フリーソフトウェアイニシアティブ理事長、新部 裕氏へのインタビュー

フリーソフトウェアイニシアティブ(Free Software Initiative of Japan:FSIJ)の理事長を務める新部 裕氏は、ベテランのDebian開発者であり、根っからのハッカーでもある。インドのバンガロールで開かれた第4回GPLv3国際会議(Fourth International Conference on GPLv3)での彼の講演の後、フリーソフトウェアとその発展を促す彼の活動が日本でどの程度受け入れられているかを知るために話を伺った。

NewsForge(以下、NF): あなたがコンピュータ全般に関わるようになった経緯と、特にフリーソフトウェアに取り組むようになったいきさつを聞かせてもらえますか? また、コンピュータから離れているときは何をしていますか?

新部 裕氏(以下、NY): 初めてZ80ベースのコンピュータに接したのは1979年か1980年で、私が中学生の頃でした。1985年には、『トランジスタ技術』という日本の雑誌に載っていた設計図に従って、CPUとして68000を使ったコンピュータを自作しました。このマシンではFIG Forthのコンパイラを走らせていました。

そして1989年頃、東京の調布にある電気通信大学でUnixに触れ、ソフトウェアを共有する文化やGNU Projectによるソフトウェアを知ったのです。ソニーのNEWSという当時の日本の優れたワークステーションに、TeXやWnn(日本語変換エンジン)のほか、Bison、GNU Emacs、GDB、GCCといった多くのGNUソフトウェアをインストールしました。1990年頃には、『GNU Emacs Lisp Reference Manual』の最初のバージョンが公開されました。私たちはそのTexinfoファイルを入手し、電通大の仲間でこのマニュアルを本にしていたわけです。

コンピュータを使っていないときは、井戸堀りを楽しんでいます。4年前には、自己最高の深さ約6メートルの井戸を掘りあてました。その写真はGoogle cacheからご覧いただけます。

NF: FSIJという組織とその活動内容について教えてください。

NY: FSIJとはフリーソフトウェアイニシアティブ(Free Software Initiative of Japan)のことで、東京都に登録している非営利の組織です。その運営には、個人メンバー(約40名)が協力メンバーの支援を受けながら携わっています。法的組織ではありますが、従業員がいないので活動はすべてボランティアによるものです。

FSIJの役割は、日本とアジアにおけるフリーソフトウェア運動の推進です。その活動としては、ハッカーたちが集う24時間イベントCodeFestの計画、Google Summer of Codeのメンター組織の役割遂行、月例会の実施などがあります。

CodeFestとはCICCがスポンサーになっているイベントで、海外でもこれまでに3度、CodeFestを開催しています。第1回のCodeFest Asiaは北京(2005年3月)で、第2回はコロンボ(2005年9月)で、第3回はクアラルンプール(2006年9月)で行いました。

日本国内では通常、年に2回、それぞれ東京と京都でCodeFestを実施していて、次回は10月14、15日に京都大学で行う予定です。

NF: CodeFestというのは、人々が実際に集まってコードを書くハックマラソン(hackathon)のようなものでしょうか?

NY: はい、まさしくそのとおりです。2004年、私たちはその翌年のある時期に北京でハックマラソンを開催しようと計画していました。ところが、ハックマラソンという名称がまるで悪意に満ちた反政府活動か何かのように誤解される可能性が(依然として)あったため、韓国の関係者がCodeFestという呼び方をして好評だったという前例にならって私たちもそう呼ぶことにしたのです。

NF: 日本の政府はフリーソフトウェアに対してどのような立場を取っていますか?

NY: 日本政府はフリーソフトウェアの有用性を理解しています。ただ、政府がフリーソフトウェアではなく「オープンソースソフトウェア」と呼んでいるのは残念なことです。

この辺りの経緯を説明するために、また私の経歴に触れます。

2000年12月、私は通商産業省の傘下にある研究組織に加わりました。そこで日本政府の下、フリーソフトウェアの普及促進と開発に携わるようになったのです。通商産業省の名称が経済産業省へと改められた2001年、フリーソフトウェアライセンスによるソフトウェアを開発するという私たちの提案が採用されましたが、予算を使って開発したソフトウェアをフリーソフトウェアライセンスの下でリリースすることが公に認められたのはこれが初めてのことでした。税金が使われている以上、その成果は利益を生まなくてはならない、というのがそれまでの論理だったのです。

当初、この提案は明確に「フリーソフトウェア」と銘打ったものだったのですが、プロジェクトがIPA(情報処理推進機構)の管理下に置かれると「オープンソフトウェア」と呼ばれるようになりました。現在は「OSS(オープンソースソフトウェア)」プロジェクトと呼ばれており、米ドルにして年間900万ドルの予算がついています。IPAはソフトウェアの研究と開発を進めながら、学校や地方自治体を対象にオープンソースのデスクトップ環境の展開をはかっています。

フリーソフトウェアのための予算が得られたのは良いのですが、名称の点では失敗したわけです。

その後、2005年4月に産業技術総合研究所(産総研)で自ら自由ソフトウェア武門グループ(Free Software Initiative Group)を組織しました。フリーソフトウェアの研究開発に従事する組織です。つまり、日本の官公庁にもフリーソフトウェアを公認する組織が少なくとも1つは存在するわけです。

NF: それがFSIJなのですか、それとも別のグループですか?

NY: 自由ソフトウェア武門グループは(FSIJとはまた別の)産総研における私のグループであり、そのグループ長というのが日頃の私の役割です。IPAでプロジェクトの命名に失敗した後、産総研で自ら組織したのがこのグループです。

それに産総研は研究機関ですが、IPAは研究開発の助成金を分配する組織です。

そのため、産総研ではフリーソフトウェアの研究や開発はできますが、フリーソフトウェアを普及させる運動自体を目的にはできません。一方、FSIJの使命はフリーソフトウェアの運動そのものです。

基本的に私が苦労しているのは、日本でフリーソフトウェア運動を進めるのに適した1つか2つのニッチ市場を見つけ出すことです。

NF: 先ほど「税金が使われている以上、その成果は利益を生まなくてはならない、というのがそれまでの論理」と仰っていましたが、この税金とはどんなものですか? 一般の人々から集められた税金ですか?

NY: はい、所得税や消費税などのことです。つまり、日本政府(や他の行政機関)はその収入を国民からの税金に頼っています。以前は、官公庁による(ソフトウェアの)研究開発プロジェクトの成果を無償で配布することはできない、利潤追求のために使うべきだ、という人々がいました。それも一理ありますが、問題はそれほど簡単ではありません。というのも、そうした考え方の結果として、私たちが抱えているのが役に立たない「知的財産権」の山なのです。産業や社会のためには研究開発の成果をフリーソフトウェアとして配布するほうが良いこともあるのです。

NF: 技術系の人々はフリーソフトウェアをどんなふうに見ていますか? 技術系の学生の間では普及しているのでしょうか?

NY: フリーソフトウェアの重要性がわかっている人々が大半を占める業界は多いのですが、サーバおよび組み込みの市場以外ではフリーソフトウェアの利用がそれほど大きく見込まれていません。つまり、デスクトップ市場ではMicrosoftのオペレーティングシステムを使っている人々がほとんどなのです。

サーバ市場では、十分にフリーソフトウェアが普及していると思います。日本電気、富士通、日立など大手のシステムインテグレータはどこもGNU/Linuxシステムをサポートしていますし、ほとんどのISP(インターネットサービスプロバイダ)はFreeBSDまたはGNU/Linuxを積極的に利用しています。Netcraftの調査によると、日本におけるApacheの普及率は世界的な平均よりも高いそうです。

また組み込み市場では、GNU/Linuxの普及がますます進みつつあり、ネットワークストレージ、携帯電話、ハードディスクビデオレコーダ、MP3プレーヤーなど、各種機器で採用されています。

しかし、技術系の学生の間ではGNU/Linuxはそれほど普及していないように思います。もっぱら高いスキルを持つ熱心な学生がフリーソフトウェアを使っています。

NF: では、技術系の学生たちがよく利用しているプラットフォームは何ですか?

NY: Microsoft Windowsです。Mac OS Xもそれなりに普及していて、私の推測ですが、8~10%くらいのシェアがありそうです。

NF: あなたの言う「高いスキルを持つ熱心な学生」とはどんな学生ですか? 成績の優秀な学生のことでしょうか、それともまた別の才能を持った学生のことでしょうか?

NY: ハッカー的という意味でそう言ったので、おそらく成績の優秀さとは別の才能を持った学生のことでしょうね。普通の学生(または一般的な人々)は、テクノロジの内部に関心を持ちません。その仕組みはどうでもよく、ただ表面的に扱って自分の仕事を終わらせたいだけです。反対に、テクノロジの詳細を知りたがり、ビット単位まで操作しようとするのがハッカーです。

NF: 以前の議論では、日本では漫画が人気を集めていることに言及されていました。そのときの説明から、フリーソフトウェアの文化に通じる部分が非常に大きいように感じたのですが。

NY: そうですね、漫画も共有された文化です。バザールモデルのようなものです。他人の作品に刺激を受けた誰かが、さまざまな特徴を織りまぜて、また別の新しい作品を生み出します。そうやって個人が作品を生み出していくわけです。漫画の作者どうしで行われるのと同じように、オープンな開発に携わるハッカーたちの間でも自由なアイデアの交換が行われています。

漫画の市場は途方もない成長を遂げ、業界と個々の作者との関係も大きく進展したことがわかります。私たちは、フリーソフトウェアの発展を後押しするために、日本の漫画の成功から何かを学べないかと期待しています。

NF: バンガロールの国際会議でのプレゼンテーションでは、日本の人々はGPLはリードオンリーだと誤解していると説明されていました。どうしてそんなことになったのでしょうか? 今でもこの認識は変わっていませんか?

NY: 日本の憲法は、長い間ずっと変えてはならないものと考えられてきました。最近まで、憲法を変えることは悪行や暴挙だとみなされていたのです。

はっきりとした理由はわかりませんが、このように日本は変化を良しとしないところなのです。

それで、ソフトウェアも変更や修正ができないと誤解している人々がいるのです。大半の独占的ソフトウェアもそうした類のものです。独占的ソフトウェアを変更できるのはそのベンダだけです。というのも、それこそが独占的ソフトウェアのビジネスモデルだからです。

一部の国々や文化では、そうした階層(上位から下位にしか流れない)または役割のモデルが好ましいこと、または普通のことなのだと信じられています。そうした文化では、私たちがその変更のプロセスに「参加」できることに驚きを覚えるくらいです。

私は、人々がフリーソフトウェアの運動もまた独占的ソフトウェアのモデルに従うものだと認識しているのではないかと考えています。日本人のこの認識を変えようというのが私の試みです。私たちにはソフトウェアを調査し、修正して、共有する権利があり、そうしたルールについて話し合うこともまた私たちの正当な権利なのですから!

NF: 日本の人々にフリーソフトウェアをもっとアピールするための変更を提案してはどうでしょうか?

NY: これはまじめな話ですが、よくできたマスコットが必要ですね。あるいは、優れた漫画のストーリーでもいいのですが(笑)。

NF: GNUのマスコットではだめですか?

NY: 個人的にはGNUのマスコットは気に入っていますよ。特にRMS(Richard M. Stallman氏)とか。この絵は好きですが、あまり注目は集まらないように思いますね。

NF: フリーソフトウェアの大部分は日本語で書かれたものではありません。そうしたソフトウェアを英語に不慣れな日本のユーザに使ってもらうためにどんなことが行われていますか? ローカライゼーションの取り組みは重視されているのでしょうか? そのときに問題になるのはどんなことですか?

NY: ではまず、私たちが利用しているツールについて説明しましょう。

GNU Projectの翻訳に関しては、Francois Pinard氏がTranslation Projectを設立し、1999年には日本でプレゼンテーションを行っています。

私たちが最初に取り組んだツールがgettextです。gettextは多くの言語に対応できるメッセージカタログのスキームで、キャラクタ指向のUIだけでなくGUIもサポートしています。大半のFOSS(Free/Open Source Software)アプリケーションではgettextが採用されています。

フリーソフトウェアの開発で多数の言語に対応することは容易ではありません。今のところ、翻訳者がgettextを使うにはある程度のスキルが必要です。具体的には、CVSやSubversionのようなリポジトリシステムの利用、POファイルの処理など、gettextの基本的な知識なのですが、そこに問題があります。

翻訳者の参入障壁を低くしようといくつかの取り組みが行われています。そうした取り組みの1つであるRosettaは、Webを介した協調作業を活かしたものです。現在、私たちはこのテクノロジを利用しています。

GNOME、Firefox、OpenOffice.orgなどよく知られたアプリケーションではある程度の日本語対応が進んでいますが、いずれも十分とは言えません。たとえば、GNOMEでは約3分の2のメッセージが日本語に翻訳されています。

しかし、これらのテクノロジ(gettextとRosetta)で事足りるわけではなく、翻訳者向けの辞書サポートやオントロジーなど、翻訳の質を確保するためのテクノロジが必要だと思っています。

NF: 私の理解では、日本の人々は漢字、平仮名、片仮名、ローマ字という4種類の文字を使っているようですが。

NY: その点は最近では問題になりません。15年ほど前は、エンコーディングと膨大な文字セットへの対応という理由から大きな問題になっていました。今ではUnicodeのおかげで、すべての文字セットにかなりの範囲まで対応できています。

それでも、漢字の場合は問題が完全に解決されているわけではありません。ほとんどの漢字はUnicode 4.0でサポートされています。しかし、常に漢字には特殊なものが存在します。たとえば、日本の仏教では故人に戒名を与えますが、この戒名には特殊な漢字が使われるのです。こうした漢字はめったに使われないものです。しかしUnicodeの取り組みは壮大で、おそらくUnicode 5.0にはそういった漢字も含まれるのでしょう。確かめたわけではありませんが。

最後に、広い範囲での翻訳とフリーソフトウェアの開発について話をさせてください。

諸外国では、多くの開発者が翻訳や文書化から活動を始めます。それは最初の開発段階では翻訳や文書化がサポートされておらず、またそのほうがコード内で技術的な項目の理解や修正を行なうよりも容易だからです。

たとえばGNU/Linuxが日本に紹介された際には、翻訳および文書化のプロジェクトとしてスタートしました。人々はマニュアルやプログラム中のメッセージの翻訳に取りかかり、グループを形成していきました。そうした有名なプロジェクトの1つがJFプロジェクトです。

韓国も似たような状況です。F/OSSはKLDP(Korean Linux Documentation Project)としてスタートしたのです。

その後、KLDPは開発の段階に入り、マニュアルだけでなく、コードにも手を加えています。

公用語として英語が用いられない韓国および日本の人々にとって、ソフトウェアにおける母国語のサポートは社会的に重要かつ重大な問題なのです。しかし、母国語以外に英語も通じる国々では、母国語のサポートに対する態度や熱意はそれほど強くないように私には見えます。

もっと大量の翻訳を可能にする(翻訳支援や辞書サポートのような)新しいテクノロジが登場してほしい、というのが私の願いです。

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