FSFに辟易するLinus Torvalds氏
Moglen氏は上記の案内において次のように述べている。
先頃のLinuxカーネル開発者の方々からの声明書とFree Software Foundation(FSF)による回答をふまえて、GPLv3策定プロセスのとりまとめ役としての個人的な見解を申し上げたい。
まず、カーネル開発者の方々による今回の意見表明を私は歓迎している。私的なやりとりで再三述べてきたことを公の場で改めて述べさせてもらうが、現在進めている議論のプロセスに彼らカーネル開発者を迎えるためなら、私はどんな手段も辞さないつもりでいる。どのような方法でも構わないので彼らの考えを聞かせてもらいたいし、策定プロセスは終盤に入っているとはいえ、彼らと協力してGPLv3に関わる審議に参加できる状況を作り出すことを私は確約する。そうすれば、GPLv3には彼らにとって好ましいやり方が反映され、開発者コミュニティにおける彼らの立場に適したものになるだろう。
一方のTorvalds氏に対しては、Moglen氏の申し出を受けてGPLv3の策定プロセスに加わる気はないのかと電子メールで尋ねてみたのだが、Moglen氏にもカーボンコピーが送られたTorvalds氏の返信は、次のように素っ気ないものだった。
FSFを除く誰もが私のメールアドレスを知っているようだが、当のFSFが知らないというのは不思議なことだ。
GPLv3にTivoに反対する条項が含まれているのはまずいと思う。私はそのことを一部の人たちに(プロジェクトの自由は極めて重要であり、その(成果物の)使用方法を制限するようなライセンスの条項はどんなものであれ認めるわけにはいかない、と)説明しようと試みたのだが、ほかの人たちがその説明を行った際にFSFは「使用(use)」という言葉がどのように誤用されていたかを指摘してみせただけだった。
だが今ではFSFにすっかり嫌気がさして関心すら失ってしまった。まさかこの期に及んでFSFが私の見解を知らないなどと言い張ることはないだろうが、いったい彼らは私に何を求めているのだろうか。
カーネル開発者に対して月曜日に出されたFSFの回答は、反DRMの条項を「使用目的を制限するもの」として位置づけていることに異議を唱えるものだったが、カーネル開発者たちが反DRM条項について言及したそれ以外の主張には触れられていない。
事実、このFSFの回答は、カーネル開発者から提示された懸念事項のいずれにも注意を向けておらず、それよりも声明書における些細な誤りを正すことに主眼を置いたものになっている。カーネル開発者による声明に関する疑問に答えてもらおうと何度かFSFにインタビューの申し入れをしたが、すべて拒否された。Moglen氏もまた一切の質問への回答を、SFLCを介してではあるが、断ってきた。
TiVoの阻止はTiVoそのものより悪い
Torvalds氏は、前述のメールをMoglen氏にccしたのはGPLv3のドラフトに関わる同氏の立場を考慮してのことであり、GPLv3に対する自分の態度はすでに明らかになっているはずだと話している。また同氏は、以下の文面に示すように、反DRM条項の削除は自分の懸念を解消するのに大きく貢献するだろうとも記している。
Eben(Moglen氏の名)、私はアンチTivoを標榜する運動はすべて間違っていると思う。もし君が、プロジェクト(の成果)を好きなように使うことはできないという言い回しを撤回してくれるなら(そして私が、法的にそれが「頒布(distribution)」や「使用」についてのものかどうかを気にせず、ただ現実的に使い方の観点についてのものであってほしいと思っているだけなら)、私の抱えている極めて根本的な不安は、ほとんどすべて消えるのだよ。
ほかの人たちも特許関連の言い回しについては気にしているかもしれないが、少なくとも私は一個人として「Tivoization(Tivo化)」という用語そのものと、Tivo化を「阻止」しようとする新たな言い回しすべてに対して心から嫌悪感をおぼえる。Tivoを阻止することは、これまでのTivo自体よりもずっと大きな問題だと思っている。
しかし、反DRMの言い回しを除去するには、Tivoによってコントロールされているハードウェア上でプログラムの特にどのバージョンを彼らが実行するのかをコントロールしようとするTivo(ハードウェア)のようなものは確かに問題がないこと、GPLv3に従うプロジェクト(の成果)をGPLv2が利用できるのとまったく同じ状況で実際に使うことができることを広く知らしめる必要があるだろう。
(問題はTivoだけではなく、医療用供給品、制約付きのアップデータを備えた携帯電話など、とにかくあらゆるものだ。また、暗号化法は基礎的なテクノロジなので認めないわけにはいかない)
それが彼らのハードウェアだ。私は、ライセンスの中で「環境」にまでコントロールを要求したくはない。私が求めているのはソフトウェアの改善であって、権力への鍵ではない。プログラムが実行される「環境」(またはプログラムを配布するメディア)まで開いて確かめる必要はなく、プログラムだけでよいのだ。
しかし、現状のGPLv3では、非常に基本的な形でGPLv3を使用するプログラムに対して、これまでにTivoがLinuxに課してきた以上の制約を課すことになってしまう。Tivoは決して他者によるLinuxの使い方まで制限することはなかった。また、GPLv3はプロジェクト(の成果)がどのように使用されるかを制限しようとしている。このようなGPLv3は、実際には自由を制限するライセンスであって、その逆ではない。
Torvalds氏は主として反DRMの条項に反対しているようなので、仮にFSFがこうした条項をGPLv3の最終版から削除したとしたらGPLv3への移行を検討するのか、と尋ねたところ、Torvalds氏の答えは、たとえそうなっても、かつてのカーネルコードの作者に配慮し、自分だけの考えでカーネルのライセンスを書き変えるようなことはない、というものだった。
「現在のコードの作者からライセンスの書き換えに対して懸念の声が出れば、今後の可能性に言及して書き換えに賛成するどんな声よりもずっと重く受け止める。しかし、反Tivo化の条項がなくなれば、私自身が激しく反対することはなくなるだろう」
NewsForge.com 原文