DebConf6:Debianユーザのための激しく刺激的で熱い取り組み

メキシコ、オアステペック発 ― 7回目を迎えた例年のDebian Developers Conference(DebConf6)が先週行われ、開発者やパッケージメンテナをはじめ300名近い関係者がメキシコ政府所有のOaxtepec Vacational Centerに集まった。

個人では費用を工面できない人々のために、カンファレンスの参加費はもちろん、宿泊費や食費も(場合によっては旅費まで)無料だった。つまり、職場で休暇を取得できてメキシコまで飛んでいく気のある活動中のDebian関係者であれば、誰でも喜んで迎えられたわけだ。かなり大々的にパーティが開かれていたのも、Debian関係者の親睦を深めるためとあれば、力が入っていて当然だろう。「Debianの派生プロジェクト」と元祖Debianがどのように付き合うべきかについても十分な議論が行われた。特に、5月15日(月曜)にUbuntuの創設者で資金提供者でもあるMark Shuttleworth氏が大勢のDebian関係者を前に行ったUbuntuの年次報告の結果を受けて、Ubuntuに関することや、技術的および社会的な課題に対するDebianとUbuntuの取り組みの違いについての議論が盛り上がった。

Shuttleworth氏は、約110名のDebian支持者との非公式な議論を終えるとすぐ、翌日火曜日に行われるSun Microsystems主催のJavaOneカンファレンスでの、もっと規模の大きな講演とSunのCEO、Jonathan Schwartz氏との対談のために飛行機でサンフランシスコに向かった。

ところが、Shuttleworth氏は、水曜日にはオアステペックに戻っていた。あちこち訪ね回ってさまざまな人物やグループと話をしたり、電子メールのチェックをしたりするほかは、その他一般のDebConf参加者と行動を共にしていた。たとえDebConf参加者の全員が、彼やUbuntu ― あるいは彼が所有する営利目的の会社Canonical Ltd. ― に好意的なわけではないにせよ、彼自身は、JavaOneの会場にいる14,000人の参加者と過ごす時間よりもDebianカンファレンスでの時間を選ぶほど、この小さな団体を重要な存在だと考えていたようだ。

Sun、Intel、Hewlett-PackardなどLinuxを使っているほかの企業もまた、社員を派遣してDebConfに協力しており、カンファレンスTシャツの背中側には、24の企業スポンサーのロゴが並んでいた。中でも、Sunの人々は、最新のJavaライセンシング方針の発表をSun自身のJavaOneカンファレンスで行うよりも前に、DebConfの参加者に対して行っていたくらいだ。

なぜDebianは重要か

NovellとRed Hatは、広報および宣伝活動にかなりの予算を使い、業界誌に派手な広告を数多く載せている。Gentooは後追いに徹し、GentooびいきのメッセージをGNU/Linuxディストリビューションに関するオンラインディスカッションのほぼすべてに投稿している。FedoraはRed Hatの支援を受けており、純粋なフリーソフトウェアという点でも評判は悪くない。DistroWatch恒例の「最近6カ月間」の人気ランキングでは、Debianは7位であり、Ubuntu(1位)、SUSE、Fedora、Mandriva、MEPIS、Damn Small Linuxに負けている。

しかし、Debianは、安定性と安全性に関しては圧倒的な支持を得ている。総合的な人気が低いのは、新しいソフトウェアやアップデートの「安定版」リリースへの追加に対して保守的であり、インストール環境と管理ツールが、一般のデスクトップユーザ向けというよりも熟練のシステム管理者向けにコマンドライン指向で設計されているためだろうが、愛好家の目にはこうした欠点さえも価値のあるものに思える。

また、Debianには、ほかのGNU/Linuxディストリビューションとは一線を画す、ユニークな社会契約(Social Contract)がある。Debianの開発者やパッケージ管理者、メンテナになるためには、この社会契約に同意しなければらならず、厳正(だがまったく民主的)な組織体制に加わらなければならない。

多くの点で、Debianは単なるフリーソフトウェアのディストリビューションの枠を越えた社会的運動といえる。この運動の最も偉大な方針の1つは、リリース計画や機能要求、さらにユーザビリティよりも品質管理に重きを置いている点にある。フリーソフトウェア・パッケージが、現時点で15,000名以上に支持されている主要なDebianディストリビューションの1つとして受け入れられれば、事実上、安定版であることが保証され、想定どおりの動作を行い、その他のDebian承認のソフトウェア・パッケージと正しくやりとりを行う。開発成果をDebianに提供するフリーソフトウェアの開発者は ― 個人、企業を問わず ― この一体性を誇りを持って正しく表明することができる。

Ubuntuとの関係

Shuttleworth氏は、気前がよく、カリスマ性を備え、財力のある、強い影響力を持つフリーソフトウェア支持者だ。Debianプロジェクトが完全にボランティアによって運営されているのに対し(その多くがDebianの仕事に携わる時間の少なくとも一部に対して雇用者から給与をもらっているのは認めるが)、Shuttleworth氏はUbuntuだけに集中して取り組む常勤の開発者を雇うことができ、実際にそうしている。彼が雇っているUbuntu開発者の多くは、かつてはDebianボランティアだったか、または今もDebianに関わっている人々だ。多くの場合、Ubuntu開発者として(Canonicalを通して)雇われた人々はDebianでも同じパッケージの管理をしており、Ubuntuの改良やバグ修正は直接Debianにフィードバックされている、と彼は話している。

しかし、Shuttleworth氏の主張の多くに対して、Debianの各組織からは不平の声があがっている。ベテランのDebianボランティアで活動家のJoey Hess氏は、Debianが、パッケージ化されたソフトウェアのバイナリおよびユーティリティの形で素材を並べている「スーパーマーケット」になり始めているのではないか、と懸念を示している。これに対し、Linspire、Xandros、MEPIS、Progeny、Ubuntuなど、Debianから派生したLinuxディストリビューションは、手作りの料理(カスタマイズされたLinuxディストリビューション)に時間をかけられない多忙なコンシューマのために、こうした素材をせっせと盛り込んで事前にパッケージ化した同等の「インスタント食品」を提供している。Hess氏は、Debianをとりまく世界の中で、ユーザの嗜好に合ったDebian派生物が世間の賞賛を浴びる一方で、Debian本体が裏方の仕事に追いやられる可能性に不満を示しているのだ。

Debianプロジェクト書記を務めているManoj Srivastava氏は、Ubuntuの「上流プロバイダ」をないがしろにする傾向について心配している。朝食をしながらの会話の中で、Ubuntuからのバグ報告と修正パッチが常にDebianにフィードバックされているというShuttleworth氏の主張は事実とは多少異なっている、と少なくとも半時間以上かけて彼は語った。確かに、Ubuntuのパッチやバグの山はDebianかどこかに丸投げされているだろうが、上流の開発者やプロジェクトに対する正しいのやり方は、パッチやバグ報告をすべてまとめて「Ubuntu発」としてDebianに投げるのではなく、それぞれのパッチやバグ報告を、担当者の連絡先を添えて、然るべき人物に直接送ることであろう、というのが彼の意見だ。

下流と上流とのやりとりに関するこの議論は、DebConfのテーマでも繰り返し取り上げられた。というのも、いろいろな意味で、多くのユーザにとってのGNU/Linuxディストリビューションの第一の目的は、エンドユーザとソフトウェア開発者の橋渡しをすることだからである。たとえば、もし私が、ノートPCでUbuntuを使っていて、そこにインストールされているデフォルトのGNOMEデスクトップには「System-> Logout」メニューではなく、コントロールパネル上に「ログアウト」アイコンを用意すべきだ、と信じている場合、私はその考えを携えて、機能要求も扱っているUbuntuのバグ報告システムに向かうだろう。エンドユーザである私は、この変更要求によって、Ubuntu用GNOMEの派生元であるDebian用GNOMEパッケージに関するUbuntu側の作業が生じるのか、GNOMEプロジェクト側での対応が必要になるのか、を知らなくてよい(また、気にする必要もない)。ただ、私はバグ報告(または機能要求)を行って、成り行きを見守っていればよい。

こんな具体例を出したのは、Ubuntu用GNOMEデスクトップのデフォルト・ログアウト・アイコンのことがオンラインで議論されていたからだ。私の古いUbuntu/GNOMEインストール環境では、コントロールパネルを右クリックすると現れる「Add to Panel」ダイアログを使えばそうしたアイコンを追加できることを知らないわけではない。また、この例を持ち出したのは、DebConfで出会った、Ubuntuプロジェクトで主にGNOMEパッケージの管理を ― Canonicalの有給従業員として ― 担当している何人かが、DebianでもGNOMEパッケージのメンテナをしていて、Debianの不安定版にGNOMEの最新版を追加し終える数カ月も前にUbuntuへの追加は済んでいた、と話していたからでもある。このことでDebian信者はUbuntuに対して相当な不快感をおぼえただろう。UbuntuとDebianの両方に携わっている開発者については、これ以外にも似たような話がたくさんある。あるDebConf参加者は次のように総括してくれた。「日中の勤務時間のすべてをUbuntuのパッケージ化に割り当て、夜中の自分の時間でDebianのパッケージ化を行いたい、とは誰も思わないだろう。それはあまりに酷な話だ」

政治的な話はこれくらいにしておこう。Debianから派生したとはいえUbuntuはすっかり別物なので、Ubuntu上でDebianのパッケージのインストールや実行ができる、とかその逆のことができると思ってはならない。Ubuntuを生みの親であるDebianとは別の物にしている要因はほかにもある。

  • Canonicalは非営利組織ではない。Shuttleworth氏は、今は自らの財産のうち相当な額をUbuntuの開発に投じているかもしれないが、ゆくゆくは、営利目的でのUbuntuのサポート、カスタマイズなどのサービスを提供することでこのベンチャー事業から投資回収をしたいと考えている。
  • Shuttleworth氏は財産を築くずっと前からDebianに関わっていたが、決して「使命感に燃えたフリーソフトウェア信奉者」ではない。実際、Canonicalのより大規模なプロジェクトの1つ、Launchpadはフリーソフトウェアではない。このサイトのFAQには、Launchpadの一部または全体はいつかフリーになるかもしれないが「そうなるまでには時間が(場合によっては何年も)かかるだろう」と記されている。
  • UbuntuはPythonと相性がいい。MEPISのWarren Woodford氏はMEPISのベースをDebianからUbuntuに切り替えた。また、アドオンのコントロールパネル機能を、オープンソース業界の一員らしい好ましい行為としてUbuntuとKDEの両方に提供しようと計画している。だが彼は「当然Ubuntuはこのアドオンを受け入れないだろう。Pythonではなく、C言語で書かれているからだ」と話している。Pythonよりも「(ここには好きな言語名を入れること)」を好むプログラマは、Woodford氏だけではない。
  • Ubuntuのタイトなリリーススケジュールは品質を犠牲にする可能性がある。Debianは、最新版パッケージ、特に安定版に関しては「スケジュールどおりにリリースされない」ことで有名だ。しかし、このようなUbuntuのOpenOffice.orgに関するバグが、Debianで発見されることは決してないだろう。

最後に挙げた要因 ― 品質の要因 ― は、ブラジル人のDebian開発者、Otavio Salvador氏をUbuntuのことでかなり悩ませ、絶対に安心できる格調高いDebianへの忠誠を維持させているものだ。Ubuntuの強みは最新版が6カ月ごとにリリースされることだが、その結果「不格好なもの」になってしまっている、と彼は語っていた。彼が一例として挙げたのは、Ubuntuのブートスプラッシュを扱うコードだった。ユーザにはすばらしいものに見える、と彼は言った。ユーザに見える部分には問題はないが、Salvador氏が高い関心を寄せているものの1つ、LTSP(Linux Terminall Server Project)に関する問題が起こっていた。

最近、Salvador氏はLTSP関連バグに対する6つのパッチをDebianメンテナに送ったという。これらのバグはすぐに修正されたのだが、Ubuntuでは同じバグがまだ修正されずに残っているそうだ。「ユーザはUbuntuを信用している」と彼は言った。「ユーザには安定したパッケージを提供する必要がある」 という考えにUbuntuがコミットしているかどうか、彼は確信が持てないのだ。また彼は、Shuttleworth氏個人に対しても不信感を抱いており、露骨に「言動が一致していない」と非難し、品質対リリーススケジュールの問題で溝が深まったことでUbuntuとDebianの「関係はひどいもの」になっていると語った。

Salvador氏の言うUbuntuパッケージ内の「多数の誤り」のせいで、運用サーバにはUbuntuを使うべきではない、と彼は本気で思っているそうだ。このことに同意しない人もいるだろうから、ほかの人に面と向かって「Ubuntuは使うな」とは言わないが、自分は使わない、と彼は述べていた。

とはいえ、Ubuntuは、この原稿の執筆に使っているThinkPad T43では快調に動作しており、ほかの多くのDebConf6参加者たちの環境でも問題なく動作しているようだ。無線アクセスポイントの信号が最も強い「ハックラボ(hacklab)」での作業中に周囲を見回すと、12台のノートPCのうち5台でUbuntuが実行されていた。

前進するDebian

木曜の朝は、前任のDebian Project Leader(DPL)、Bdale Garbee氏がDebianプロジェクトの管理体制について語り、新たな問題に対処するためにはどのように変更すべきかについて議論が行われた。私の印象に残ったのは、Debianを、規制や行政の直接管理の範囲を越えて郊外で多くの発展が起こっている、都市地域の中核となる都市行政になぞらえたメタファを使って彼が話をしたことだ。

この都市は、発展を続ける郊外地区との緊密な関係を依然として維持する必要がある。その一方で、郊外地区は ― 自らのためにも ― 全体として都市圏の活性化が続くように、都市部を健全な状態に保つ必要がある。

ここで、Garbee氏は次の質問を投げかけた。「Debianの派生プロジェクトとの関係をもっと活気と積極性にあふれたものにするために、我々は何ができるだろうか」

またGarbee氏は、特にDebianコミュニティ(とその派生コミュニティ)の発展を考慮して、管理体制を変更する可能性についても触れた。現在の管理規則の起草や提案が、本稿の執筆時点では2005年にGarbee氏が行った講演のスライドにしかリンクが貼られていないhttp://wiki.debian.org/Governanceに参加して行われることになっているためだ。

また、もっと直接的なものとして、Debianのコーディングの問題は、何人かも話してくれたが、Debianインストーラをもっとユーザフレンドリなものにすることだ。ある人は「平均的なシステム管理者タイプのDebianユーザにとっては、すばらしいといえるところまできて、開発のペースは落ちたが、今度は初心者にとってもっと使いやすいものにすることを考える必要があるだろう」と言っていた。

近くにいた別の誰かは「Debianは決してLinux初心者向きではなかった」と口を挟んできた。

ブラジル人のSalvador氏は、自分は今、初心者や非技術分野のコンピュータユーザにふさわしい形で「純粋」なDebianデスクトップをまとめており、そのデスクトップを利用するブラジルの病院が増えている、と語った。彼は、帰国したらそのリンクを送ってくれることを約束してくれた。ただし、まだポルトガル語のものしかないそうだ。

結論としては、Debian内部にいる多数の人々 ― 我々が話しているのはDebian「都市」そのものの内部にいる人々だ ― は、Debianの管理活動のすべてを安定性と安全性、そして品質管理の確保に捧げながらプロジェクトを発展させると共に、その動きを加速させ、開発の効率を上げ、もっとユーザフレンドリなものにするために積極的に活動を行っている、ということだ。

ハッキングとディスカッションだけに終わらないDebConf6

NewForgeはゴシップ誌の類ではないので、我々が取り上げるべき話題ではないのだが、聞くところによると、オアステペックのリゾートプールに何も身にまとわずに入ろうとしたヨーロッパ出身のDebian関係者(女性)がいたらしい。カンファレンス終了後の時間の出来事だったのだが、彼女の大胆な行動に気付いた警備員がそのあられもない姿に狼狽して直視できないながらも彼女に注意して止めさせたという。DebConf6フォトギャラリー(未成年も閲覧可)にその様子をとらえた写真があるので興味があれば、そちらをご参照いただきたい。

また、このブログからはカンファレンス事務局の人々 ― とりわけGunnar Wolf氏 ― の並々ならぬ努力がうかがえる。リゾート施設にはインターネットアクセスの手段が元々用意されていなかったのだが、設備をなんとか調達してきて自分たちの手でセッティングしたという。

Wolf氏のブログ(前のパラグラフの2つ目のリンク)は、国際会議の準備で起こりがちなビザ取得や渡航の問題についても触れている。Wolf氏はメキシコのお役所仕事の実情を交えてこの問題を語っており、その仕事の遅さと非効率性には耐えがたいものがあったようだが、こうしたイベント参加の目的でビザを取得する場合は米国の役人のほうがもっとひどい、と私に教えてくれた人々もいた。最近の米国では、ビザ取得の問題で、科学系または技術系のカンファレンスを本当の意味で国際的なものにすることは事実上不可能になっている、とほかの技術系イベント準備の経験を持つ(ドイツから来た)人は言っていた。

DebConf6の様子を伝えるすばらしい写真がBarry Hawkins氏によってこちらとFlickr上に掲載されている。また、Meike Reichle氏の個人的なブログには、DebConf6のフォーマルな面ではなく人々の交流に関する話題が取り上げられている。さらに、Hess氏はDebConf6の体験を1ページにまとめたものを公開している。

なお、Wolf氏をはじめとする事務局の人々がカンファレンス会場にインターネット接続を準備するにあたってどれだけ苦労したかについては、こちらに彼らが行った配線の取りまわしの詳細が記されている。これだけにとどまらず、母国の電源の仕様がメキシコとは異なる人々が大勢いたので ― 特に、メキシコ「標準」のコンセントは交流110ボルトのもので、米国とは同じ仕様だが、ヨーロッパの電子機器はそのままでは使えない ― 会場にはプラグインアダプタがあふれ返ってジャングルのようになっていた。

ミッシングリンク

Holger Levsen氏とほか数名の人々はDebConf6の発表の大半をHD(高密度)ビデオにおさめていた。Levsen氏のブログには、ビデオ撮影時やそのストリーミング配信を試みる際の苦労が書き込まれている。Levsen氏が撮影した映像へのリンクを貼りたかったのだが、編集と変換、アップロードにはまだ時間がかかりそうだ。準備ができ次第、そのリンクをお知らせしたい。

こうしたビデオ撮影やインターネット接続の問題はあったものの、DebConf6は私に多くのものを与えてくれると同時におおいに楽しませてもくれた。もうここを去らなければならないのが残念でならない。

このカンファレンスで最も私の印象に残ったのは、木曜日の朝の出来事だった。ハックラボエリアの外にあるベランダに座って、過負荷気味の無線ネットワークから電子メールのダウンロードが終わるのを待っていると、テーブルの向かい側に座っていた2人のやりとりが聞こえてきた。

1人が相手のノートPC画面を見ながら「おおっ!  そんなやり方があったのか。とても参考になったよ、ありがとう」と言った。しばらくすると、もう1人の方が相手のノートPC画面を見て言った。「すごい技だな。どうやって考え出したのさ?」

こんな調子で彼らは、私が昨晩の電子メールを読んで返信を終えるまでの1時間以上の間、そこでやりとりを続け、私が席を立つときにもまだそこにいた。邪魔をしたくなかったので、彼らの名前は聞かなかった。

こうしたピアツーピアのやりとりができるからこそ、DebConf6のようなオープンソースのカンファレンスには価値があるのだ。あれは教員と学生の関係ではなかった。お互いの知識を共有しようとする2人のハッカーだ。おそらく2人は以前にIRCや電子メールでやりとりしたことはあったのだろうが、直接会うのはこれが初めてのように見えた。こうして面と向かって言葉を交わすことで、最新のオンライン会議のソフトウェアでも実現できないほどの速さで知識の共有が行われたのだ。

彼らが共有した知識によって、間違いなくDebianは改善されるだろう。さらには、Debian(またはその派生ディストリビューション)、SUSE、Fedora、Gentoo、Mandrivaなど、ディストリビューションを問わず、あらゆるGNU/Linuxの発展につながっていくはずだ。

それこそがフリーおよびオープンソースソフトウェアの本質であり、企業の展示で埋めつくされた「ショー・フロア」ばかりの大規模なビジネスコンベンションよりも、こうした小規模なカンファレンスに参加するのが好きな理由もそこにある。

来年のDebConf7にも、開催日程に関わらず、スケジュールとボスの予算組みを調整して、ぜひ参加したい。また、Debianに関心をお持ちの読者の皆さんと会場でお会いできることを願っている。

原文