Linus Torvalds氏がGPLv3策定プロセスに参加しない理由
また同氏は、自分の反対意見が誤解ないし誇張されている可能性についても指摘している。「GPLv3が“絶対悪”だと主張している訳ではありません」と同氏は語り、「そうではなくGPLv2のような、誰もが認める優れたライセンスとはなり得ない、と言っているだけです」ということになる。
一方で、そのメンバがGPLv3の草案作成に関与しているSoftware Freedom Law Center(SFLC)にて広報担当を努めるJim Garrison氏によると、「Linusはこのプロセスの開始劈頭から、自分の参加が積極的に求められていると、個人的に思いこんでいたようですね」ということになる。
こうした見解に対しTorvalds氏は、同氏が招待されていたとすれば、それは「あらゆる人間の参加を歓迎する、という触れ込みでしたから、そうした意味では、私も招待されていた1人になりますかね」と答えている。ただし同氏は、GPLv3委員会の業務はその大部分が電子メールないしIRC上で行われていることを知らなかったようで、「私が何らかの委員会のメンバになっていた可能性は、それなりの確率であるはずです。シカゴあたりで開かれたミーティングだって、多分そこに参加するための飛行機代を誰かが肩代わりしてくれたでしょう。もっとも、そんなことをするだけの価値があったとは思えませんが」という発言も行っている。
そうした活動の代わりにTorvalds氏が提案していたのは、1月の公開前に第1草案に目を通して同氏がコメントを加えることであった。「この提案は拒否されました」とTorvalds氏は語る。「Eben (Moglen)さんは、公開後の草案に逐一目を通すつもりだと言っていましたが、同じものを私にも送ってコメントを受け取るつもりは更々無いようでした。という訳で、GPLv3のプロセスに私が関与する余地は無くなり、私の方としてもそうした働きかけはできなくなった次第です」。
最終的にTorvalds氏が語ったのは、「この件に双方がやる気がなかったのは、別段驚くことではないんですよ。FSFがGPLv3で行おうとしていることに私が賛成していないのは、向う側も承知していますからね。Eben(Moglen)やRMS(Richard M. Stallman)にとっても私の意見は聞き慣れたものでしょうし、こうした食い違いは目新しいものでもなく、GPLv3が原因で生じたというものでもないはずです」という内容であった。
委員会という制度
Torvalds氏は、自分は委員会という制度を毛嫌いしているため、いずれにせよ参加を拒否したはずだと述べている。「私は、委員会という方式が有益な成果をもたらすことは絶対に無いと思っていますし、ミーティングの類も大嫌いです。私が考えるに、委員会というものが設立されるのは、関係者が責任を回避したいと思った時であり、もっと言えば、全員の“総意”という名目で自分の意見を押し通したい時なのです。私が電子メールで仕事をしているのも、それなりの理由があるんですよ」。
更にTorvalds氏が示唆するのが、GPLv3委員会は「通常以上に秘密主義に陥っていました」という点である。同氏によるとこの委員会は、基本的に外見を取り繕っているだけであり、「FSFのすべてはオープンに行われていると主張する」ために組織されている、ということになる。「今回のプロセスも、決してオープンな形で行われてはいません。この委員会では、リリース前に草案の内容を口にすることは禁止されていましたし、その後に審議過程の様子やメモ類が公開されたこともありません。プロセスをオープンにしたいなら、自分たちの内幕を外部に曝す必要があり、そうしてこそ公開の場におけるオープンかつフリーな意見交換が行えるはずです」。
「事実(この委員会の)多数のメンバが大きな不満を感じていて、できるなら全面的に手を引きたいと考えていたことを私は知っています」とTorvalds氏は続け、「それでも彼らが協力を続けたのは、部外者を決め込むよりも参加していた方が、少しはましな影響を最終的な結果に及ぼせる可能性があると考えていたからです。例えば私の知り合いのカーネル開発者の1人(名前は伏せておきますが)は、法務担当者からの質問状を私宛に転送して、こうした状況に対して彼らが何をできるかについて、私の意見を求めてきました。それで私としては、彼らの多くが不満を抱く一方で何もできない状態に置かれていると考えた次第です」としている。
Torvalds氏がGPLv3委員会について感じ入ったのは「物事の進め方」という点とのことだ。
「FSFの人間と話したことがあるでしょう」と同氏は前置きし、「彼らはたいてい、これは業界のあらゆる分野からの人材を募った委員会であって、ここでの成果は広範な意見を取り入れたものであると強調するだけでしょ? それは、宣伝文句としては結構な主張のはずです。でも結局は、自分たちの成果に対しては何らの反論も出されたくない、と思っているだけなんですよ」としている。
オープンソース対フリーソフトウェア
Torvalds氏が抱く委員会への嫌悪感やFSFへの不信感の背景には、フリーソフトウェアよりもオープンソースの方が望ましい理念だと見なす同氏の心情が横たわっている。この手の話題に通じた読者にとっては承知のことだろうが、こうした2つの理念には共通する点が多く存在する一方で、両者が非プロプライエタリ系ソフトウェアを歓迎する理由という観点から見ると、フリーソフトウェア擁護派は、それは言論の自由(フリー)と同様の権利だと考え、オープンソース擁護派は、それは優れたコードを生み出すための手段だと考えているという、基本的な違いが存在している。FSF反対派の重鎮の1人であるTorvalds氏が、彼自身をオープンソースコミュニティの構成員の一員だと見なしているのは間違いない。
Torvalds氏は現行のGPL(GPLv2)について、「フリーソフトウェア派とオープンソース派の双方が、非常に好ましい形で折り合える存在です。人々が置かれた状況や理想とする信念は様々であり、またそうした主張に対する熱の入れ具合もまちまちですが、GPLv2は誰もが自然と合意できる内容であり、これまで多くの人々に受け入れられてきたのも、そうした理由があるからです」としている。
これと対照的なのはTorvalds氏によるGPLv3の受け止め方で、「私の見るところGPLv3は、こうした共存が行えないよう、あからさまに作られています。何しろ、FSF側は私たちオープンソース派を“異端者”と見なしていますからね」ということになる。
実際、Torvalds氏が懸念しているのは、オープンソースコミュニティの一部を囲い込むことが、GPL3の目的の1つではないかということだ。この点について同氏は、次のような形での説明をしている。「FSFが明示したGPLv3における目的の1つに、新規のライセンスに関する規約を、Apacheライセンスと互換性のあるものとすることが挙げられています。一見、これは良いことのように感じますよね? 誰も悪い印象を感じないでしょう。このように“互換性”とは、とても聴き心地の良い単語なのです。言ってみれば、キャンプファイヤを囲み、みんなで歌を謡おうという訳です」。
「ただし、一歩後退してこの言葉の裏側を見てみれば、“Apacheライセンスを用いているプロジェクトのコードは、すべて我々がハイジャックし、以後はGPLv3の管理下に置かせてもらう”という要求を、体の良い表現を使って申し立てているに過ぎません。ここで言う“GPLv3との互換性”とは、完全に一方通行的な互換性だからです。つまりApacheライセンス下で行われていたプロジェクトをGPLv3に移行することはできるのに、その逆は許されないのです。どうです、こうして見てみても『Kumbaya』というゴスペルソングのような響きを感じられますか?」。
そしてTorvalds氏は、Linuxカーネルおよび自分自身の活動について「私たちの場合、よそ様のプロジェクトを乗っ取るような必要はありません。自分でプロジェクトを運営していますからね。そしてこれはGPLv2に従ったプロジェクトなのです」と語っている。
GPLv2の擁護者であって、GPLv3のバッシングではない
これは辛辣な意見ではあるが、Torvalds氏の主張を端的に表してもいる。実際、同氏はしばらく熟考した後、「これはGPLv3が悪いというよりも、むしろGPLv2が如何に優れていたか、ということになりますね。実際GPLv2は、ライセンスとして卓越していました。おそらくそれは、条項の記述が適切であったというだけではなく、本質的に明快性と公平性を備えていたからです。ですから私も、おそらくは最初にこうした方針で事を運ぶべきだったんです。私としても、GPLv3バッシングの急先鋒などではなく、 口やかましいGPLv2の擁護者の1人として知られた方が良かったということですよ」と補足している。
また仮に他の人々がGPLv3を肯定した場合であるが、Torvalds氏が少し考えてから提示したのは、「実際に使ってみればいいんですよ。その内容は、朝食代わりに小さな子供たちを取って食えと定めている訳でもないですが、結局は受け入れられないでしょう」という意見であった。つまり同氏が指摘するように、オープンソースに関するライセンスは、その他にも多くの選択肢が存在するのである。「これらに対してGPLv3ライセンスが突出している点をあえて挙げるとすれば、それは了見の狭い要件が取り込まれていることでしょう」。
Torvalds氏によると、新旧GPLの2つのバージョンにまつわる論争とは、本質的には極めて単純なものでしかないということになる。「もしも私がGPLv2下でLinuxの再ライセンスをした1992年に戻ることができ、今あるライセンス(GPL3の草案も含めて)の中でどれを使うかという選択に迫られたら、間違いなくGPLv3だけは選ばないでしょう。選ぶ可能性があるとしたら、Open Software Licenseですかね。でも、一番ありそうなのは、やはりGPLv2になるでしょう」。
Bruce Byfieldは、コースデザイナ兼インストラクタ。またコンピュータジャーナリストとしても活躍しており、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿している。