ソーシャルネットワーキングで鼻つまみ者にされる11種類の行為

 今日のビジネス環境におけるソーシャルネットワーキングの重要性は、ここで言及するまでもないだろう。上手く使いこなせれば、自分の人脈の形成に活用したり、仕事に関する情報を事前にキャッチすることができるはずである。私同様にコンサルタント業で生計を立てている者であれば、この業種における収入の75から100%がネットワーキング活動に関係していることに得心してもらえるだろう。逆に言うとネットワーキング世界での立ち居振る舞いを誤ることは、業務上の手痛いしっぺ返しないしは致命的なダメージとして跳ね返ってくることを覚悟しておかなければならない。

 ネットワーキング世界で自分がしでかした不始末のもたらす危険性に最も高く曝されているのは、いわゆるIT労働者である。コンピュータの相手をすることがメインの業務である人間は得てして対人関係が苦手であり、内気であるが故に自分の殻にこもったり、あるいはそうした自分を誤魔化すために他人に対しては威圧的な態度で接するといったケースがよく見られる。また、LinkedInやFacebookなどのソーシャルネットワーキングサイトでは、こうしたサイトが簡単に利用できて雰囲気も和やかであるため、いつもの職場であれば口外すべきでない発言をしてしまうIT労働者が散見されるが、ネットワーキングの初心者の場合は特にそうした罠に陥りやすい。

 私の場合コンサルタントとして12年の活動経験があり、その間にネットワーキングにまつわる様々なトラブルを体験してきた。一口にIT労働者と言ってもその活動するフィールドは多岐にわたっているが、ここでは各分野で共通して見られる11種類の失敗を再確認することにする。これが教訓となって、読者諸兄がこうしたトラブルを回避することに役立てば幸いである。

1.他の企業や個人の中傷に走る

 同じ業界で仕事をしている同業者だが毎日顔を合わす訳でもないという人間に出会った時くらい、日頃は我慢している上司(現在だけでなく過去の上役も含める)や取引先の企業に対する愚痴をこぼしたくなるのは人情というものかもしれない。だがそうした感情を公の場で発言するのは賢明な行為ではなく、特に採用面接に相当する場では控えるべきである。ネットワーキングの世界とはいえ、特定の人物や企業に対する痛烈な批判を聞かされた側の人間は、それが本当であるかを確かめたくなるものだからだ。またそうした批判をする自分は後ろ向きの見方しかできないネガティブな人間だという印象を与えることにもなる。

 仮にそうした愚痴をこぼす相手が、過去に問題の企業や上司を相手にしたことのある被害者仲間であるならば、このような心配をする必要もないだろう。ただし最初に批判の口火を切ったのが相手側であったとしても、考えなしに迎合することは歓迎できない。そうした場合は、自分がネットワーキング活動に求めているのはフラストレーションのはけ口なのか、それとも人生を豊かにする社交活動なのかを自問してみればいいだろう。

2.許可なく第三者の名前を持ち出す

 ソーシャルネットワーキングの楽しみの1つは、自分の人脈の広さを大っぴらに自慢できることにあるとも言えるだろう。だとしても第三者を知人や紹介人として持ち出すのは、当事者の許可を得てからにすべきである。

 そもそも、そうした場合は当事者の承諾を求めるのが礼儀というものだろう。また外部からはうかがい知れない職場での人間関係的な理由があって、自分の名前を出すのは不都合だという場合もあるかもしれない。

 またIT業界にしろその他の職種にしろ、世間は存外に狭いものであるため、自分が誰それと友人なり知人であるという発言は比較的簡単にチェックされてしまうものである。よってそれが虚偽の発言であった場合、実際この場合は自業自得とはいえ、周囲の人間からは嘘つき呼ばわりされることになるだろう。

3.自分の人脈を誇張して語る

 自分の持つ人脈を過度に誇張することは、許可なく第三者の名前を持ち出した場合と同様の結果を招く危険性がある。確かにLinus Torvalds氏やAndrew Morton氏といった業界の著名人と個人的な付き合いがあることを臭わせれば、希望する職場への就職面接にこぎつけるチャンスは高くなるだろうが、その付き合いの実態が2年も昔に電子メールを1度交換しただけの関係でしかなかった場合、その事実が露見した暁には、嘘つきないしは誇大妄想患者との烙印が自分に押されることになるだろう。

4.露骨な求職活動を展開する

 転職情報を目的としてネットワーキング活動をする場合であっても、あからさまに仕事を求めるような発言をしないというのは暗黙のルールである。そんなものは現実を無視した建て前であると感じられるかもしれないが、少し考えてみれば、この暗黙のルールにもそれなりの意味があることが分かるだろう。そもそもネットワーキングの世界は、個人的な接触のできる非公式な場として成立しているのだが、それはビジネスの現場が個人的な接触を遠慮すべき公式な場であることの裏返しだからでもある。そうしたことを踏まえずに仕事を求めるあからさまな発言をするのは、場の雰囲気を乱す行為でもあり、周囲から空気の読めない鈍感者と見なされても仕方がないのだ。

 また他人の目からすると、そうした行為に走る者は、自分が欲しいものだけを求めてネットワーキング活動をしている人間だと映りかねない。職探しをしている自分にとっては効率性を追及した上での発言であったかもしれないが、周囲の人々にとっては、個人的な交友を結ぶ意欲のないメンバの1人だと受け止められるはずである。そうした反応はごく自然のことであり、例えばあなた自身、身勝手な目的で自分に接触を求めてきた人間には愛想良く応対しようとは思わないだろう。

5.相手からの返答をスパムメールのごとく求める

 マーケッティングの世界では質より量的なテクニックが功を奏するかもしれないが、ネットワーキングはその対極に位置する世界である。こうしたコミュニケーションの質が問われる環境にて助言を求める場合、人海戦術的な攻勢に出ることは逆効果にしかならない。人間どうしの信頼関係を育成しようともせず、知り合いに片っ端から質問をぶつけるという態度を取ることは、ネットワーキングの世界を匿名で生きようとする行為に他ならず、そうした人物について大多数の人間は、自分に用のない連中はどれも群衆の1人に過ぎないとしか見ていない奴だという不快な気持ちを抱くはずだ。

 また広告業界での経験に長けた人間からの善意の助言として、要件を絞り込んだメッセージを送ることは網にかかるまでの時間が長いかもしれないが、スパムメール的な乱れ撃ちをするより最終的にはいい結果が得られるものだという見解を耳にしたことはないだろうか。ネットワーキングの世界でも、その本来のあり方を尊重すれば、それは自分自身のメリットとして跳ね返ってくるはずである。

6.ネットワーキング活動を消極的なものでお茶を濁す

 中年世代によるソーシャルネットワーキングの利用が広まるに従い、Facebookなどのサイトも仕事関係の人脈形成の場としての色合いを強めている。また一方でRyze.comのように、設立当初からビジネス活動を目的としたネットワーキングが存在しているのも事実だ。

 だがどのようなサイトにしろ、ユーザ登録から何年経っていても、その間に行ったコミュニケーションは数えられるほどでしかないという人間が多数存在しているはずだ。ネットワーキングサイトへの登録作業そのものは数分で済む作業だが、この種のユーザはそれだけの時間を無駄に費やしたことになる。私も、こうしたサイトは役立たないと繰り返し不満をぶつけてくるユーザを知っているが、そもそもが自分で使用しなければ有効に活用できないのは物事の道理ではないだろうか?

 ネットワーキングにも様々な活動形態があるが、いずれにせよ自分から積極的に参加しなければ実りある成果を得ることはできない。ネットワーキング世界でもある程度広い人脈を形成した後でないと、見知らぬ人間どうしが友人としての相談を持ちかけられるようにはなれないものである。実生活を破綻させるほどネットワーキング活動に身を入れる必要はないが、お茶を濁す程度の参加しかしない人間は、見返りもそれだけのものしか得られないということを心得ておくべきだろう。

7.ネットワーキング世界で求められた要請に考えなしで応じる

 ソーシャルネットワーキングサイトに登録すると、見知らぬ人間へのコンタクトや、一緒に働いた経験もない人間への助言を求められる場面に遭遇するものである。こうした求めに応じることを契機に人脈を広げようというのは誰でも感じる誘惑であろうが、無節操に応じることで相応の見返りを得られると期待してはいけない。

 ネットワーキング世界の住人は、自分に適さない役割を引き受けてしゃしゃり出る人間のことを実に敏感に嗅ぎ分けるものである。そもそも相手の人物像を知らなければ、お互いに有益な関係を築けそうなものか、あるいは自分が付き合っていけるタイプの人間であるかを考える術がないはずだ。また往々にして、見知らぬ相手への助言を求められるという事態は、自分の人間関係を誇張した結果に自業自得的に訪れるものである(前述の項目を参照)。

8.交友関係の維持に心を尽くさない

 交友関係の成立はネットワーキング活動における単なる最初の一歩に過ぎないのであるが、その辺を誤解している人間が多数存在している。ネットワーキング活動を長く継続していけば行くほど、相互に役立つ意見を交換する機会が増えることで信頼関係が育成され、双方にとってより有益な関係にと成長するものである。逆に交友関係が成立しただけの時点で立ち止まってしまうことは、必要があれば相手側からコンタクトを求めてくるだろうという態度を決め込む場合と五十歩百歩程度の違いしかないとも言えよう。結局のところネットワーキングを有効に活用するには、自分から積極的に行動するのが不可欠なのである。

9.他人の時間を無駄にさせても何ら気に病まない

 ネットワーキング活動をしていると、自分とのやり取りをしている相手は他にもやるべき仕事を抱えているのだということが、当たり前の前提として考えられるようになるものだ。そしてこれは今から職探しに使用しようとする場合に特に当てはまることであるが、他人の手を煩わす行為をこちらから持ちかけることは可能な限り慎むべきであり、また本来の関係から逸脱した要件を求めるのも避けるべきである。例えば知り合ったばかりの相手でも、間近に迫ったコンファレンスの案内を転送してもらうよう頼むくらいは問題ないはずだが、自分専用にRubyの個人レッスンをしてくれと頼むのは無理があるはずだ。

 私の経験においても同業者の1人から、彼女の会社の空ポストを埋める適当な人材の紹介を頼まれたことがある。それに応じて私は何人かの適任者を探して、その中から1名を推薦した。ところがその数日後、彼女からその求人案件は人材企業に依頼することに決めたとの連絡が告げられたのだ。つまり私および推薦した人物は、数時間分の作業を無為に費やしたことになる。貧乏くじを引かされた私たち2人は、この同業者からの相談事は今後慎重に検討する必要があるという点でお互いに納得し、失礼な扱いを受けたものだとの思いを共有することになった。

10.交友関係を壊しかねない行為に走る

 これはまた別の企業での求人に関係して昨年の夏に経験した出来事だが、知人の1人に対して、そこでのポストの空き状況について仲介すると約束したことがあった。そして1週間も経つとこの知人は私に向けて、毎日の電子メールと1日おきの電話とで連絡を求めてくるようになったのである。その求人案件に関して私は何らの影響力を行使できる立場にはなく、単なる仲介者の1人に過ぎなかったため、この知人には最終的な決定が遅れているようだと告げることしかできなかった。1度彼の代わりに進捗状況を問い合わせたこともあったが、最終的にこの知人に対しては頻繁なアクセスを控えてくれるよう頼んだところ、気分を損なった同氏は、その後二度と連絡を入れてくることもなくなってしまった。共通の知人からその後知らされたところでは、私が彼の信頼に応えられなかったと、本人自身は思っていたそうだ。

 この件で失望していたとしても、それはこの人物自身の責任というものであろう。自分にとって役立つ可能性のあった人的チャンネルの1つを、過剰な行為に走ることによって、彼は自分で失ったのである。

 この事例を他山の石として自分の身に降りかからないようにするには、自分から出した請求についてのフォローアップは必要最小限に留めておくことだ。明確なデッドラインの設定されていない案件であれば、1週間に1度程度の問い合わせ頻度で充分であろう。そして数週間経っても最終的な返信がもらえなければ、今回は縁がなかったものと覚悟を決めることも肝心である。

11.一方通行的なネットワーキングの使用法をする

 ネットワーキング活動を有効に活用するには、お互いに有益なものを提供し合うことである。よって、自分に役立つものを提供してもらいたければ、自分から進んで相手の助けになるよう努めなくてはならない。例えば自分に求められた助言や紹介を無視したり、私の同業者の1人がそうであったように何かと理由を付けて断り続けることは、自分の役に立ってくれるかもしれない周囲の人間を徐々に失っていくことになる。同様に、自分からは手間のかかる多数の要請を出しておいて、数の上では同数とはいえ、質的にはごく些細な返礼しかしなかった場合も、結果は同じことである。

 ネットワーキング世界の場合、好意に対する返礼は必ずしもその場で目に見える形で示す必要はない。むしろそうした形式ではやり取りしない方が普通だと言えるだろう。この世界の住人は、自分が誰かの役に立つ行為をした分だけ、いつか何処かで同じ分量の支援を相手に求められるだけの権利を獲得したと考えるものなのである。そうした考えを尊重することこそが、ネットワーキング世界での正しい生き方だとも言えよう。

まとめ

 本稿で解説した数々の失敗を自分が犯さないようにする最善の方法は、己の行為は周囲の人々にどう映るべきかというイメージを常に意識し続けることかもしれない。自分の言葉遣いや行動を仲間達がどう受け止めるかを自問するように心がけることは、こうした失敗を回避できるだけでなく、ネットワーキング活動を実り豊かなものとする第一歩となるはずだ。

ITManagersJournal.com 原文