途ばかりが優先され、デスクトッププラットフォームとしてのLinuxの発展を願うユーザの要望やニーズが顧みられなくなりかねないという懸念であり、あるいはそうした風潮はこれから顕在化してくるのかもしれない。

 もっともLinux Foundationの参加メンバの陣容を見ると、これも無理からぬ流れとも言えるだろう。営利企業であるからには、収益という束縛からは自由になれないからである。IBMの場合、Linuxがデスクトップ分野で大成しようとも大して得はしないが、メインフレームの分野にLinuxが浸透すれば話は違ってくる。HPおよびDellの場合は、デスクトップ分野でのWindows販売で利益を上げているのであり、この分野でLinuxの普及を積極的に後押ししようとは考えないだろう。これはまた、ある意味にて結構な話ではある。

 保留付きで“結構な話”としたのは、Linuxがようやく確保できたデスクトッププラットフォームとして次の段階に進むためのフリーソフトウェア開発者の時間と労力の大半を食いつぶさなければという意味であり、またここでIBM、HP、Dellの3社を取り上げたのは単になじみ深い社名というだけで、私にこれらの企業への他意がある訳でなく、他の参加企業に置き換えても話の本質は変わらないはずだ。いずれにせよ金がものを言う世の中であることに間違いはない。そしてLinux Foundationから出される資金がものを言うとすれば、主眼を置かれるのは大型マシンであってデスクトップ分野は軽視され続けることになるだろう。

 一方でデスクトップ分野でのLinuxの大成を願っている企業存在している。これらは概して同財団の参加メンバ中でも規模の小さい企業群であり、比較的安価な小型ラップトップおよびビジュアル面での魅力が売り物のデスクトップディストリビューションに関連した製品開発を狙っているのだ。もっともその規模故に、大手企業と同額のキャッシュを提供するとは期待できない。

 こうしたジレンマを解消する名案を、不幸にして私は知らない。私にできるのは今後を憂うことだけであるし、オースティンで活動するLinuxユーザグループ(AustinLUG)の古株メンバ兼役員であるPaul Elliott氏もそうした人間の1人だ。同氏は地元紙で今回のトップ会議を知り、その取材を試みたとのことである。もっとも同氏が到着したのは2日目であり、悪いことに報道関係者お断りとされた講演およびワークショップでジャーナリストとして参加登録を申請したのであった。そして同氏は自分の所属するAustinLUGのブログWebサイトにて、今回遭遇した不幸な出来事の顛末をレポートしている。

 ビジネス的な常識として、商談をする会議の場に報道関係者を同席させるのは得策ではないだろう。私も今更そうした点に異議を唱える気はない。企業にとって情報とは統制すべきものであって、自由にすべきものではないからだ。だからこそ重役連がマスコミ相手に口を開く際には、常にその背後にて広報担当者が控えているのである。企業世界における常識とはそうしたものなのだ。私としてもそれを特に問題視する気はないが、それも今回のLinux会議で感じられたように、こうした不透明なやり方がFOSSの領域に浸透してこない限りの話だ。透明性を旨とした文化に支えられたこのコミュニティに、そうしたやり方は馴染まないのである。私が気に病んでいるのは、企業のヒモ付き援助を受け入れることで我々が何を失うかということに他ならない。

 Zemlin氏のインタビューでも触れられていたように、Linux Foundationがメンバ会員の裾野を広げて個人レベルの開発者とユーザの要望に応えるというプランが実を結び、私の感じている不安が根拠のない単なる杞憂であったということを証明されるとしたら、それは私自身の歓迎するところである。

Linux.com 原文