Sunが引き起こした不可解な出来事

我々のコミュニティは、Sunが自らのJava実装をフリーソフトウェア(または「オープンソース」)にしたという噂で持ちきりだ。コミュニティのリーダーたちは、Sunの貢献に対してあからさまに感謝してさえいる。FLOSS(Free/Libre and Open Source Software)コミュニティに対するSunの新たな貢献とは何だろうか。

何もない。そんなものは何ひとつない。そして、そのこと自体がこの取るに足らない出来事に対する先ほどの反応を不可解なものにしているのだ。

SunのJava実装は、これまで通り、独占的ソフトウェアのままだ。フリーソフトウェアの基準はもちろん、似ているが若干緩いオープンソースの基準にも達してはいない。ソースコードがNDA(機密保持契約)の下でしか利用できないのだ。

では、いったいSunは何をしたのか。SunのJavaプラットフォームのバイナリを以前より手軽に再配布できるようにしたのだ。この変更により、GNU/Linuxディストリビューションには、ちょうど現在、フリーでないnVidiaドライバが用意されているように、フリーでないSunのJavaプラットフォームを含めることが可能になった。しかし、そこにはディストリビューション自体がフリーでなくなるという代償が伴うのだ。

Sunのライセンスには、ある制限が存在するため、皮肉にも、ユーザがフリーでないソフトウェアをためらうことなく受け入れる傾向は減少する可能性がある。このライセンスは、ユーザがコードをインストールする前に、ライセンスに対するユーザの明示的な同意を得ることをオペレーティングシステムのディストリビュータに要求しているのだ。これは、システムが、フリーでないソフトウェアの存在をユーザに警告しないままSunのJavaプラットフォームを黙ってインストールできないことを意味する。なお、GNU/Linuxシステムのなかには、何の通知も行わずにnVidiaドライバをインストールするものが存在する。

こんな取るに足らない出来事が、大げさで支離滅裂な反響を呼んだのはなぜだろうか。おそらく、こうした発表を人々が注意深く読んでいないからだろう。「オープンソース」という用語が生まれて以来、企業が意図的に自社の製品名とオープンソースという語を同じ文の中で用いるやり方を、我々はずっと目にしてきた (彼らは同じやり方に「フリーソフトウェア」という語は使わないようだ。その気があればできるはずなのだが)。不注意な読者であれば、文中における2つの語句の近さに気を取られて、一方が他方について述べている(つまり、その製品がオープンソースである)という誤った思い込みをするかもしれないからだ。

今回の出来事を、SunがJavaプラットフォームをフリーソフトウェアとしてリリースしていくための布石だと信じる者もいる。いつの日かそうなることを期待するとしよう。そのことを我々は歓迎するだろう。だが、現実にその日が来るまで感謝はおあずけにしておくべきだ。それまでの間は、Javaトラップが依然として存在し、この罠に対する注意を怠ったプログラマの失態を待ち構えている。

我々は、GNU Projectにおいて、引き続きGNU Compiler for JavaとGNU Classpathの開発を行う。昨年、すばらしい前進を遂げたため、我々のJava用プラットフォームは、主要なGNU/Linuxディストリビューションの多くで採用されている。Javaの実行と自由を求めているのなら、ぜひ我々の力になっていただきたい。

Copyright 2006 Richard Stallman
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