FSFはGPLv3の変更を分割すべし

解説:GNU General Public Licenseの3番目のバージョン(GPLv3)を策定するプロセスは、命運が尽きたわけではないが、Linus Torvaldsらのカーネル開発者の批判が厳しいことで失速した様子だ。プロセスがこれまでと同じ方向に進んだとしても、現在GPLを利用している大勢のユーザが新しいライセンスに切り替えない可能性がある。その結果がもたらす重大な影響のリスクをあえて受け止める覚悟がフリー/オープンソース・ソフトウェア(FOSS)コミュニティにあれば別だが、そろそろ戦術を見直す時期だろう。

GPLv3が厄介なのは、15年分の変化が丸ごと入っていることである。そういった変化の一部 ─ たとえば文言の明確化やさまざまな国際的な司法権との親和性の改善、BitTorrentダウンロードへの対応などは ─ 個別に同意できるのであれば、ほとんど反対意見なく受け入れられるだろう。GPLv2の方を好む人々も、そういった変更がライセンスを理解しやすく使いやすくするために必要な改良だと、おそらく認めるだろう。

それ以外の変更は ─ たとえばデジタル著作権管理テクノロジと特許などは ─ 程度の差はあれ賛否が分かれる。しかし、ステークホルダーは、意見の分かれる部分を個別に受け入れたり拒否したりはできない。GPLv3全体を受け入れるか拒否するか、2つに1つである。このすべてかゼロかの条件が、コンセンサスに達する可能性を大幅に減らしている。

1つの解決策として考えられるのは、ステークホルダーが条項を個別に受け入れたり拒否したりできるようにし、新しいライセンスを策定することだ。これを実現する戦術は少なくとも2つある。

1つ目の戦術では、Creative Commons Licenseをモデルとし、GPLv3を一般セクションと一連の条件に分ける。一般セクションはGPLv2と同じテキストとなり、おそらく文言の明確化と国際化対応の修正を加えることになる。条件部分は、賛否が分かれる条項の集まりで、ユーザは好みに応じて条項を取捨選択できる。この変更を行うには大量の書き直しが必要だが、実現性は予想されるほど低くはない。というのも、GPLに条項を付け足しただけのバージョンとしてLesser General Public Licenseを策定したときに、既にGPLv3のドラフト作成者は第2ドラフトでこの方向に一歩踏み出しているのである。問題は、賛否の分かれる部分をオプションとして残すことにFree Software Foundationが同意するかどうかだ。また、この戦術はDebianにおけるGNU Free Documentation Licenseの扱いと同じ状況につながる可能性もある。ライセンスの一部の形態は受け入れ、それ以外の形態は受け入れないという状態である。

2つ目の戦術では、すべての変更を一気に受け入れることは断念する。すべてのセクションへのコンセンサスに一気に達しようとするのではなく、賛否の分かれない部分から始め、変更を複数のリビジョンで段階的に導入するように目標を切り替える。この方法だと、変更に対する調整を行い、賛否の分かれる部分について必要なだけ議論する機会がすべての人に与えられる。なによりも、これでプロセスの安全が確保される。すべてかゼロかの状態にコミュニティを置くのではなく、複数のリビジョンがあれば、仮にプロセスがどこかで頓挫したとしても、少なくとも多少の改良は残される。言い換えれば、安全で信頼できる選択肢は残る。

おそらくこれと同じぐらい重要なのは、一方的に決められた期限が作り出す偽りの切迫感が取り除かれることだろう。FOSS開発者は、厳格な期限にとらわれることの愚かさをよく知っている。FOSSライセンス作成者が知っていけない理由があるだろうか? 

Eben Moglen氏はこのプロセスに参加するカーネル開発者への招待文を改訂したが、そこではプロセスそのものへの疑問は無視されているので、戦術の変更はおそらく行われないだろう。新しい戦術の採用は現在の戦術の失敗を認めることを暗に意味し、失敗を認めることはこれまでプロセスに費やされた時間を考えれば簡単にできることではない。それでも、方向の転換がFree Software Foundationの威光に与える打撃など、プロセスの完全な失敗が与える打撃と比べれば無いようなものだ。また、FOSSコミュニティがGPLv2とGPLv3の共存に耐えられたとしても、そういった状況のせいでコミュニティの団結の一部が失われるという別の可能性もある。特に、最近の議論にも兆しがあるように、オープンソースとフリーソフトウェアの支持者を連帯ではなく対立させるかもしれない。

現在GPLv2は多くの賞賛を得ているが、もしコンセンサスを追い求めていたとしたら、GPLv3と同じぐらいの批判を浴びたのではないだろうか。おそらく、GPLv2が受け入れられたのは、その内容が完全だという理由よりも、使用できる状態になっていたという事実からである。ほとんどの人にとって唯一の比較対象となる商用ソフトウェア・ライセンスと比べれば、ある変更を万人が受け入れるというのは過激すぎる。

GPLv3は第2ドラフトの段階にあるが、プロセスと内容の変更を検討するにはまだ遅くはない。このような道半ばでの変更は不都合を生むが、現在地点での足踏みがもたらす事態の深刻さに比べれば些細なものである。

Bruce Byfieldは、コースデザイナ兼インストラクタ。またコンピュータジャーナリストとしても活躍しており、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿している。

NewsForge.com 原文