GFDL 1.3について
GPLv3、LGPLv3、AGPLv3と来て、ようやくGNU Free Documentation License(FDL)の新版、バージョン1.3が公開された。あれ、GFDLv3じゃないの?と思う方も多いでしょう。私もそうでした。
本当は、メジャーバージョンアップとして華々しくGFDLv2なりv3なりを出したかったのだが、いろいろ大人の事情があり、そうも行かないということになった(ちなみに、GFDLv2を目指した改訂作業はまだ続けられている)。そんなわけで、現行の1.2から何が変わったのかというと、実のところ一点を除いてあまり変わっていないのである。その一点とは、すなわち第11項の追加だ。
正式な訳は後で出すつもりだが、ようするに「非常に多数の著者によるコラボレーション成果物(Massive Multiauthor Collaboration、MMC)」というものを定義した上で、こうしたものを誰でも自由に編集できるような機能を備えたサイト、MMCサイトの運営者が、MMCに外部から持ち込まれたGFDL 1.3が適用されたコンテンツを、クリエイティヴ・コモンズ(Creative Commons、CC)のAttribution-ShareAlike 3.0(CC-BY-SA 3.0)の下で再ライセンス(ライセンスを変更)することを認めます、というのが追加された部分の骨子である。
MMCサイトというのはもちろんWikiサイトを想定していて、もっと具体的に言えばこれはWikipediaが主たる対象である。Wikipediaのみが対象、と言っても良い。「外部から」と言うのは、ようは運営者自身が自分で完全な著作権を持っていない(持っていればどのみちライセンスは好きに変えて良いので)コンテンツという意味であり、Wikipediaならば、本当にどこか他から持ってきた画像などのコンテンツは言うに及ばず、ウィキペディアンが書き下ろした、あるいは編集した記事もすべてこれに該当する。
ただ、これだけだと、GFDLが適用されたコンテンツはWikipediaに限らずどこぞのWikiに転載するだけですべて無条件でCC-BY-SA 3.0に転換できるようになってしまうので(それはそれでおめでたいような気もするが)、GFDL 1.3が公開される2日前、すなわち「2008年11月1日よりも前にMMCに持ち込まれたコンテンツに限る」という但し書きがついている。Wikipediaのケースに即して言えば、2008年11月1日の時点でWikipediaに掲載されていた記事のみがCC-BY-SA 3.0に転換可能ということだ。今回GFDL 1.3のドラフトを事前に全く公開しなかったのは、このような期限が入っていることがばれ、GFDLが適用された文書が期限前に大量にWikipediaに持ち込まれて「ライセンス・ロンダリング」のようなことが起こるのを防ぐためであった。しかし、いくら時差の問題があるからといって、世界のどこかで11月2日と3日にWikipediaにアップロードされたコンテンツは適用範囲からあぶれてしまったわけで、分量としてどれくらいあるかは知らないが遺憾なことではある。一応ライセンス転換にも期限があり、それは来年の8月だ。よって、GFDL 1.3はある意味明確な時限のある、非常に過渡的なものと言える。このへん、なんとなく弥縫策というか、個人的には中途半端な感じがしてしまうのである。
ところで、私の今回のGFDL 1.3に対するスタンスはかなり微妙だ。確かにGFDL 1.2は読みにくいし、曖昧な部分や英語に依存した部分もある代物で、私はかねがねあれは不出来なライセンスだと公言してきた。ライセンスの中身から言えば、コピーレフト(CCの文脈で言えばShareAlike)さえ主張されていれば良いと思うので、CC-BY-SA 3.0へ転換できるということ自体にも特に異論はない。
だが、それはそれとして、現在改訂中のGFDLv2のドラフトは、私が思うに結構良い線行っていたのである。GFDLとは別の新ライセンス(GSFDL)を用意し、GFDLにはその新ライセンスへの再ライセンスを認める条項を盛り込む(私自身はこれを「非常出口(Emergency Exit)」条項と呼んでいた)というのは、今回のGFDL 1.3にも通じる仕掛けだ。まあ、FSFで用意した新ライセンスならともかく、まさかCCのような外部由来のライセンスへの転換を認めるとまでは思っていなかったのだが…。
一般にライセンスの氾濫(proliferation)を懸念する向きもあるが、私としては、実のところライセンスにせよ何にせよ、一つに統一されてしまうのは良くないと考えている。いくつかの有力な選択肢があり、それらで寡占になるのが好ましい。たとえば、GPLとBSDL(あるいはApache License)が共存しせめぎあっているという状況そのものに、オープンソースのエコシステムに緊張や競争をもたらすという点で意味があると考えている。およそ何ごとも改善していくためには、己の鏡、参照項となるものが常に必要だ。なので、CCの対抗馬としてのGFDLの改訂には、今後も参与しつづけていくつもりである。