FUEL:コラボレーションによる言語の標準化プロジェクト

  FUEL (Frequently Used Entries for Localization)プロジェクトは、コンピュータソフトウェアのローカライゼーション(ローカライズ)分野における一貫性および標準の欠如という問題の解決を目指している。Red Hatが開始したこのプロジェクトは、こうした問題の解決により、ローカライズされたデスクトップ環境をエンドユーザにとってより使いやすいものにしようとしている。

 アプリケーションのメニューにある「File」や「Save」といった簡単な単語に5種類もの置き換え表現があることを、初心者ユーザはなかなか理解できない。こうした一貫性のない専門用語のとっつきにくさが、ローカライズ版デスクトップの普及にとって大きな障害となっている可能性がある。そのためFUELでは、翻訳における標準化の問題を抱えているアクティブなコミュニティやローカライズ担当者と協力して、最も妥当で無難な訳語を策定することを目的としている。また、各言語のデスクトップに統一感のある外観を与え、ローカライズされたデスクトップ環境をその言語の利用者にとってより使いやすいものにすることも目指す。

 ローカライズのプロセスには、多くの問題がある。どんなテキストを翻訳するにしても、たいていは1つの単語に何とおりもの訳語が存在する。また、解釈の誤り、単語の多義性、文脈の欠如といった要因が、ユーザビリティの大きな損失につながる。たとえば、インドのヒンディー語では“copy”の訳語が45種類も考えられ、“save”、“print”、“tool”といった単語にも同様の傾向がある。また、ローカライズ担当者の好みの違いからさまざまな訳語が使われている。

 これまでの標準化は、活動の主体となる組織が外部との協力なしに独自に行うのが一般的であり、実際のローカライズ担当者やデスクトップユーザが関与することはあまりなかった。たとえば、インドの政府組織および機関のなかには、数千項目におよぶコンピュータ分野の用語集を作り上げて公開しているところもあるが、それらはまったく利用されていない。複雑さ、わかりにくさ、統一感のなさといった理由から、そうした活動を支援する者もいない。

 これに対し、FUELは用語集を作成するだけの取り組みではない。そのプロセスは、FUELジャーニー(journey)と呼ばれる4つの大まかなフェーズに分かれている。プロジェクトは、まずデスクトップに見られる主要なユーザインタフェース(UI)項目のリスト作りに着手する。具体的には、デスクトップ画面そのもの、そのパネル、ブラウザ、オフィススイート、エディタ、メールクライアント、インスタントメッセンジャー、およびターミナルのメニューやサブメニューに現れる項目がこれにあたる。現時点では、578の項目がPOTファイルにリスト化されている。FUELに従って標準化の問題に取り組みたいというローカライズ担当者は、まず自らのコミュニティでこの578項目について集中的に検討を行う必要がある。ローカライズ担当者および専門家の間でコンセンサスを取って各項目の訳語を決定すれば、デスクトップ環境のローカライズ作業の標準化にすぐに利用することができる。こうしたアプローチのほうが、個々のアプリケーションでローカライズの標準化を行うよりも、ユーザビリティが向上する。

 FUELでは、さまざまなアプリケーションに個別に取り組むのではなく、デスクトップ全体の用語を標準化しようとしている。現在、FUELのリストに掲載されている典型的なUI項目は、GNOMEデスクトップ、OpenOffice.orgオフィススイート、Firefoxブラウザ、Evolutionメールクライアント、Pidginインスタントメッセンジャーから集められている。少なくとも、一般的なユーザによる使用頻度の高いものは、すべて押さえておこうというねらいだ。今後、コミュニティからの要求があれば、ほかのプロジェクトのUI項目もFUELのリストに追加される可能性がある。

 FUELリストの各項目に対する訳語の最終評価は、1人や2人で行われる作業ではない。ある言語コミュニティの現役ローカライズ担当者全員が、言語および技術の専門家と話し合って最終的な訳語を決める。また、訳語リストの公開後は、すべてのローカライズ担当者がそのリストにある訳語だけを使うことになっているため、ローカライズ実施段階の成功も保証される。

 ただし、評価済みFUELリストの公開によって、このプロセスが終わるわけではない。言語コミュニティとしては、ローカライズされたメニューを実現して初めてFUELの恩恵を受けることになる。そのため、FUELのプロセスには、締めくくりとして実施のフェーズも盛り込まれている。ローカライズ担当者は、公開されているFUELリストを必ず利用しなければならない。

 FUELには、ローカライズ版コンテンツの作成に携わるどんなチームでも絶えず質の高い翻訳を生み出せる手順が用意されている。こうした手順では、バージョン管理システム、チケット管理システム、メーリングリストが利用されている。各言語のFUELリストの提供は、一般の人々が利用しやすいようにいくつかのフォーマット(PO、ODS、PDF)で行われ、FUELに関係する開発プロジェクトの情報は、FUELの言語コーディネータによってその言語のメーリングリストに届けられる。また、fuel-discussメーリングリストに参加すれば、だれでもFUELプロジェクトのメンバに意見を伝えることができる。さらに、各言語プロジェクトは毎年、メインのFUELリストへの新しいエントリの追加を行うことになっている。このように、用語集の整備状況はソフトウェア開発と同じように管理される。

 FUELにおけるすべてのプロセスは、終始オープンになっている。ある言語への取り組みを始めようと思う人物は、メーリングリストを通じてコミュニティ全体にその旨を伝える必要がある。FUELリスト項目の訳語の評価もまた、メーリングリストを介して行われる。評価のプロセスが終わると、評価済みのFUELリストが、再びコミュニティのメーリングリストおよびfuel-discussメーリングリストで公開される。プロジェクトのページで新たなチケットを生成することで、だれでも任意の項目について不具合を報告できる。コミュニティから現行リストの修正について同意が得られれば、その変更が可能になる。このように、用語集の整備プロセスは、全体的にオープンソースソフトウェアの開発プロセスによく似ている。

ヒンディー語における成功事例

 利用者が非常に多い言語の1つであるヒンディー語は、FUELプロジェクトの有望さを示す一例になっている。また、何百もの方言があるため、標準化がきわめて難しい言語の1つでもある。インドでは、科学技術用語委員会(CSTT:Commission of Scientific and Technical Terminology)がコンピュータ分野の用語を統一するためのヒンディー語の用語集を作成しているが、ソフトウェア分野の翻訳者やローカライズ担当者にはあまり利用されていない。2003年以降、SaraiおよびIndLinuxが翻訳について検討するワークショップを何度か開催しており、ヒンディー語のFUELリストの最終評価には、そうしたワークショップの経験が大いに活かされている。今年の翻訳ワークショップにおけるディスカッションを経て、ヒンディー語のコミュニティは、標準化への取り組みが必要との合意に達した。そして7月には、現役のローカライズ担当者が一堂に会し、言語および技術の専門家と共に、2日間の話し合いによってFUELの578項目に対するヒンディー語の最終的な訳語を決定した。こうして7月13日には、ヒンディー語のFUELリストが、コミュニティの承認を得たガイドラインとして公開された。

 現在、ヒンディー語FUELプロジェクトは実施フェーズにあり、ヒンディー語のコミュニティはすでにFUELリストの利用を開始している。同コミュニティは、Firefoxに対するFUELリストの適用を完了し、今度はGNOMEに着手している。実施のフェーズでは、既存の訳語の変更や、FUELリストの訳語による置き換えが発生し、骨の折れる作業が長期間にわたって続く。ヒンディー語のローカライズ作業については、主要プロジェクトのすべてがリリース済みであるため、今後のFUELプロセスの実施は少なくとも関連プロジェクトの次のリリース以降になる。

 ヒンディー語FUELリストの成功から数週間後、ほかの4つの言語でもFUELに対する積極的な取り組みが開始された。

言葉こそが財産

 FUELプロジェクトのページの冒頭には、インドの偉大な宗教詩人トゥカーラーム(Tukaram)の一節が引用されている。

「言葉は、私が持っている唯一の宝であり、
私がまとう唯一の衣であり、
私の命をつなぐ唯一の糧であり、
私が人々に分け与えることのできる唯一の富である」

 FUELプロジェクトは、言葉を非常に重要なものとして扱っている。

 FUELの活動に参加したいという言語コミュニティは、まず、その言語向けFUELリストの利用について自らのメーリングリストおよびFUELのメーリングリストに情報を送る必要がある。FUELのプロセスは、評価のプロセスへの参加を求めるすべての人々に対してオープンであり、コミュニティ全体の協調および協力がプロセスのすべてのフェーズで欠かせない。

 既存の翻訳の変更や作業のやり直しが数多く必要になり、FUELリストの整備がなかなか進まない可能性もあるため、標準化を達成するのは容易ではない。しかし、FUELのプロセスを経てリリースされるローカライズ版ソフトウェアは、FUELの協調性とオープン性ゆえに、信頼性と完成度の高いものになるだろう。このようにFUELは、標準化を達成するための協調的でオープンな、そして透明性の高いプロセスなのだ。

Rajesh RanjanはRed Hatのヒンディー語担当メンテナ。Fedora、GNOME、OpenOffice.org、Mozilla、FUELなど、多数のプロジェクトのローカライズに取り組んでいる。ヒンディー語のほか、同じくインドのマイティリー語のローカライズにも携わる。Red Hat入社前は、The Indian Express GroupおよびLiterate Worldに勤務。

Linux.com 原文(2008年10月06日)