Codec Buddyを使ってハームリダクションに取り組むFedora
Codec BuddyとはCodeinaベースのプログラムで、Fluendoの商用サイトへリンクすることによりコーデックに対する簡単で合法的なアクセスを提供しつつも、ユーザに対してフリーソフトウェアを啓蒙しようともしている。しかしFedoraの理事会やコミュニティリーダたちは、この解決法を選んだことに少なからぬ葛藤を感じているようだ。
より商業的なディストリビューションでは、この問題はほとんど存在もしないだろう――ディストリビュータの企業が非フリーのコーデックをディストリビューションに含めるための契約を結べば問題は解決する。逆に、Debianのように公開議論が慣習となっていて、非フリーのレポジトリ根絶の議論が過去数年の間に何度も提起されているようなディストリビューションでは、Codec Buddyのような解決法は直ちにコミュニティに抗議の嵐を引き起こすだろう。しかしFedoraのユーザ用メーリングリストから推し量る限り、Fedoraコミュニティにおいては、ソフトウェアの自由を公然と支持するということよりも、システムを動かすという実利的なことの方により強い関心を持っている人が多いようだ。Fedora理事会の議長を務めるMax Spevack氏によると、Codec Buddyをディストリビューションに含めることに対する反論はFedoraの理事会にはほとんど届いていないという。また実際、Ronald S. Bultje氏の3月のブログ記事に対するコメントのように否定的な批判も確かにいくつかは見られるものの、探さなければ見つからない程度しか存在しないというのが事実であるようだ。
このような状況なので、Fedoraの理事会とコミュニティリーダーたちにとって、Codec Buddyに関する方針の決定は言わば勘頼みの状態だ。一方では、Fedoraは常にフリーソフトウェアのみを含めていることを誇りにしてきたディストリビューションだった――折しもFedoraのマーケティング用メーリングリストでは今月、「自由が強み」という言葉をFedoraディストリビューションのスローガンとして検討していたほどだ。しかしもう一方では、FedoraのリーダーたちがFedoraユーザを顧みずに突っ走ってしまえば信頼が失われる恐れもある。Spevack氏は「説教がましくなり過ぎるのは危険だと思う」と述べた。
Spevack氏はさらに「皆、この種のものを欲しがっている。そしてFedoraユーザならば皆、欲しいものを提供してくれるサードパーティのレポジトリがあることも知っている。しかし法的な理由から、FedoraはサードパーティのレポジトリについてFedoraのwikiやリリースノートの中で取り上げることができない。したがって、そのような存在についてはまったく触れず、そのようなものの入手方法はユーザに自力で見つけ出してもらうことにするか、あるいはユーザが抱えるそのような問題を解決するための合法的な手段をFedoraが提供するようにして、それを啓蒙のための良い機会として利用するようにするかのどちらかだ」と述べている。
Fedora 8での解決法は、ディストリビューションにCodec Buddyを含めて、Fluendoの合法的だが非フリーのコーデックにリンクするということだった。同時にCodec Buddyは、起動時に次のようなメッセージも表示する。「Fedoraは、実装したり配布したりするのに特許ライセンスが必要なオーディオ/ビデオコーデックの使用を容認しているわけではない。そのような特許の存在が原因となって、そのようなコーデックのフリーソフトウェア実装があなたの居住国では合法ではなかったり、あなたが再生したいファイルがフリーな形式で利用可能にはなっていない可能性がある」。なおこのメッセージは初回に一度表示された後は表示をオフにすることができる。
Spevack氏はCodec Buddyを含めたことについての弁明として「どのディストリビューションもどちらかに決断しなければならない問題として、非フリーなものを含めるということと非フリーなものへのアクセスを許すこととの間にある一線を越えるかどうかという問題がある。Fedoraはまだ、非フリーなものを含めることはしていない」と述べた。しかし同時にSpevack氏は、このようなハームリダクション式の解決法が「偽善的な印象を与える」ことを懸念している。
さらに、あまり議論されていない別の問題点として、コミュニティベースのディストリビューションであるFedoraが商用のソースにリンクしているということの意味がある。Spevack氏によると、FedoraとFluendoの間に形式的な契約はまったく存在しておらず、またFedora経由でFluendoを利用したユーザに対する報酬をFedoraが得ているようなこともないとのことだ。「はっきりと述べておくべきだろう。FedoraとFluendoの間に、収益を分け合ったりビジネス的な契約をしたりといった、正式な契約はまったく存在しない。あるのは、現時点でCodec BuddyがFluendoにリンクしているという事実だけだ。FedoraがFluendoを利用している理由は、上流プロジェクトのCodeinaの開発に協力していた2人のFluendoのエンジニアが長い間Fedoraにも協力してくれているためだ。しかしFedoraはリンクを明日にでも変更することができる」。
とは言ってもやはり、特に商用ディストリビューションよりもコミュニティディストリビューションの方がユーザ的には信頼が置けると考えて支持している反企業的な考えを持つ人々からは、Codec Buddyの現在の設定は、コミュニティディストリビューションと商用ディストリビューションとの間に通常は存在する違いをぼかすものとみなされる恐れがある。
これらの問題は複雑であり、Spevack氏は自分がジレンマに陥っていることを率直に認めている。「これまでFedoraに関する大きな議論の多くについては、どちらの側を取るかを私はいつも非常にはっきりと意思決定することができていた。しかし今回の件は私にとっては最もややこしく微妙な議論だ。(Codec Buddyをディストリビューションに含めることについて)私が耳にする賛否両論の様々な主張のすべてに妥当性を見い出すことができてしまう」。
「これらの主張をすべて満足させるということが難しい。まるで数学の最適化問題の大規模なものを解いているようだ。考えられるトレードオフや利点があれこれとあって、Fedoraユーザに何らかの利益をもたらすような解を見つけ出そうとしている」。
Spevack氏はCodec Buddyが妥協の始まりであり雪崩的に多くの妥協をし始めるきっかけとなり得るものと多くの人にみなされる恐れもあるということに賢明にも気付いている。しかし「そのような雪崩的な妥協の始まりなどとみなされていないのは何故かと言えば、それはFedoraコミュニティとそのリーダーたちが、Fedoraの基本的な価値観に対する裏切りだと感じるようなことをするのを黙って許すことはないという事実だ」と述べた。
現在のところFedora 8はCodec Buddyと制限付きのコーデックに対する警告とを含めたまま――注意深く――先へと進んでいる。Spevack氏は「Codec Buddyに対してどのような反応があるか待ってみようと思う。人々がCodec Buddyを使うかどうか、また、人々がそのような問題に関心を持つかどうか。われわれがFedoraでこのようなことを試さないのであれば、われわれは、Fedoraがやろうとしていることに対して誠実ではないということになる。Fedoraがやろうとしていることというのは、多くの人々に使ってもらって、彼らがどのような反応をするのかを知ることのできるチャンスを新しいソフトウェアに与えるということなのだ」と述べた。
Bruce Byfieldは、Linux.comとIT Manager’s Journalに定期的に寄稿するコンピュータジャーナリスト。