Last.fmとTechCrunchの100日戦争

音楽情報共有SNSのLast.fmとブログ・ニュース・メディアのTechCrunch、Web 2.0の申し子とも言える両者が、抜き差しならない対立に追い込まれている。

Last.fmとは

Last.fmがどういったものかを言葉で説明するのは難しいが、簡単に言うと、皆さんがコンピュータ上で再生した音楽の曲名やジャンル等の情報を送らせて集計し(様々な音楽プレーヤ向けに、Scrobblerと呼ばれる送信用プラグインが用意されている)、そのデータをうまいこと料理して、ユーザごとにカスタマイズされた様々なサービスを提供する、というようなものである。

普段どんなアーティストのどんな曲をどのくらいの頻度で聴いているかということが分かれば、その聞き手の好みのようなものがある程度推測できる。そこから、そのユーザが好きそうな曲だけを集めたインターネットラジオを用意したり(これが元々の主力サービスだった。Last.fmさえあればもうFMラジオは要らない、これが最後のFM局(Last FM)というのがそもそもの名前の由来)、音楽の嗜好が似た人を紹介したりといったSNS的な仕組みを提供することが可能となる。日本では、例によってJASRACとの交渉がこじれて肝心のインターネットラジオ部分がなかなか提供できず(提供し始めたのは去年の夏から)、結果として今ひとつ一般には普及していないが、海外ではすでに相当な量のユーザが存在する。

このLast.fmが、最近になってかなり深刻なスキャンダルに巻き込まれた。

ラウンド1: 急襲

そもそもの発端は今年2月、当時3月3日に発売予定だった人気ロックバンドU2の新作『No Line on the Horizon』の音源が、発売日よりも前にインターネット上に流出したことだった。2月17日、音楽メジャー・レーベルUniversalのオーストラリア子会社が間違えて、まだリリースされていないにも関わらずU2の新曲群をデジタル・ダウンロードで買えるようにしてしまったのだ(What The U2 Leak Says About Music Biz)。買える状態になっていたのは2時間だけですぐに引っ込めたそうだが、それでも気づいた奴はいたわけで、楽曲はあっという間にBitTorrentなどのP2Pネットワークに放流され、大量に市中へ出回ることになった。

個人的には、起こったことは仕方がないし、どうせ買う人は買うのだからそんなもの放っておけばいいんじゃないかと思ってしまうのだが、レコード会社、あるいはそれを代表するRIAA(アメリカ・レコード協会)的にはそうもいかないらしく、流出音源を正式リリース前に手に入れた不埒な奴をを突き止め、何とか懲らしめようと苦心しているらしい。そして、どうやらRIAAは、Last.fmにユーザのデータを要求したらしいのである。

Last.fmに蓄積されたデータには、何人が何という曲をいつ聞いたかに加え、Last.fmのユーザ名やIPアドレスも記載されているはずなので、これを見れば、どこのどいつがU2の新曲を、正式発売日よりも前に聞いていたかが分かる。うまく行けば、流出させた犯人までたどり着けるかもしれない。まあそこまでは無理でも、それなりに腰を据えて分析すれば、音源流出からBitTorrentへの放流に至る地下ネットワーク(?)のようなものの時間的・空間的・人脈的な流れをあぶり出せるかもしれないわけである。RIAAとしては、今後の対策を練る上でも興味深いデータだろう。しかし、データの大部分が公開情報(ユーザのページに行けばあらかた見られる)とは言え、Last.fmがこんなものを自社外にまとまった形で渡して良いかはかなり微妙、私の感覚では黒に近いグレーと言わざるを得ない。法的に責任を問われるかどうかには議論の余地があるが(Last.fmのプライバシーポリシー)、少なくともLast.fmのユーザには、相当な失望を与えるだろう。

というような疑惑を、有力ITメディアのTechCrunchが報じたのが、今年の2月20日のことだった(Did Last.fm Just Hand Over User Listening Data To the RIAA?)。これに対し、Last.fm側は直ちに猛烈な反論を開始した。Last.fm共同創業者のRichard Jones氏は問題のTechCrunchの記事にコメントをつけると共にLast.fmの公式ブログにおいても「TechCrunchは嘘ばっかりだ」(TechCrunch are full of shit)というエントリを掲載。TechCrunchの報道は全くの事実無根と主張したのである。

確かに、このTechCrunchの記事には何ら証拠となるようなものが書いていなかった。根拠は情報源から寄せられたメール、と称するものだけで、ほとんど「ウワサ」に過ぎない。当時私が読んでも、これじゃ真偽は判断できないなと思ったくらいである。よって、この記事に限って言えばガセネタ呼ばわりされても仕方がない。そんなわけで、この時点ではTechCrunchが一方的に面目を失って事態は終結したかのように見えた。

ラウンド2: 逆襲

TechCrunchが逆襲に転じたのは今月5月に入ってからである。「Last.fm、否定してみろ」(Deny This, Last.fm)という挑発的なタイトルの記事を出してきたのだ。これはTechCrunchの編集長Michael Arringtonが自ら執筆したもので、以下の3点を主張している。

  • なるほどLast.fmがRIAAにデータを引き渡したわけではない。引き渡したのはLast.fmの親会社のCBSだ
  • CBSはLast.fmを騙した。Last.fmは、CBSがRIAAに渡すつもりだと知らず、内部使用オンリーのつもりでデータを渡した。Last.fmのスタッフは外部にデータが流れたことを後で知って激怒している。
  • TechCrunchの情報源にこのことをリークしたCBS社員はクビになり、CBSから訴えられそうである。

相変わらず、Last.fmに近い「TechCrunchの情報源」というのが誰なのか良く分からないので何とも言えないのだが、少なくとも以前の記事よりは話が具体的になってきた。メールのスキャンなどというものも公開している(こんなものは偽造も簡単だろうしいまいち意味が良く分からないのだが)。もちろんこの記事にもLast.fm側から反論があり、状況は混沌としていてまだまだ何とも言えないというのが現時点での結論である。

戦い済んで日が暮れて

結局今回の騒動がどういう方向で収まるのか、私には分からない。仮にLast.fm(というか親会社のCBS)が個人を特定可能なデータをRIAAに提供していたとしたら、それはそれで重大なスキャンダルだと思うが、むしろLast.fmとしては、ユーザに嘘をついていたことが明らかになるほうが、ダメージとしては大きかろう。また、もしLast.fm/CBSのほうが正しく、TechCrunchのほうが完全なガセネタを掴んでいた場合、こちらも容易ならざる事態である。一度目はともかく、二度目は完全にTechCrunchからLast.fmに喧嘩を売っているわけで、これが通らないとなるとニュースメディアとしてのTechCrunchの信頼性は失墜するし、それこそTechCrunchが消滅してもおかしくないくらいのスキャンダルと言える。ようするに、うやむやにする以外落としどころがなく、どちらも引っ込みがつかなくなっているのである。私が事態の進展を注視しているゆえんである。