革新の伝統に立ち返るFedora 8

 ソフトウェアのメジャーアップデートと一口に言っても、すべてが同じくらいに重要であるというわけではない。たとえばFedoraの最近の2つのリリースを比べてみれば良い。Fedora 7では、舞台裏的な部分の改良が行なわれたり、外部の一般の人々にも吟味できるようにリリースプロセスが公開されたりはしたものの、デスクトップユーザの目に見えるような改良点はほとんど提供されなかった。対照的にFedora 8 Test 3から伺い知れるように来月予定されている次期リリースのFedora 8は、革新的な新技術を幅広く導入するというFedoraの伝統に立ち返るものになるようだ。そのような新技術の中には、新しいファイアウォールツールなどプラスではあるが些細なものもある。一方、Javaの一バージョンであるIcedTeaCodec Buddyなどのような新技術はまだ不備な点もあるものの、やがては他のディストリビューションにも含まれるようになる可能性を秘めたものだ。

 過去の7つのFedoraのリリース(及びRed Hatのリリース)を経たFedoraは、ディストリビューションの多くの面に関して定番化してきた。前リリースと同様にFedora 8も、ネットワークインストールか、あるいは、GNOME版またはKDE版の2枚組みライブCDからインストールすることができる。インストーラのAnacondaは最近のリリースのものと比べて壁紙以外にはあまり変更はなかった。またソフトウェアのインストール用のyum、Pirut、Pupについても目に見えて高速化していたこと以外には大きな変更はなかった。

 同様にSELinuxを中心とするセキュリティツールにも大きな変更はなかった。なお、Fedora 8には、理論上消費電力とCPUの発熱を抑えることができるticklessカーネル(2.6.23カーネル)に加えて、GNOME 2.20、OpenOffice.org 2.3、Firefox 2.0.0.6など、これまで通り、定番のあらゆる生産性ツールの最新版が備わっている。

 またFedora 8では、新しいデスクトップを導入するというFedoraの伝統もこれまで通り維持されている。Fedora 7のデスクトップはエアブラシで書かれたやや派手な感じのテーマだったが、それに対してFedora 8のテーマであるInfinityはまったく逆の方向性を持つミニマリスト的なテーマで、デフォルトの壁紙はいくつかの飛行機雲が集束している様子を表わしている。

 以上のような基本的な部分にも不備がないわけではない――例えばインストーラはデスクトップの選択肢にXfceも含めた方が良いだろう――しかし全体的には、ほとんどのユーザにとって妥当なオプションが揃っていて手堅いものになっている。そのようなしっかりとした基盤があるため、Fedora 8は革新的なことを行なうことができる強固な状態にあり、それを実際に行なっているということは、たとえ革新が常に成功しているわけではなくてもFedoraコミュニティにとって名誉なことだ。

ファイアウォールの設定

 Tomboyメモ用アプレットがトップパネル上にデフォルトで含まれるようになったことを除けば、最も注目に値する新機能はsystem-config-firewallだろう。Fedora 7のsystem-config-securitylevelツールではファイアウォールの設定が高レベルなSELinuxツールと一緒にまとめられていたのだが、それはファイアウォールについての経験があるユーザに対してしか意味のあることではなかった。Fedora 8では一見したところは新しいFirewall Configuration(ファイアウォール設定)ダイアログが単にServices(サービス)ダイアログと一緒にまとめられただけのようにも思われるが、しかし使い始めてみると、初心者に優しい警告やアドバイスが至るところに追加されていることが分かる。ただし、それらはくどくどとしていて英語の文法もあまり正しくない。

 残念ながらそれらのアドバイスは不完全であり、その結果ユーザはOther Ports and Custom Rules(その他のポートとカスタムルール)枠内では結局自分の力を頼りに考え直す必要がある。ツールのウィザードについても始めにいくつかシステムの接続方法に関する基本的な質問をしてきたので期待が持てたのだが、ファイアウォールの項目のところで初心者か上級者かを選んだ後、何が変更されたのかについての情報がまったく告げられないままメインウィンドウに戻ってしまいユーザを立ち往生させてしまう。このツールは設定の難しい項目についてユーザを手助けすることができるようになる可能性を秘めてはいるものの、Test 3の段階ではまだその可能性は実現していなかった。

Codec Buddy

 FedoraのCodec Buddy(別名Codeina)は、UbuntuのRestricted Drivers Managerやautomatic codec installに似たものだ。これらのツールはすべて、無料でダウンロードすることができても非フリーのライセンスの下にあるコンポーネントを含めるのは禁止するというフリーソフトウェアの倫理をプロジェクトとして優先したいという考えと、多くのユーザはそのようなコンポーネントをとにかくインストールしたいと思っているという現実との間での妥協点を見い出そうとする試みだ。

 私はFedoraのフリーソフトウェア重視の考え方を支持しているが、その一方でCodec Buddyが現実をあまりにもしぶしぶ受け入れている様子を滑稽に感じてしまったことも事実だ。冒頭のメッセージでFedoraは次のように警告している。「Fedoraは、実装したり配布したりするのに特許ライセンスが必要なオーディオ/ビデオコーデックの使用を容認しているわけではない。……そのような特許の存在が原因となって、そのようなコーデックのフリーソフトウェア実装があなたの居住国では合法ではなかったり、あなたが再生したいファイルがフリーな形式で利用可能にはなっていない可能性がある」。

 上記のような小言を聞いてからでないと、FluendoのMP3オーディオコーデックをダウンロードすることのできるサイトに行くことはできない――ただしありがたいことに次回からは表示しないように設定することが可能にはなっていた。また少しまぎらわしいことにCodec Installerは、無料でダウンロードすることができずCodec Buddy経由で利用することもできないFluendoの他の製品もいくつか表示していた。ライセンスを受け入れた後は、ダウンロードへと進むことができるが、Codec Buddyは重要な点――すなわち、コーデックを実際にインストールするためにはSELinuxを「Permissive」に設定する必要があるという点――を告げることを忘れていた。

 コーデックインストーラの数が増えてきているが、そこまで取り組むだけの価値があることなのか、またコーデックインストーラを利用するのではなくFedoraの非公式な非フリーレポジトリであるrpm.livna.orgからLAMEパッケージをインストールする以上のプラスがユーザにとってあるのか、ということに関して私は疑問に感じている。

 またそのような機能的なことはさておき、そもそもFedoraのようなコミュニティディストリビューションとFluendoのような一企業との特殊な関係を持ち込むことは多くのユーザを不安な気持ちにさせる可能性のあることだろう。Codec Buddyのような類いのものが他のディストリビューションでも普及するかどうかはまだ分からないが、フリーソフトウェアについての議論をいくらか引き起こす可能性があるのではないかと思う。

IcedTea

 以前のFedora CoreリリースでFedoraは、EclipseやOpenOffice.orgといったアプリケーションを完全にフリーソフトウェアだけで実行することを可能にするGCJ(GNU Compiler for Java)を最も早期に含めたディストリビューションの一つだった。それ以来Fedoraでは、Javaの代わりの役割を果たすためにGCJが利用されてきた。

 ご存じの通り最近ではJavaのソースコードの大部分が公開されているので、残りの部分をGCJとOpen JDKのハイブリッドとして用意し、フリー版のJavaを実装しようとしている最中だ。

 Fedora 8ではJavaの代わりとしてはIcedTeaを利用し、Firefox用のプラグインにはGCJを改変したものを使用していて、性能が強化されていると主張している。そのような主張を実証することは一般的に難しいが、この場合は大方のところは事実であるようだ。一部のプラグインでJavaを必要とするOpenOffice.orgは、IcedTeaをSun Java 1.7として認識した。また、インターネット上のJavaアプレットを無作為に試してみたところ、IcedTeaは実際に主張通りの、より優れたフリーなJavaであるようだった。

 とは言え「より優れた」というのは「完璧である」ことと同じではない。Fedora 8では以前のバージョンよりも数多くのJavaアプリケーションを実行することができるようになったものの、IcedTeaはまだSunが提供しているJavaに完全に置き換わるものではない。どうやら一部のクラスパスがまだ実装されておらず、また1.5以前のバージョンを必要とするアプリケーションの互換性が怪しい状態であるようだ。

重要なのは今回の成否ではない

 以上はFedora 8で予定されている新技術のすべてではない。Enlightened Sound Daemonに置き換わった、(複数のプログラム間で協調的にサウンドデバイスの利用が可能になるという)PulseAudioも試してみたかったのだが、今回のところは使用したテスト用システムのサウンドカードをFedoraが検知してくれなかった。また消費電力状態の切り替えの改良やバッテリの持続時間の向上など、ノートPC全般の改善点についても試してみたかったのだが、今回はデスクトップマシンしか用意することができなかった。

 その他の改良は、主に人目に付かないような部分に対して行なわれている。例えば、ticklessカーネルの採用や、デフォルトのブートシーケンスからXFSフォントサーバが取り除かれたことなどがある。また、Fedoraの翻訳者が上流プロジェクトへより簡単に寄与できるようにするためのTransifexについても平均的なユーザの目にはおそらくとまらないだろう。

 Fedora 8を見れば、FedoraコミュニティがFedoraの革新性を誇りにしていることがはっきりと分かる。プロジェクトのwikiにある各変更点についての公開文書を見れば、ロードマップをはっきりと見通すこともできる。そのような新技術の中で、wikiでは「完了」となっているにも関わらず不備な点や制限があるようなものがあったとしても、それは避けることができないことのように思われる――新しい方向性を探ろうとする非常に数多くの試みが行なわれているため、そのうちの一部のものは、特に初めてリリースされる際には、失敗する(あるいは他と比べてあまり成功しない)ということがどうしてもありうる。Fedoraの挑戦や試行錯誤は評価に値する。初期の段階ではおそらく、完璧な成功よりも挑戦や試行錯誤を行なうことの方がより大切なのだ。

Bruce Byfieldは、Linux.comとIT Manager’s Journalに定期的に寄稿するコンピュータジャーナリスト。

Linux.com 原文