インターネットは文学の敵か

New York Timesの記事でも取り上げられていたが、米連邦政府の文化振興助成機関、全米芸術基金(National Endowment for the Arts, NEA)が最近出した報告によれば、アメリカの成人のうち文学作品を読む人の割合が、調査開始以来25年で初めて増加に転じたと言う。しかも、最も上昇率が高かったのは18歳から24歳のいわゆる若年層だった。

「Reading on the Rise: A New Chapter in American Literacy」と題されたこの報告は、米商務省センサス局が1982年から現在まで5回行っている調査に基づいたものだ。アメリカの18歳以上成年人口において、一年につき長編小説や短編小説、詩、戯曲といったいわゆる文学作品を最低一つは読んだと答えた人の割合を調べているのだが、これまでは調査を始めた1982年の56.9%が最高で、あとは2002年の46.7%までずっと低下し続けていた。2002年の結果が示していたのは、ようするにアメリカの大人の半分以上が、およそ文学というカテゴリにかすりそうなものを、一年に一つも読まなくなった、ということである。いくらなんでもこれはいかん、ということで、当時はそれなりに話題になったものだ。それが、2008年の調査結果で割合は一転上昇に転じ、突如50.2%と5割を回復したのである。

もちろん、今回上昇したからといって次回調査時にどうなるかはわからないし、そもそも具体的に何をどの程度の量読んだかまでは聞いていないので、もしかすると読まれているのは「ハリー・ポッター」シリーズや、日本で言えばケータイ小説のような、従来ならあまりブンガク扱いされないものだけかもしれない。しかし、基本的には25年間下がり続けていたものの潮目が変わったというだけでも、これは驚くべきことである。増加に貢献したのは主に小説で、詩や戯曲といった特定ジャンルを読む人口は低下しつづけているようだが、増加傾向そのものは、全年齢、全人種、かつ男女を問わず共通している。冒頭でも述べた通り、2002年の結果と比較すると、文学に関心をもたなくなったと言われることの多い18歳から24歳の若い世代で、9%増と最も高い伸びを示しているのが特に興味深い。なお、ここで問題にしているのは書籍全般ではなく、あくまで文学だということに注意してほしい。ノンフィクションや漫画、実用書、ビジネス書の類は(調査対象者が勘違いしていなければ)含まれていない。また、媒体は紙の書籍のみならず、オンライン書籍や電子書籍の類も含まれている。

この結果から何が言えるだろう。実のところ、大したことが言えるわけではない。しかし、2002年から2008年にかけて、この種の調査の結果に影響を与えそうな社会的事象はインターネット(あるいは携帯)の普及以外ほとんど思いつかない以上、文芸作品の読者の増加傾向とインターネットの普及の間にある程度正の相関関係があると考えるのは、それほど不自然なことではないはずだ。少なくとも俗流若者論を唱える人がよく言うような、インターネットなりケータイなりのせいで子供や若者の時間が奪われ、腰を据えて文学を読む読者が減った、あるいはそもそも文学が読めなくなった、というようなことは、アメリカに関しては一口には言えなくなりそうである。確かに紙の本を読む人は減ったかもしれない。しかし、モニタ越しであれ、液晶越しであれ、メールやブログやSNSだけではない、文字で書かれたオハナシを読む喜びを求める層は、増えこそすれ減ってはいないと考えられるのである。

2007年にノーベル文学賞を史上最高齢(当時87歳)で受賞した作家、ドリス・レッシングの受賞講演は、本人が体調の問題で授賞式を欠席したため代読されたが、珍しく文学関係の狭いサークルの外でも物議を醸した。文学とはあまり関係なさそうな技術系メディアのTechCrunchなどでも、ずいぶんと批判的な、ほとんど中傷的とすら言える言及記事を載せたものだ。なぜかと言えば、レッシングが講演においてインターネットに批判的に言及し、それが文学にもたらす危機を声高に述べていたからである。いわく「空虚なインターネットが最近の世代を蝕んだため、われわれの文化は断片化され、誰も本を読まず、世界についてまったく無知になってしまった」と。

レッシングに限らず、一昔前ならテレビ(あるいはテレビゲーム)、そして今ではインターネットが、豊穣な文学の世界から読者を引き離し、大衆を愚民化する敵役としてやり玉に挙がることが多い。両者は大体の場合セットで挙げられるが、歴史を振り返ると、少なくともテレビに関しては、視聴者に受動的な存在であることを強いるという点で、ある意味この種の批判は正しかったような気がしないでもない。とりあえず、多くの場合テレビは字を読むことを視聴者に求めないのは確かである。

だが、インターネットは必ずしもそうではない。現在ネット上にある情報の圧倒的多数は文字情報だ。そして、文字より効率の良い情報伝達の手段が見つからない限り、おそらく今後もそうあり続けるだろう。文章がきちんと読めなければ、そもそもインターネットを活用することすらおぼつかないのである。とすれば、インターネットの活用者こそが、今後文学の優れた読者たりうる存在に他ならないのではないだろうか。

「文学がない世界では、わたしたちはどれほど貧しく空虚な人間になることだろう」と、レッシングは述べた。少なくともこの点においては、私は彼女に全く賛同する。しかし、その文学を脅かす存在として、インターネットを対置し敵視するのは間違いだ。インターネットは、文学の読者を育てこそすれ、文学から読者を奪ってはいないのである。