Symphony OSの進む道

Symphony OSは、徹底的な刷新をねらったGNU/Linuxディストリビューションである。もともとはKnoppixを、今はDebian stableをベースにしているが、Jason Spisak(Lycorisの共同創始者)の所謂ユーザ・インターフェイス・デザインに関するグレー・ペーパーに明示されているアイデアを実装することにより、大部分のディストリビューションから急速に差別化を図っている。Symphonyの実装はすべてのプラットフォームのUI関係の仮説に異議を申し立てることがよくある。また、Symphony OSのソリューションの短所が自ら問題を引き起こすこともある。どちらにせよ、私は2006年5月のベータ版の出来を調べながら、UIデザインについて考えないわけにはいかないと思った。Symphony OSは最終的な答を出してくれないときでさえ、無視されることがあまりにも多い、使い勝手に関する問題を提起する。

開発者の立場から見ると、Symphony OSにおける新機軸の1つとしてOrchestraを挙げることができる。これはディストリビューションの他の部分と一緒に開発されている迅速アプリケーション開発環境である。OrchestraはMozillaをベースにしており、これを使用することによって、HTMLとPerlで書かれたGUIプログラムをローカル・デスクトップ・アプリケーションとして使用できるようになる。その結果、プログラムは軽量で応答性のよいものになるようだ。けれどもエンド・ユーザの立場から見ると、OrchestraはMezzoデスクトップによって影が薄くなっている。MezzoデスクトップのUIのほうが目立つからだ。

使用とインストール

本来、Symphony OSはライブCDである。コア・システム・ファイルのほかは半ダースほどのプログラムしかインストールしないミニマリスト・ディストリビューションなので、大多数のライブCDよりも起動が速い。しかし、3~4回の起動に1回はログインまたはデスクトップでロードが完全に失敗した。前もってCDの表面をきれいにしておいても同じ結果になった。

2006年5月のリリースには、Symphony OSをハードドライブに自動的にインストールするためのプログラムが含まれている。この機能によって、以前のバージョンのインストールに必要だったクルージの問題は解消されるが、相変わらずバグに悩まされる。USBドライブや小型のハードドライブのための圧縮バージョンをインストールするオプションは機能しない(「not tested」となっている)。同様に、ダイアログ・ウィンドウにはハードドライブ・パーティションに関してQTPartedが記載されているのに、実際にサポートされているのはcfdiskである。残念ながら、組み込まれているcfdiskのバージョンでは、私の3つのテスト・マシンのいずれでもパーティションを作成できなかった。そのため、インストーラを実行する前に、別のライブCDを使ってext2やext3のパーティションを作成しなければならなかった。それでも、インストーラはときどき立ち往生したし、ラップトップのPCカード(PCMCIA)を検出しなかった。

こうした初期の問題は別にして、インストーラで特に注目すべき点は — Symphony OSの他の部分についても言えることだが — インタフェースに対する配慮である。このプログラムは、わずか数画面でハードドライブへのインストールを行うが、これから何が行われるかという説明が各画面に繰り返し表示される。思慮深いものの1つが、インストールの完了時に[Close]ボタンに切り替わる[Wait]ボタンである。インストールではデフォルトのアカウントが作成され、少数のパッケージが組み込まれるので、このプロセスは5年前のコンピュータでさえも、最小限のインタラクションで10分足らずで完了する。

Mezzoデスクトップ

Mezzoデスクトップにログインすると、ただちにUIの問題に直面する。Mezzoが使いにくいからではない。むしろ、これまで見たものよりも神話的な直観的UIに近づいている。ウィンドウがデスクトップから消えないようにする色分けされたウィジェットやバンパーなどの細部にSymphony OSチームの工夫がよく表れている。

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Symphony OS – クリックで拡大

MezzoはGNOME、KDE、Windows、OS Xのデスクトップと大きく異なっており、その違いは無視できない。Mezzoでは単純化のためにデスクトップでアイコン、タスクバー、ポップアップ・ダイアログ、右クリック・メニューを使用しないので、アイコンのドラッグ&ドロップ機能がなく、少数のカスタマイズ可能なオプションが用意されている(少なくとも、このリリースでは)。そのため、Symphony OSの背後にあるデザイン原理の実装に絶えず直面することになるのだ。

Spisakのグレー・ペーパー内の最初のコメントの1つに、デスクトップの四隅が十分に利用されていないという指摘がある。この指摘に応えて、Mezzoでは四隅のそれぞれに呼び出しターゲットを配置している。左上隅からは、設定、デバイス、システム・タスク(ディストリビューションをハードドライブにインストールするなど)にアクセスできる。右上隅からはパーソナル・ファイルの位置情報に、左下隅からはプログラム・メニューに、右下隅からはごみ箱にそれぞれアクセスできる。この仕組みにより、利用可能なスペースを効率的に使用できるし、ごみ箱を誤って使われることのないリモート位置に置くことには意味がある。けれどもMezzoをしばらく使ってみて、伝統的なデザインでデスクトップの四隅を使わない(つまり、マウスを長距離移動しない)正当な理由があるかどうか疑問が残った。同様に、よく知っていることの安心感に関するSpisakのコメントは、機能を予想どおりの場所に置いておくことの妥当な論拠になっているが、デザイナたちは非能率になるときにもその原理に固執すべきなのだろうかとも思った。とりわけ、プログラム・メニューは最も能率的でない位置の1つ(左下隅)に配置されているように思われる。これはMicrosoftがWindows 95の見た目をMac OSに似すぎないようにしたことから(それだけの理由で)始まった伝統である。しかも、この場合、左上隅 — 大部分のヨーロッパ言語のユーザが最初に見る場所 — はめったに使われない管理機能に明け渡されることを意味する。

Spisakのねらいには、ネストになったメニューとスクロールを避けることも含まれている。この目標を達成するため、ターゲットでは伝統的なメニューが開かずにデスクトップ・レベルのメニューが開き、デスクレットがサブメニューの代わりをする。スクロールが不要になるよう、デスクレットに項目が追加されていくと、そこにリストされる項目のサイズが縮小される。このやり方はSymphony OSのデフォルト・パッケージ選択ではうまくいく。しかし、20個ほどのプログラムを追加するころまでには、縮小されたテキストでいらいらさせられるかもしれない。プログラムはアルファベット順ではなくインストールされた順序でリストに追加されるのだからなおさらだ。アイコンで一杯になったデスクトップ(Spisakが「現代のコンピュータのがらくた入れ」と喝破した状態)よりずっとひどいだろう。しかし、公正を期すために言うと、この問題は将来のリリースでデスクレットとその内容を操作するデスクトップ・マネージャが完全に機能するようになれば、少なくともいくらか改善される可能性がある。

タスクバーでも最小化されたプログラムに関して同じような問題が起こる。最小化されたプログラムはフルサイズのアイコンを使ってデスクトップの下辺に表示される。このやり方はプログラムの数が少ないうちはうまくいくが、最小化されたプログラムが増えると、ごみ箱ターゲットが見えにくくなる。プログラムをもう少し開くと、最小化された他のプログラムがデスクトップの左側に表示され、左上のターゲットが見えにくくなる。プログラムの数が少ないときはうまくいくことも、多くなるとうまくいかなくなるのだ。

ソフトウェアの選択とインストール

大部分のディストリビューションと違って、Symphony OSはGNU/LinuxおよびX Window Systemのコア・ファイルのほかに少数のファイルをインストールするだけである。Firefox、Thunderbird、Gaim、VLCメディア・プレーヤーは、デフォルトで含まれるサードパーティ製ソフトウェアのほとんどすべてを表現する。全部で約230のパッケージがインストールされる。今までずっと現代のミニマリスト・ディストリビューションに対する私の標準であったDebianのデスクトップ環境では約830である。根本的理由はユーザが途方に暮れるほど選択肢を多くしないことのように見えるが、これは適切なセキュリティ上の措置でもある。しかし、不安を減らすことによって、どんなものが利用できるのか調べてみたいという新規ユーザの探究心に水をさすことにならないだろうか。多くのディストリビューションがフルレンジのプログラムをインストールして、自らの品揃えを誇示している。選択肢を少なくしたディストリビューションは、ある程度の品揃えがあるように見せるために骨を折ってきた。

Symphony OSをハードドライブにインストールするユーザは、ほかのソフトウェアもインストールしたいと思うだろう。Symphony OSのインストール用のツールはOne Click Softwareと呼ばれるもので、Apt Plusというプログラムがベースになっている。機能性の点からすると、どちらの名前もマーケット語だと思ってよい。One Click Softwareでは、パッケージのインストールを開始するまでに実際には5~6回クリックする必要がある。そのうえ、パッケージ管理に使用できるクリーナ・グラフィカルUIの1つを備えているが、オプションはapt-getよりもずっと少ない。実際、私が見る限り、現在のバージョンにはソフトウェアを削除する機能がない。よく考えてからでなければダウンロードしないというほど慎重なユーザが本当にいるだろうか。あるいは、短時間のダウンロードでフリーソフトウェアが手に入るからといって、試しに使ってみようとか商品を調べてみようという気持ちが助長されるだろうか。また、新規ユーザにパッケージ管理の複雑さを徐々にわからせるのと、最初からフルレンジのオプションを与えるのとで、どちらがよいのだろうか。

もっと大きな疑問

ことによると、Symphony OSが提起する最大の問題は、GNU/Linuxユーザが消費者なのか顧客なのかという点である。言い換えるなら、彼らは提供されるものに自分自身を順応させるのか、それともディストリビューションが自分のニーズや好みを当然満足させてくれるものと期待するのか、ということだ。KDEとGNOMEはユーザにあらゆるオプションを提供することで、ユーザを顧客として扱う傾向がある。それに対し、Symphony OSは少数のオプションをデザイン原理に高めることで — たぶん意図せずに — より顧客として扱っているように見える。結果的にデスクトップが学びやすいものになっているが、ユーザは現在のカスタマイズ性のなさとのトレードオフを考慮するだろうか。

こうした問題にあなたがどんな答を出すかはわからないが、いずれにしてもSymphony OSは第一にこうした問題を提起したことで賞賛されるべきだ。ソフトウェア開発者は実際のニーズやワークフローを考慮するよりは、むしろ借用によってユーザ・インタフェースを構築しがちだ。とりわけフリーソフトウェアでその傾向が強く、デスクトップ・デザイナは最新のWindowsデスクトップを自らの標準に見立てることがあるようだ。あなたがSymphony OSの実験の一部を失敗と判断するにしても、それらは少なくとも分別以上の営為を表している。そして、うまくすれば将来はUIデザインの一部となるかもしれない。

注: この記事は発表するためのものなので、Symphony OSはプロジェクトの持続に資する寄贈という名目で提供してくれた。寄贈に関心のある方はプロジェクトのホームページで詳細を確認してほしい。

Bruce Byfieldはコース・デザイナ兼インストラクタであり、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿しているコンピュータ・ジャーナリストでもある。

NewsForge.com 原文