決して万能とは言えないFSFEの信託ライセンス契約
FSFEの内部組織としてライセンスに関するコンサルティングと教育を手がけるFreedom Task ForceのShane M. Coughlan氏によると、FLAは「著作権の一貫性を高めたいと願うプロジェクト向けのソリューション」だという。これについてCoughlan氏は次のように説明する。「(プロジェクトの規模が大きくなるほど)著作権の管理は難しくなる。場合によっては、作者が事故や他界といった理由で権利を消失する可能性がある。また、コードの保護やライセンスの更新をはじめとする法的な問題について意思決定を行うにあたっては、著作権保持者との協議が重要になることもある」。著作権を単一の組織または被信託者に譲渡することによって、プロジェクトはLinuxカーネルで起こっているような問題を回避することができる。Linuxカーネルでは、プログラマの好みの問題を抜きにしても、GNUの一般公衆利用許諾(GPL)第3版への移行が難航すると見られているが、これは開発者がそれぞれに著作権を保有していてその実態の把握が難しいためである。
一部のケースでは、こうした著作権の譲渡がわりと直接的に行われている。例えばGNUプロジェクトでは、gccのようなサブプロジェクトの開発者がごく当たり前に著作権をプロジェクトに譲渡しており、その著作権は米国内で認められている。なお米国は、大半の英語圏と同様に、著作権の譲渡が有効とされている法域にあたる。
ところが、フリーソフトウェアが普及してその重要性が高まるにつれ、状況は複雑化している。実は、フランスやドイツなど多くの法域には、英語圏における版権としての著作権(copyright)の慣習とは大きく異なり、他者には譲渡できない人格権としての著作者の権利(authorship right) ― 道義的権利とも呼ばれる ― という考え方が存在する。こうした道義的権利には、作品の使われ方に対する管理権の一部が含まれる。そのため、道義的権利に基づいた法域であれば、FSFの相談役Eben Moglen氏が指摘するように、ウディ・アレン(米国の俳優、映画監督)は自らのモノクロ映画が意に反してカラー化されるのをうまく阻止できたかもしれないのだ。プロジェクト内に道義的権利について知っている開発者がいる場合、または道義的権利による著作権が主流になっている国でプロジェクトの成果物を最初に公開する場合は、著作権の譲渡が認められなくなる可能性がある。
これまでのところ、そうした著作権譲渡の問題はまったく起こっていない。ともあれFLAは、そのような問題の発生を防ぐために著作権に対するこうした2つの捉え方を両立させようと試みている。FLAのもとでは、開発者が自らの作品の「原状のまま、または修正された形での」複製、再配布、および修正を行う排他的権利、ならびに第三者による派生著作物の作成を認可する排他的権利を、被信託先である組織または個人に譲渡することに同意する必要がある。つまり、被信託者にはフリーライセンスの条項に従って著作物を取り扱う許可が与えられるわけだ。
FLAは、今のところ英語版しか存在しない。Freedom Task ForceではFLAをより利用しやすいものにしようと公式な翻訳版の提供を検討しているが「この件についてはまだ組織としての判断が行われていない」とCoughlan氏は言う。
もともとFLAは、FSFEの理事長で2002年にこの概念について最初に記したGeorge C. F. Greve氏と、ドイツの法律研究者であるAxel Metzger氏によって作られた。また、Institute for Information Law in Amsterdam(アムステルダム情報関連法律研究所)の講師Lucie Guibault氏もFLAの策定に協力している。
Greve氏は次のように語る。「法律の整備は、フリーソフトウェアの長期的な存続とその社会的な実用性の確立のための重要な前提条件だ。その一方で、実際に真っ当な方策を講じようとするプロジェクトの数があまりに少なく、フリーソフトウェア・プロジェクトは法的な庇護を受けられずにいた。そこで我々は、この問題に対する関心を高めるとともにフリーソフトウェア関係者にプロジェクトに対する法的庇護を拡大する手段を与えるためにFiduciary License Agreementを作り上げた」
細部に宿る対立
FSFEの声明を読んだ人は、FLAというのは新たに作成された契約なのかと安易に結論付けたかもしれない。だが実は、今回発表されたのはFLAのバージョン1.2なのだ。FLAの以前のバージョンはすでに利用されており、2006年11月にBaculaプロジェクトが著作権をまとめてFSFEに譲渡している。また、Software Freedom Law Center(SFLC)の理事でもあるEben Moglen氏は、今回のFLAについて「誕生から3年を経たこの法的手段は今のところ大きな改訂もなく公開されている」と述べる。どうやらこの声明は、FLAそのものではなく、FSFEがFLAを利用してソフトウェア・プロジェクトの法的庇護者になろうと計画していることを取り上げたものらしい。この解釈を裏付けるようにGreve氏は、Freedom Task Forceの設立は、FLAによって解決を目指す問題について彼自身が以前から懸念を抱いていたことに対する「論理的な帰結」である、とコメントしている。
FLAの改訂について相談を受けたMoglen氏は、FLAを「有効な法的技術の1つ」と呼び、「私はFSFEのFreedom Task ForceをFSFの外郭組織として支持している」と明言する。また同時に、FSFEによるFLAの宣伝方法や世間からFLAが誤解される危険性について、彼が心配しているのも確かである。
Moglen氏は始めにこう語っている。「何のためのFLAなのかを理解することが肝要だ。FLAは、GPLのようなエンドユーザソフトウェア使用許諾に代わるものではない。ソフトウェアを自由に使えるようにするものではなく、米国ではまったくライセンスとみなされないものの置き換え、つまりは著作権譲渡の取り決めなのだ」
Guibault氏は発表のなかで次のように述べている。「FLAは、あらゆる国の法的要件に合うように慎重を期して書かれており、契約またはライセンスが締結される国に関係なく同一の効力範囲を有する内容になっている。これにより、著作権譲渡への取り組みは間違いなく一歩前進し、フリーソフトウェア・コミュニティには実質的な利益がもたらされる」
一方、Moglen氏は、FLAに対して「フリーソフトウェアの道義的権利の問題に対する完全な解決策とは言えない」との見解を示している。Moglen氏が指摘するのは、これまで誰もフリーソフトウェアに対する道義的権利を主張しようとしなかったので、FLAの有効性は不明であるという点だ。ただし、FLAについて確かな点は「現在、著作権法が機能している法域の著作権法を完全に排除することはできない」ことだ、とMoglen氏は強調する。実際、FLAの条文には「道義的権利または人的権利がこの契約によって影響を被ることはない」と明記されている。Guibault氏の発言とは裏腹に、道義的権利の主張に対してFLAが厳密にどれほどの効力を持つのかは今なお未知数である。「このことは、FLAならばどんな問題にも申し分なく対処できると過大評価されるのを私が好まない理由の1つだ」とMoglen氏は言う。
また、FSFEによる発表は、FLAを利用するか否かは問題ではなく、誰に著作権を譲渡するかだけが問題であることを暗に伝えている。この点についてもMoglen氏は異議を唱え、FLAを利用するかどうかの判断は重要であり、その際にはプロジェクトを進める著作権法域の観点から、さらにもっと重要な要素としてプロジェクトの目的の観点からも検討を行う必要がある、と述べている。
Moglen氏は、GNUプロジェクトとLinuxカーネルでの経験に照らし、GNUプロジェクトは著作権の譲渡にこだわることで一部のプログラマから貢献の意欲を奪っている可能性がある、とも述べている。これに対し、開発者に著作権の再譲渡を求めないとするLinux Torvalds氏の選択は、開発への参画を促すとともにその際の事務的手続きの大幅な削減につながっているのかもしれない。また、著作権の再譲渡により、プロジェクトの意思決定は中央に集中する傾向があるため、プロジェクトの基本方針に反した結果をもたらす可能性もある。小さなプロジェクトであれば、FLAに関わる諸問題をすっかり無視することもできる。この点についてはMoglen氏も、FLAが市場価値を提供する対象は主として法律的な問題を大いに懸念する大規模プロジェクトである、と示唆している。また、FLAは「プロジェクト(とそのメンバー)が、できれば自分たちの共同体から排除したいと思っているものをよそから都合よく得る」手段として考えられる多数のテンプレートの1つに過ぎず、必ずしもすべてのプロジェクトが検討すべきものではない、とも彼は述べている。
その一方で、Moglen氏は「(私が最も心配しているのは)弁護士が誰ひとり主導や関与をしていないFSFEのFreedom Task Forceが自前で扱える法的技術としてFLAの普及促進に取りかかることだが、FLAはそれほど簡単に扱えるものではない」と語る。
実際、Freedom Task Forceは、Moglen氏が懸念する方向に確実に近づいている。Moglen氏の立場について尋ねられたCoughlan氏は、「法律的な助言が必要なら、弁護士に相談するのが当然だろう」と答えながらも、「何が必要なのか、既にわかっているという自信があるなら」すぐにFLAを利用するという選択肢もある、と言葉を続ける。さらにCoughlan氏は、この契約が「自分に都合のよい条文を集めて草稿を上げるようなプログラマ」によって作られたものではなく、「何人かの法律の専門家の厳しい目にさらされながら発展してきた」ことを強調している。”
こうした意見に見られる問題点を捉えて、Moglen氏は「FLAを利用すべき時機を知るには、必ずと言っていいほど弁護士が必要になる」と主張する。このコメントを自らの専門知識を偏重しがちな弁護士のたわ言として片付けることもできるが、Moglen氏は、専門家に何の相談もせずに法的な判断を下せばプロジェクトは得られたはずの貴重な結果を失うことになるだろう、と説明している。
「自らの身体にメスを入れるべからずという規則は、単に医学部で学ばなかった人々のためにあるわけではない」とMoglen氏は言う。「たとえ医学部に通っていたとしても、自分自身を手術するのはよろしくない。弁護士とクライアントという関係で協議を行うことにより、考えが明確になるのだ。だから、我々弁護士は、一方的に物事を片付けるのではなく、クライアントと共に問題を検討するのに役立つ方法をとる」。Freedom Task Forceの目標全般を支援する立場にありながら、Moglen氏は「聴診器を使って自らの心音を聞き、致命的な病の診断をするような真似は、Freedom Task Forceにしてもらいたくない」と語る。
採否の選択
誰しもフリーソフトウェア・コミュニティを主導する面々の間の亀裂が生じることを望んではいない。今回、Linux.comが取材した関係者たちは、対立を招くような意見を極めて慎重な態度で、しかも上品な言葉で包み隠すように述べていた。しかし、そうした意見の相違がある限り、各プロジェクトのメンバーにはFLAを採用すべきかどうかについて迷いが残ることになる。
意見が分かれるのは、別にフリーソフトウェア・コミュニティのメンバーの多くがそうとは意識せずに弁護士に不信感を抱いている ― Moglen氏のように実績のある人物もいるのだが ― からではない。とはいえ、Moglen氏の警告が、法的資格を持たないFSFEメンバーの熱意とは対照的に、専門家の高圧的な意見のように聞こえるのも事実だ。著作権の譲渡は大がかりで時間のかかる手続きであり、多くの場合、慌てて結論を出すべき問題ではない。何といってもやはりこの問題は、Moglen氏が指摘するように、諸々の関係を恒久的に変え得るような管理体制をプロジェクト内部にもたらすことになるからだ。
確かにFLAはコミュニティがある種の問題を解決するために必要なものだろうが、一度利用してしまうと撤回が難しくなる可能性がある。こうした状況下では、FLAを利用する前にプロジェクトのメンバーと法律面でのアドバイザの双方がFLAの意義について議論する以外に賢明な方法はない、とするMoglen氏の言い分が正しいように思われる。そうすれば、プロジェクト各員は我慢のならない結果を避けることができ、議論の末にFLAの採用が決まった場合も、彼らは少なくとも自分たちにとって正しいことをしていることだけは確信できるはずだ。
Bruce Byfieldは、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿しているコンピュータジャーナリスト。