Capitol Advantage社のLinux活用

CapitolAdvantage.comは、元は印刷された米国連邦議会議員名鑑だった。Capitol Advantage社の創立者Bob Hansan氏は、これを1980年代後半にワシントンDC地域で企業向けに販売していた。1996年にインターネットがブームになると、Hansan氏はこれらすべてをオンラインに移行するという静かな改革を行い、これによって、有権者と下院議員や上院議員の間のコミュニケーション手段は決定的に変わった。今日、そのシステムすべてがRed Hat Linuxで動いている。

インターネットが始動して以来、Capitol Advantage社は全米最大の議員名鑑発行会社になった。同時にパブリックサービスサイトcongress.orgも開始し、ここで議員の情報を提供するとともに、オンライン投票の登録、議員の投票傾向の追跡、重要事項に関する警告メールの配信もできるようにした。また、Capitol Advantage社は、草の根活動向けのCapWizソフトウェアパッケージも作成した。これは、組織が議員に電子メール、郵便、電話、ファックス、直接配達などでメッセージを伝えるのを支援するソフトウェアだ。議員もこのソフトウェアを使って有権者にメッセージを発信できる。

2002年中ごろ、Claudio Cuestas氏がCapitol Advantage社のネットワークアーキテクトになった。同氏の仕事は、システムのバックエンドの技術的混乱に秩序をもたらすことだった。「それまでのシステム管理者たちは非常に優秀でしたが、若かったのでしょう」Cuestas氏は話す。「私がきたときには、Solaris、BSD、FreeBSD、Linuxなどいろいろなオペレーティングシステムが動いていました。これらを統一することが最初の仕事でした」

Cuestas氏はSun Unix分野の出身だったが、Capitol Advantage社では、オープンソース・オペレーティングシステムが唯一の選択肢であるとすぐに悟った。予算の制約があったほか、業務用に作成されていたカスタムアプリケーションがすべてPerlで書かれていたからだ。Cuestas氏は出回っているものを検討してDell、Red Hat、Oracleにしぼり、同氏がいうところの”論理的決断”によってRed Hatへの統一を行った。初めは60台の手作りサーバとエンタープライズレベルのマシンの寄せ集め(「大混乱でした」)だったものを、Red Hat 9が動く42台のDellサーバで構成されるスムーズなシステムに作り変えた。

この移行は簡単なものではなかった。多くの社内アプリケーションはFreeBSD上でコンパイルされていて、Red Hatで正しくコンパイルできるコードを入手できなかったという。「アプリケーションを開発した者の何人かは既に退社してました。こうしたアプリケーションのドキュメントは貧弱で、誰も把握できていませんでした。このプロジェクトは、多くの内部的な作業によってずいぶん時間がかかるものになりました」Cuestas氏の開発チームは、カスタマサービスのバックエンドサポートを行うアプリケーションの40〜50%を完全に書き直し、これに3ヵ月かかった。

システムの動作を完全に把握するために、Cuestas氏はCittioというシステム監視パッケージを追加した。「私たちのシステムは年中無休の24時間体制でなければなりません。メーリングリストサービスがあり、議員の経歴ページがあり、直接配達もあります。サイトは常に世界中で閲覧されています。いつでも動作していなければならず、5分間の停止も許されません。私たちはシステムで何が起きているか知っている必要があるのです」

Cuestas氏はこの変更によって仕事がずっと簡単になったという。「わたしはきちんとしたことが好きな性格なので、複数のオペレーティングシステムなんて許せないのです」と同氏は話す。「すべてを統一することが必要でした」

Linuxではダウンタイムは最小限だ。またシステム監視ソフトウェアによって「どんな問題も最初の時点で気づくことができ、事前に対処できます。以前は、何が起きているかわからないことが昼も夜もたびたびありました。今は必要なリソースがあります」

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