Levantaよ、安らかに眠れ

 最初はすばらしいアイデアに思えた。Linuxは末端部門のサーバからデータセンタへと進出しつつある。だったら、仮想化によるLinuxのライフサイクル管理機能を備えた、データセンタの自動化ソリューションを提供しない手はないはずだ。それがすばらしいビジネスアイデアであることに変わりはない。だが、Levantaはその実行に失敗した。

 カリフォルニア州サンマテオに拠点を置くこの会社が倒産したという発表はまだ正式には出ていないが、元従業員たちは4月1日時点で解雇されたという。解雇者のリストには、一介の事務員から元技術担当副社長Madhur Kohli氏に至るまでの多くの名が記されている。

 命運尽きたLevantaに詳しい情報筋によると、決定打になったのは、2007年10月にvSpring CapitalおよびLevensohn Venture Partnersから第2期の投資として800万ドルを受け入れたあと、Levantaが同社の注力対象をエンタープライズおよびデータセンタ規模のLinux管理プロジェクトにシフトできる目処が立たなかったことだという。

 それまで支援を続けてきた両ベンチャーキャピタル会社は、Linux管理アプライアンスへの注力方針からフルタイムのLinuxデータセンタ自動化事業への転向をはかったLevantaの試みがうまくいかなかったことに失望したのだ。また、元従業員の1人はこう話している。「我々はこの市場でやっていくことさえできそうになかった。食い扶持があまりなかったからだ」

 また、最終的に従業員が20名ほどになってしまったこの小さな会社には、経営上の問題があった。2006年12月に解雇されたLevantaサービス部門の元シニアディレクタ、Michael Perry氏は自らのブログにこう記していた。「Levantaとこの会社が取り得た別の可能性については残念に思うが、自分たちを至上の存在と考えていた一部経営陣から離れられてせいせいしている。実際はそんな上等な連中ではなかったのだ。彼らはまるで自動車でも運転するかのような感覚で失敗をやらかした。自分たちの意のままにLevantaを経営することなどできやしないのに。情けないことだ」

 またある情報筋は別の問題を指摘していた。仮想化技術があらゆるLinuxサーバファームの運営で重要な役割を担いつつあるなかで、Levantaの既存ソフトウェアはこうした新しいタスクに十分に対応していなかったという。Levantaのソフトウェアは、中小企業向けアプライアンスにとっては優れた基盤だった。だが、エンタープライズ規模のタスクに対する効力はその半分もなかった。

 さらに悪いことに、ターゲットユーザの切り替えを試みたLevantaの前には、VMwareのような仮想化管理を手がける企業の厚い壁が立ちはだかった。そのうえ、Hewlett-Packard、IBM、Sunといった名だたる企業もデータセンタと仮想化管理の領域に進出していた。

 Levantaにとって直接の痛手になったのは、大手LinuxディストリビュータNovellがPlateSpinを買収したことだったという。PlateSpinは、データセンタ自動化と仮想化技術の市場ですでにかなりの地位を築いていた会社だ。3月30日に決まったこの買収により、NovellはLevantaの新しい市場に一瞬で存在感を確立してみせた。そしてLevantaの傷に塩を塗るかのように、PlateSpinがデータセンタについてCitrix、Microsoft、Unisysとすでに結んでいた協力関係もNovellにもたらされた。

 Levantaは、この買収によってNovellとの提携の道も閉ざされた。依然としてLevantaには、IBMやHP、Red Hatとの協力関係や、サーバおよびCo-Locationサービスを提供するServerTweakや、複数の州にわたって狩猟ライセンスに関するサービスを提供するAutomated License Systemsのような中堅企業との取引があったが、同社の製品売上額はLevantaの事業を維持していくには足りなかった。

 従来製品市場からの収益が十分でなく、旧来のデータセンタ勢力だけでなくNovellやPlateSpinとも対峙する状況になったことで、Levantaの後援者は手を引くことを決めた。NovellのニュースがLevantaの幕引きの直前に飛び込んできたのは、偶然ではなかったのだ。

 前述のベンチャーキャピタルは現在もLevantaの知的財産権の売却を試みているが、Levanta自身はその前身であったLinuxCare(最初の大手Linuxサポート会社)と共にビジネス史のページに名を残して姿を消すほかないだろう。

Steven J. Vaughan-Nicholsは、テクノロジとそのビジネスに関する執筆活動に従事。その発端は、PC用のオペレーティングシステムとしてCP/M-80が利用され、粋な学生のコンピュータではUNIXの2BSDが動いていた頃にまで遡る。

Linux.com 原文