SourceForge.JP is Evil?

トラックバックを辿ってこのような意見を頂いた。これは二つのことに分けられると思うが、まずSourceForge.JPについて。

SourceForge.JPを立ち上げる際、これを作ることに意味があるのかどうかかなり悩んだ。日本側からOSDNという活動にどうコミットしていこうかと。で、1年ぐらい悩んで結局 SourceForge.JPを立ち上げたわけだが、そのあたりの状況はLinux magazine 2002年7月号のインタビューにそれなりに書かれている。セールストークも入っているが、まあこの頃はSourceForge.JPは基本的に悪だなと考えていた。ただ、Debian-JPがDebianに合流できたようにSF.JPのプロジェクトがどんどんSF.netにいけるようになればいいと思ったし、その手伝いをすることは良いことだろうと思っていたことも確か。それが日本でOSSの開発を強化することにもつながると。

で、今はこのインタビューで言ってるようなデータベースレベルでの統合というのはかなり遠のいているのだが、SF.jpで満足できないプロジェクトはSF.netにどんどん行ってるし、逆にSF.netから日本語環境を求めてSF.jpにやってくるプロジェクトもいる。それが今や普通になってきているので、OSTG(OSDNの現在の社名)に大きなコストをかけさせてまでDB統合というのは特に考えてはいません。まあ、何回か技術的にどんな段階を踏んで統合しようか、という協議はOSTGと過去にしてはいますが、彼らからすれば1000程度のプロジェクトのためにかけるコストに見合わないわけですね。10日もあればその程度のプロジェクトはSF.netに新規で立ち上がるので、OSTGはそれを維持することに優先度を割いています。(知らない人のために。OSTGは営利企業なのだ。)

また、当時は私自身SF.netが中心の世界を漠然と考えていたわけだが、今やSavannahTigrisRubyForgeAliothKLDP.net…等といったサービスがたくさんあるわけであり、OSS開発を自社のサイトで行うIBMNovell、HPといった企業もたくさん存在する。まあ、よく考えればSF.netはホスティング領域の貸し出しをしているだけに過ぎないので、無理やり連携よりも現在のユーザにとってより良いサービスを提供することに力を注いだほうがいいだろうと考えてはいます。おそらく、来年には彼らよりも先に大きな機能を実装すると思いますが、これは彼らがあまりにも大きなユーザを抱えているのでなかなかできないことでもあります。利用者側視点からSF.net的なものは一つのほうがいいという意見もあるだろうが、SF.net(.jp)はあくまで開発者のための領域であって、それ以上はあまり考えていないのが正直なところ。欲しいものを見付けるためなら、Freshmeatのほうが向いていると思うので、日本からもFreshmeatをどんどん使って欲しい。さすがにFreshmeat.JPはやるつもりはない。この手の情報はなるべく一ヶ所に情報があるほうがいいだろう。Freshmeatこそ、世界へ自分のプロジェクトを広報する手段だと思う。

で、SFを多国語サポートと言われてますが、これはSF.net内でやれば効果的だと思うもののOSTGにそれだけのことをするメリットがあるのか、という問題もあります。現実的なのは各言語のSFみたいなものがゆるやかに連携していくことなのではないかと思いますが、これはXMLフィードかなんかでOKなのかもしれません。SF.netぐらいにはSF.jpも何とかしたいなぁとは思っているが、現時点では断言できないのがつらいところ。

で、次に*-jp問題について。どうもJPと付くものを全て私が否定しているという流れになってるようだが、それだと私がDebian-JPの面々と仲良くしていて、サーバと帯域の支援もしていることの説明が通らないだろう。上記のインタビューでも触れられているように、昔々 Debian JP ProjectがDebian-JPのリリースをやめ、Debianへの統合を果たしたという行為は当時としては画期的だったと思う。統合したからといってもDebian JP Projectというものは存在しているわけで、JPの枠の中だけでアクティブな貢献を果たしている人もいるし、JPは組織として存続している。私としては、このようなグループは非常に素晴しいと思う。

で、JP forkの問題については、これはケースバイケースの気がするが、基本的にはOriginの意向に沿うことが望ましいかな。だけども、何らかの問題があればforkは認められるものだと思うし、そもそもforkそのものはFakeでも何でもない。そもそも、このような開発系の話でFakeを出したわけではないのだが、それは私の言葉が足りなかったのでそう書かれたのだと反省しよう。

ちなみに、Fakeのオリジナルはjlcのこの記事である。この記事からPerensと何がFakeなのだ?という会話になったのだが、Perensによる定義はどうも私より厳しいと話していて感じた。だが、彼の立場ではそのくらいでないと勤まらないのだろう。