Dunc-Tank論争、未だ鳴りやまず
以前の報告にもあるようにDunc-Tankとは、Debian Leaderを務めるAnthony Towns氏やSteve McIntyre氏などDebianの主要な開発者たちが運営している団体である。この団体は9月の設立当時から様々な論争を呼び起こしており、特に懸念されたのは、一部の開発者に報酬を支払うことはその他の参加者の意欲をそぐことにならないか、またDunc-Tankの構成メンバの顔ぶれからして部外者にこの活動はDebianの公式プロジェクトだと誤解されないかという点である。同団体のもたらした余波としては、Dunc-Bankという風刺サイトが出現した他、利害関係のもつれからTowns氏を弾劾すべきかの一般決議までが行われている。
この一般決議は不成立に終わり、Dunc-Tankの是非を問う論争はその後も燻り続けていたものの、そうした混乱をよそに同団体からは、リリースマネージャを務めたSteve Langasek氏およびAndreas Barth氏に対する各1カ月分の報酬支払いが行われたため、Debianの次期バージョンEtchについては12月4日というリリース期限が守られるのではという期待が集められていた。ところが正式リリース前の最終段階であるジェネラルフリーズ(general freeze)が行われたのは12月11日のことであり、正式リリースが2007年1月末以降に遅延することはほぼ確実化してしまったのである。
守られなかったデッドライン
もともとDebianというプロジェクトはリリース予定日が守られない事で以前より定評があったのだが、Dunc-Tank批判派は今回のデッドライン不履行を失敗の証拠として飛びついた。例えばM. J. Ray氏はdebian-projectメーリングリストに「この実験活動は、リリース期限の遵守に失敗した」と投稿している。
ただし、すべての意見がこの方向で一致している訳ではない。Barth氏は、今回のリリースに向けてフルタイムで活動していた期間における進捗状況を定期的に個人ブログに掲載していたが、同氏の意見は「Dunc-Tankという実験活動にはメリットとデメリットの両側面が含まれており、どちらの側につくにしろ、1つの側面だけを見て結論を下すべきではないでしょう」というものである。Barth氏の説明では、余暇を利用してバグフィックスをしていた時は1つのバグを直すのに数日かかることがあったが、今回は金銭的な報酬を約束されたことで1日に複数個のバグを修正できたとしつつも、作業に集中できた反面「その他の行うべき作業に回せる時間がほとんど無くなりました」という点にも言及している。同氏の感想は、「私自身はこの活動に参加できたことに満足していますが、フルタイムで専業することの善し悪しはまた別の話です」というものである。
一方で、結論を出すにはまだ早すぎるという見方もある。NewsForgeからの質問に「個人的には、まだ結論を言える段階になっていませんね」と答えたのはTowns氏である。もっとも同氏は、Etchがスケジュール通りにリリースされるかが「今回の実験活動の1つの試金石であった」という点についてdebian-projectメーリングリスト上で明確に否定をしている。確かにDunc-Tankは、その活動の波及効果としてDebianのリリースが迅速化される可能性に触れつつも特定のリリース期限に言及したことはないので、こうした意見は理論的には正しいかも知れないが、同時にRay氏の語るところの「(Debian Project Leaderによる)決断が誤りであったことを隠蔽しようとする政治的企て」だとする意見を完全に覆すだけの説得力がないのも事実である。
開発者たちの意欲は低下したか?
Dunc-Tankに対する評価をより一層複雑なものにしているのは、Steven J. Vaughan-Nichols氏の投稿記事にある、不満を抱いたり意欲を失ったDebian開発者が出てきたことで作業が遅延してリリース期限が間に合わなかった、という主張である。
こうした意見の下地になっているのは、Barth氏がブログに掲載した次のコメントであることに間違いないであろう。「この実験活動には1つの大きなデメリットがあり、それはこれまで優れた貢献をしてきた一部の人々による関与が大幅に減ってしまったということです。そうした問題について私ができることは特に無く、また私がフルタイムでリリース準備に専念するようになる遥か以前から始まっていた現象でもありますが、これは大局的に見て無視し得ない出来事のはずです」
Barth氏はこの件に対する補足として、Vaughan-Nichols氏の主張は「私の意見を正確に反映していません」ということを暗に述べ、リリースが遅れた原因については、過去にもあったように今回もクリティカルなバグの存在が何個か確認されたためだとしている。
Barth氏やWouter Verhelst氏のようにDunc-Tankに対する公平な分析をしようと試みているのはDebianプロジェクト内のごく一部に過ぎず、多くのメンバについては、あまりに性急すぎる態度で結論に飛びつこうとしているきらいが見られる。例えばPierre Habouzit氏などの主張では「陰謀や権力闘争などの行為は存在しなかった。そうでないと反論する人間は、自分たち自身をおとしめているのだ」とされている。その逆にJoey Schultze氏などの主張では「この“実験活動”によって一部参加者の意欲がそがれることは、その実施以前から分かり切ったことであった。何人かの開発者は(Dunc-Tankにまつわる)様々な理由からプロジェクトから手を引いてしまっている」とされている。
1つ見受けられるのは、個々のDebianの関係者がどのような意見を抱くかが、Dunc-Tankに対するそれぞれの立ち位置によって大きく左右されているのではないか、ということだ。「人間というのは、何かの出来事を総括しようとする他人の主張をなかなか受け入れようとしないものであって、各自が異なる意見を持つようにできているのです」と語るのはBarth氏である。「複数の見方をしたり、何か優れた改善が行われたと断言しないのは悪いことなのでしょうか? 世間一般の感覚では“すべてが非常な成功を収めた”と声明しなければ組織運営上の失敗と見なされるかもしれませんが、少なくともDebianの世界において私はそんな上辺を取り繕う真似はしたくありませんし、自分が本当に信じることを主張すればいいと思います」
結論には時期尚早
Dunc-Tankをめぐる論争は、事態の正確な把握が不可能なレベルにまで白熱化してしまった。少なくともDebianは、何事も包み隠さずといういつもの方針の下、通常の活動を粛々と遂行し続けているのだが、単に今回は、実際の当事者たちより部外者たちの方が過敏に反応するであろう過剰なレトリックが使われていたと見ることもできる。また同時にDebianの歴史をひもとくと、Bruce Perens氏の離脱劇のような過激な論争を何度も繰り広げてきたという前歴があり、今回のDunc-Tankもそれに類する出来事だと見なせないこともない。
仮にDunc-Tankが原因となってDebianコミュニティに分裂が生じたとしても、長期的に見ればその影響は高が知れており、その辺の事情は、自分の考えを押し通す人間なりプロジェクトと絶縁する人間なりが出てきたとしても変わることはないだろう。参加メンバ数が2,000を越える規模にまで巨大化した現在、特定の貢献者ないし特定のグループに依存しなくても成立する状況にDebianコミュニティは置かれているのであるから。また同時に、Dunc-Tankにまつわる論争がどのような結末を迎えようとも、Debian Projectの運営は今後も紆余曲折をし続けるはずであり、リリース期限のルーズさや個々の開発過程に対する不満がコミュニティのメンバから挙げ続けられていくであろう。大多数のメンバは、それ以上の行為に出ようとはしないものである。
Bruce Byfieldは、コンピュータジャーナリストとして活躍しており、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿している。