オープンとは――OSCONのパネルディスカッション

 O’Reilly’s Open Source Convention(OSCON)の初日と2日目は、技術的チュートリアルで埋め尽くされた感があるが、その流れを変えそうなセッションもちらほらと見られた。月曜日で注目されたイベントはParticipate 08だ。Microsoft社主催のパネルディスカッションで、「オープン」の意味をめぐってパネリストが意見を交換した。ソースコードの、データの、ビジネスモデルの「オープン」とは何を意味するのか。

 ハーバードビジネススクールのKarim Lakhaniが司会を務め、そこにCreative CommonsのScience Commonsプロジェクトを担当するJon Wilbanks、O’Reilly社のAllison Randall、Microsoft社Open Source Software LabのBryan Kirschner、カリフォルニア大学デービス校のSiobhan O’Mahony、MySQLとSun社のZack Urlockerがパネリストとして加わった。オープンソースはどんなときに、なぜ、どのようにうまくいくのか。どんなときにうまくいかないのか。6人は延々3時間に渡ってさまざまに議論し、聴衆からの質問に答えた。

 パネリストの背景が多様であることから、意見の激突は必至と思われたが、コンセンサスの成立する場面が意外なほど多かった。これには、たぶん、問いかけの意味を明確にしたことが大きかったと思う。たとえば、「オープンソースがなぜ機能するか」を考えることは、個人開発者をオープンソースプロジェクトに駆り立てる動機は何か、オープンソースコミュニティを活発化させる条件は何か、企業はボランティア開発者のコミュニティとどう関わるのか、オープンソース製品を持つ企業は同分野の開発者・ユーザ・顧客のコミュニティとどう交流するのか、を考えることだとされた。

オープンソースの驚き

 司会のLakhaniはパネリストを紹介しながら、オープンソースで一番驚いたことは何かを各人に尋ねた(自身は「Microsoft社にオープンソース室があると知ったのが一番の驚きだ」そうだ)。Wilbanksは、「Science Commons(Creative Commonsが芸術作品で行っているように、学術的な論文・データベース・研究ツールのオープンなリソースを築こうとする試み)をやっていると、驚くことばかり」と言い、その意味を「オープンソースの理念が最も適合すると思われる分野、たとえば教育でそれが根付かず、実に意外な分野で盛んになったりする」と説明した。

 RandallとKirschnerは、ともに「オープンソース運動が多くの個人の活動の上に成り立っているのに、全体として実にまとまりのある運動になっていることに驚いている」と述べた。O’Mahonyも同感だと言い、さらに「運動の成長と規模の拡大がバランスよく進行していることも、オープンソース運動の驚くべき点です」と付け加えた。

 Urlockerは、「オープンソースがこれほど成長しているのに、ワシントン州レドモントの会社のあまりの反応の鈍さに驚いた」と、Microsoft社の目指す方向を皮肉った。スタートの遅れから、Microsoft社は丸々1世代分のプログラマを失った。Microsoft社に入ったかもしれないそのプログラマたちは、いまオープンソースツールを自主学習し、それを使って市場に参入しようとしている。「いまのベンチャーを見てください。Microsoft製品など使わず、Linux、Apache、PHP、MySQLでビジネスを組み立てていますよ」

 Microsoft社のKirschnerも同感のようだ。この運動が開発者に与えたインパクトの大きさに気づくのが遅れたことを認め、にやりと笑って、「いまや有名になったSteve Ballmerの『開発者、開発者、開発者!』という雄叫びは実に正しかったわけだ」と語った。同社には昔から”Shared Source“(ソース共有)計画があるが、オープンソースモデルがそれとどう違うのかが理解されたのは最近のことだ。その理解に至る過程では、社内技術者の力がとても大きかった。プログラマにとって便利でも、製品として売り出すのに適さないツールは、極力外部に開放していこう、と技術者が圧力をかけつづけた。

わたしの動機?

 「ハイブリッド」なオープンソースビジネスモデルのメリットと成功度、オープンソースの文化が参加を促進するケースと排除するケース、規模の拡大にともなうコミュニティの変容、オープンの定義に見る多様性と定義間の矛盾、いま萌芽段階にある「オープンデータ」運動など、パネルはさまざまな問題を取り上げた。最後のオープンデータ運動は、オープンソース運動と理想を共有するが、まだ定義に一貫性を欠き、法律面でも未成熟である。

 議論が最も白熱したのは、動機と意欲の問題だった。人々はなぜオープンソースへの参加を選択するのだろう。パネリストの一部は、実利的な動機をあげた。自己教育。職業的成長。倫理的に正しく、成功もしていている運動に名を連ねたいという欲望……。だが、考えてみれば、これらの動機は企業にも等しくあてはまる。そこで、この議論を客席で聞いていたBradley Kuhn(Software Freedom Law Center)が立ち上がり、このセッションは商業的オープンソースへのエールなのか、とパネルを詰問した。

 Kuhnの発言にパネルは驚き、反論した。Randallは、「オープンソース運動への動機づけは多様だ」と述べた。コミュニティの成長を見守り、手助けしたいという利他的欲望もその1つだろう。Lakhaniは、「さまざまな動機があり、その動機間の緊張関係も常にオープンソース運動の一部だった」と述べた。さらに、「緊張関係があることは、視野を広く持ち、多様な動機の間にバランスを保つうえで役に立つ」とも付け加えた。

法律の巨象が踏みにじる

 Lakhani自身は、知的財産(IP)問題での議論が最も白熱するだろうと予想していたようだが、意外にも、この問題では実にバランスのとれた理性的な意見交換が見られた。

 オープンソースソフトウェアではIPが重要――この点では、全パネリストの意見が一致した。Randallが指摘するとおり、プロプライエタリソフトウェア産業に都合のいいソフトウェアライセンスの枠組みがなければ、GPLが考案されることもなかったわけだ。非営利団体が将来の開発に欠かせない情報の収集・統合・保護ができるのも、IP法があるからこそ、とO’Mahonyも言っていた。

 Urlockerからは、MySQLから見たソフトウェア特許への不満が紹介された。たとえば、プロプライエタリ/オープンソースのハイブリッド企業から見た特許文言の曖昧さ、特許問題で法的に戦えるだけのリソースを持たない純粋オープンソース団体の恐怖、などである。

 Wilbanksは、著作権・特許権・商標・企業秘密など、相互にほとんど共通点を持たない諸概念をひっくるめたような「知的財産」という言葉の使い方を嘆いた。著作権法などは、出版社のために書かれた信じられないほど強力な法律であり、他者を訴追できるという武器を持っている。この状況では、「われわれは手足をもがれたも同然」と語った。さらに、将来、オープンソースがブランドという商標概念をもっと利用できるようになればいい、と希望を述べた。そこでは、大きな価値を持つ何かに自分の仕事を関連づけることが基本的な問題となる。たとえば、「オープンソース」というブランドに参加できることへの期待が、訴追の意志より大きな意味を持てば、オープンソースが栄える地盤ができる。

 筆者はOSCON出席者の何人かと1対1で話す機会があった。その人々が異口同音に言っていたことは、オープンソースコミュニティのあらゆる分野の人間が――Python開発者、オペレーティングシステムのグル、ネットワークエキスパート、モバイルデバイスの設計者、等々が――一堂に会することこそ、OSCONの最大のメリットだ、ということである。同じことがParticipate 08にも言えよう。研究者・実業家・非営利活動家が1つの部屋で顔を突き合わせることで、討論全体が実のあるものとなった。ホワイトボードにはMicrosoft社の名前もあったが、これが討論を突き動かす力でなかったことは確かだ。

Linux.com 原文