気分はもう心理戦

最近のBBCの記事で、中国の「50セント軍団」(50 Cent Party, 50 Cent Army)について触れられていた。日本ではあまり耳にしない名称だが、すでにWikipediaのエントリにもなっており、海外のブログ界ではそれなりに議論の対象となっているようである。

では50セント軍団というのは何かということだが、ようするに国からお金をもらってインターネット上でプロパガンダ活動をする人たちのことである。国内のみならず、海外の掲示板やニュースサイト、チャットルームにおいても、金主にとって都合の良い記事を書き込み、都合の悪い記事には反駁して、ネット世論を金主の望む方向へ誘導しようとする。もらうお金の額が一記事あたりアメリカで言う50セント程度の価値なので、こう呼ばれているようだ。日本円にすれば50円くらいの感覚だろうか。

日本の2ちゃんねるにも、企業や宗教などから金をもらってそこに都合の良いことを書き込む「工作員」というのがいるそうだが、50セント軍団はそれを国家の支援の下さらに大々的にやっているものと考えられる。何せ、ある推計によればその数は30万人にも及ぶというのである(Far East Economic Reviewの記事)。2ちゃんねるの工作員など多くてもせいぜい数十人といったところだろうから、桁が違う。

まあ、モブとしての頭数をそろえるという以上に、50セントもらって書き込みするのをよろこんで仕事にする程度の人に正直どの程度プロパガンディストとしての力があるのか私にはよくわからないし(能力があればもっとマシな仕事に就けそうなものだ)、実のところ個人的には、この種の話はあらかた都市伝説に近いものと思っているのだが、今まではともかく今後に関して言えば、この種の動きはそろそろ潜在的からリアルな脅威へとなりつつあるような気もする。というのは、ネットの社会への影響力が、ここ数年で、活字やテレビといった旧来のメディアの影響力を上回ることはほぼ確実だからである。今まではネット上で何が話題になろうが所詮は子供部屋でのけんか程度に過ぎなかったが、これからは違う。とすれば、従来はオールドメディアを主戦場としていた世論操作のプロフェッショナルが、本気でネットに乗り出してくるのも時間の問題だろう。

昨年、Diggの仕組みは案外情報操作に弱そうだという話を書いたが、別にDiggに限らずインターネットのアーキテクチャというのは、なんだかんだ言って利用者の善意と合理性を前提としているので、誰かがそれなりのコストをかけて本気で操作しようとした場合には、あっさり出来てしまう、というのが私の感覚である。それがあくまで一時的な事象で、事後的にでも工作が見破れればそれでいいのだが、残念ながら見破れるケースばかりとは限らないような気がする。むしろ、いったんネット上で力を得た言説というのは、いかにそれが後で間違っていることが指摘されようとも、どんどん再生産され、影響力を増していくことのほうが多いのではないだろうか。従来は紙媒体や電波媒体に最適化されていた情報操作の手法も、ネットに特化した形でいよいよ洗練されてくるはずだ。50セント軍団は中国の話だが、同じようなことを試みている組織や団体は、中国に限らず他にも数多く存在するのである。

ところで、私がこの種のことに関して懸念しているのは、まず第一に、疑心暗鬼が高じてネット上の情報への信頼が今まで以上に低下してしまうのではないか、ということである。一部が信頼できない情報は、すべてが信頼できない情報よりもたちが悪い。おまけに、私たちの多くにとって重要なテーマであればあるほど、情報を操作するインセンティヴは強まるはずである。一般的にはなんとなくネットは民意の集合体と思われているふしがある以上、これは危険な状況と言える。 嘘を嘘と見破れない人にネットを使うのは難しい、という有名なことばがあるが、実のところ嘘を見破るコストがある程度以上に高くなると、それは多くの人にとっては真実、あるいは少なくとも複数ある真実の一つにはなってしまう。そうなった場合、意志決定しろと言われても、結局はさいころを振って決めるのと大差ないものにならざるを得ない。それは読み手の怠慢でも何でもなく、当然の帰結であろう。

もう一つは、ネット上における匿名性を排斥する動きが、今まで以上に勢いを増すのではないかということだ。私自身は、ネット上におけるすべての表現活動を実名で行っているが、健全な言論空間の維持のためには、匿名での情報発信可能性の担保が欠かせないと確信している。しかし、ネット上では恣意的な情報操作が行われているという認識が一般的になれば、発信者の情報を常に開示せよという主張への一般からの支持は、従来よりもはるかに強まるだろう。仮に匿名による情報発信が法的に規制されるようなことになれば、それは中長期的には、ネットにおけるイノベーションの衰退をもたらすことになると私は考える。