スピーク・アップ!

とうとう2009年になってしまった。新年最初のコラムである。今年もよろしくお付き合いください。

一年の計は元旦にありと言うが、確かに年初は長期目標を立てるのにふさわしい時期である。そこで本業はともかく、趣味の世界(私にとってDebianがどうだのGNUがどうだのなんてのは完全に趣味です)における今年の私のささやかな目標だが、それは定期的に英語でブログを書き続けることだ。皆さんもご一緒にいかがですか。

英語ブログ自体はずいぶん前から用意してあるし、そもそも一昨年も去年も年初は同じようなことを言っていたくせに結局三日坊主で終わってしまったのだが(そもそも日本語のブログすらろくに続かないのに)、今年こそはという気概はある。厳密に言うと別にブログでなくてもよくて、重要なのは英語で情報発信をするということだ。そこでブログに加え、とあるフリーソフトウェア開発プロジェクトが出している英文のニュースレター(メルマガ)に寄稿しようと思っている。ある程度大規模なプロジェクトになると開発者向けにそういうものを出しているところが多いのだが(例えばDebianもDebian Project Newsというのを出している)、大体どこもネタに困っているので、自分がやっていることや関心があることを適当に書きさえすれば、載る可能性は高いのである。英語で情報発信するということは、少なくとも技術系の分野においては、私たちが思うよりずっと敷居が低い。思いついたキーワードでちょっと検索してごらんなさい、インドやロシアあたりの人が書いた、文法はぐちゃぐちゃだが中身は有用というブログはいくつも見つかります。だから、私たちの英語能力がいかにへぼくても、意に介する必要は全く無い。とにかく英語(のようなもの)で書いてあるということが重要なのだ。

ところで、小遣い稼ぎにすらなりそうにないのになんでそんなことがしたいのかと言うと、非常に端的な言い方をすれば、これからは飲み込むだけではなくて吐き出していきたいからである。私も含め、日本人は外から学ぶこと、他者をウォッチすることにとても熱心だ。しかし、単に自分が学ぶだけで、得た知識を最大限に活かすことができない。特に、自らが獲得した知識を他人に分け与えることがとても不得手なように思われる。私自身、英語文献のみならず毎日毎日飽きもせず英文のブログやニュースを読み、相当な量の翻訳作業もこなしてきたのだが、正直に言って、もう単なるインプットはいいかなという気分がある。もちろん学ぶことを止めるわけではないが、そろそろオリジナルのアウトプットに重点を移していくべき時期のように思うのだ。英語の表現で「借りを返す」といったニュアンスのpaying one’s duesという言い回しがあるが、気分としてはそれに近い。加えて、知識というのは吐き出せば吐き出すほど、他から新しいものが自然と集まってくるというところがある。どうせ自分のとっておきのネタを教えてやるなら、関心がなさそうな相手よりは、そのことについて盛んに言及している人のほうがいいですよね。まあ、もちろん日本語で書いてもよいのだが、英語で書けば期待されるオーディエンスは60倍だし、それに最近の日本のブログ界というのは、非常に自己言及的というか、「ブログについてブログで書いている」というような感が無きにしもあらずである。別にそれが悪いというわけではないが、個人的にはあまり関心がない。

そういえば、ちょっと前に日本語が滅びる云々といった話が一部で話題になったが、確かに日本語を話す人間の頭数は世界的に見れば大したことはないし、今後は減る一方なのかもしれない。しかし、それを変にパセティックに捉える必要はない。実際問題として、海外の人々は私たちのことを本当に知りたがっているからだ。それも、当事者にとっては実にどうでもいいと思われるようなことを。個人的な記録のつもりで日々の食事とレシピを写真でとって英語のブログに書いていたら、妙に人気が出てしまったという知り合いもいる。無理に気張って小難しいプログラミング・テクニックやら何やらを開陳しなくても、麻生政権の評価から好きなアニメやマンガの話にいたるまで、それこそ日本語が分からない人への人助けの気分で、ちょっとしたことを書くだけでも十分なのだ。日本語のブログを書くのと同じ乗りで、思うところを気軽に書けばいい。昨年はとにかく日本風のカレーが好きな変なアメリカ人記者の記事が話題になったが、キョウトにもスモーにも興味はないが、日本のカレーやジャンクフードにはひとかたならぬ関心を寄せる異郷の皆さんは、決して少なくないのである。私たちはヘンテコな言語とそれにまつわる文化を理解できる希少種なのだ。希少であるということは、貴重であるということに他ならない。

ちなみに、私が海外で雑談の種に使って必ずウケるネタは、日本人がコンピュータ上でいかにして日本語を入力しているか、という話である。日本人にとっては当たり前のことだが、外国人の前で実際にやって見せるとまるでマジックを見ているかのように驚かれる。また、ローマ字入力を英語で説明するとなると結構難しいので、試しにブログに英語で書いてみるとよい。

別にソフトウェア開発に限らずどんな分野でもそうだと思うが、声を上げないというのは、結局のところ黙認を与えているのを同じである。報告されないバグは存在しないし、何も言わない開発者も何も言わないユーザも存在しない。そして読めない文書もまた、存在しないのである。だとすれば、とにかく声を出すことだ。そうすれば、案外おもしろいことが起こると思いますよ。