GNUフリードキュメンテーションライセンス
ほとんど諸手をあげてFDLを受け入れる人もいる一方で、フリーさが足りないと言って拒否する人もいる。この2通りの反応は、少なくともライセンスの次期改定まで変わることはなさそうである。広く熱く支持されているGNU General Public License(GPL)と比べ、落差は大きい。
ソフトウェアライセンスは、ソースコードをどのような状況のもとでどう使用できるかを定めている。これに対し、FDLはドキュメントをどう使用できるかを定めている。両者間の大きな違いは、FDLが出版の現実に合わせて、アンソロジ、大量出版、翻訳など、さまざまな種類の複写や変更に目配りしている点である。そうした目配りのため、ソフトウェアには不要だったいくつかの区別が、FDLでは必要となっている。
- コピーには、透明コピーと不透明コピーがある。透明コピーは、フリーで機械可読な形式でのコピーであり、テキストではHTML、グラフィックではPNGがこれに当たる。不透明コピーは、プロプライエタリな形式でのコピーであり、テキストならMicrosoft社の.doc、グラフィックならAdobe Illustratorの.aiなどがこれに当たる。透明形式を使用したほうが簡単だが、ライセンスでは、職業的出版での不透明コピーの存在が容認されている。
- ドキュメントには通常部分と不変部分がある。不変部分とは、複製にあたって変更してはならない部分を言う。ライセンスの意図が損なわれないよう、不変部分には2次的な内容(謝意、出版履歴など)だけを含めることとし、ドキュメントの主題に関する情報はここに含めない。表紙テキスト(表裏の表紙に記すドキュメント関連の短文)も不変部分としてよい。
- 100通を超える不透明コピーを作成するときは、さらに条件が加わる。たとえば、不透明コピー1通につき透明コピー1通を含める、など。
こうした区別が追加されたことで、FDLはほとんどのソフトウェアライセンスより使いにくいものになっている。この理由から、ライセンスにはドキュメントの出版方法に関する付録が添えられる。
肯定的な反応
FDLの主要対象分野である書籍出版業界からは、条件付きながら好意的な反応が返ってきている。O’Reilly and Associates社は、これまでにFDLのもとで4冊から5冊の書籍を出版しており、「どれも市場で健闘している」と、同社のSara Wingeが言う。ただし、「どの本にも、他のライセンスのもとで出版されたライバル本がない」ので、FDLのインパクトのほどを測るのは難しい、とも言う。O’Reilly社では、一般に「著者にライセンスを選ばせる」方針をとっている。著者がオープンライセンスを選んだからという理由で、O’Reilly社が本の出版を拒否したケースは、これまでにない。
No Starch Press社のWilliam Pollockも同様の意見であり、全体として、フリーライセンスは書籍の露出度と売上の増大に貢献していると信じている。しかし、書籍市場はソフトウェア市場よりずっと小さく、したがって「フリーソフトウェアとフリーブックは違います」とも言う。「ソフトウェア自体はくれてやっても、そのソフトウェア関連のサポートやサービスを販売すれば儲けが出ますが、書籍だとそうはいきません。くれてやれば、それで終わりです。読者が印刷バージョンの購入に興味を示してくれなければ、投資の回収などとてもおぼつきません」
FDLに対して最大級の賛辞を寄せるのは、オンライン百科辞典計画を推進しているWikipedia Foundationである。Wikipediaの創設者Jimmy Walesは、Wikipedia百科辞典項目のために独自のライセンスを起草することも考えていたが、FDLを選ぶことにした、と明かす。それは、第1に、FDLが同ファウンデーションの必要をよく満たしているからであり、第2に「GNUライセンスには重みがある」からだ、と言う。Wikipediaは、現在、不変部分なしのライセンスを使用している。
FDLでは「Wikipediaの内容の再使用が複雑になる」と懸念する人がいることは、Walesも知っている。仮にライセンス選択の際にクリエイティブコモンズ帰属(Creative Commons Attribution)ライセンスが存在していたら、そちらを選んでいたかもしれない、とも言う。だが、FDLは、全体として「すぐれたライセンスだ」というのがWalesの考えである。
DebianからのFDL批判
2001年11月以降、最も具体的なFDL批判をつづけてきたのがDebianプロジェクトである。FSFとは、長く、ときに辛辣な公開討論を重ねてきた。同プロジェクトの現在の公式態度は、「FDLは、Debian Free Software Guidelines(DFSG)に合致しない」というものである。DFSGは、Debianが各種ライセンスの妥当性を判断するときの判断基準となっている。
名前からわかるとおり、DFSGはもともとソフトウェア用に作られたガイドラインだったが、現在では、Debianディストリビューションとともに出荷されるあらゆるものにこれが適用されるようになっている。Debianの現行リリースであるバージョン3.1には、FDLのもとで作成されたドキュメントも含まれているが、DebianプロジェクトリーダーBranden Robinsonによると、次期リリースでは、FDLのもとでリリースされたすべてのドキュメントを削除させる計画だという。退役予定のドキュメントには、Free Software Foundationによってリリースされた多くのマニュアルが含まれており、GNU Compiler Collection用のドキュメントもその1つである。
FDLに対してDebianが指摘する難点は、主として次の3点である。
- セクション2に、FDLのもとでリリースされたドキュメントのコピーには、「妨害もしくは規制のための技術的手段」を適用してはならない、とある。これでは、ユーザはFDLドキュメントを暗号化して格納することができない、とDebianは言う。ファイルや、そのファイルを収めているドライブへのアクセスを制限することさえ禁止されかねない、とも言う。
- セクション3は、不透明コピーに透明コピーを添えるよう要求している。これに対し、透明コピーは公的に入手できればよく、不透明コピーにいちいち添える必要はない、というのがDebianの立場である。
- 不変部分も多くの問題の原因を引き起こす。訂正や更新ができず、できるのは加筆のみだというのでは、ドキュメントに不要なデータが溜まり、肥大化する一方になる。さらに、不変部分に含まれるのは2次的な内容ばかりだから、新しいドキュメントのソースとしても使えない。むしろ、不変部分が悪用される危険があって、そうなったらフリーライセンスの目的がくじかれると心配する人も、Debianメンバーの一部にはいる(ただ、不変部分に含むべき内容を明確に定義することで、そうした悪用は防げるようにも思われる)。
Debianからの異議申し立ての中心には、不変部分の存在がある。DFSGには、「ライセンスは修正と派生作品を容認するものでなければならない」とあるのに、不変部分の存在はその原則を危うくしかねない、とDebianは言う。
こうしたやりとりから、DebianとFSFがライセンス問題で犬猿の仲になったのではないかと一部では噂されているが、どちらのプロジェクトリーダーもそうした噂を一笑に付す。Richard Stallmanは、「Debianメンバーは基準を字面どおりに受け止めすぎる」と言いながらも、具体的なFDL批判への再反論は控えているし、Branden Robinsonも同様で、「これは兄弟喧嘩のようなもの。いい関係なのに、そこへ余分な緊張を持ち込むのは気分がよくない」と言い、DebianとFSFの間では定期的に会合が持たれている、と強調する。この会合では、FDLの次期改定でDebianからの主張をどう取り入れるかが協議されており、「協力関係は実に密接で、満足している」とRobinsonは付け加える。
FDLの将来
FDLの次期改定はGPLの第3版がリリースされてからになる、とStallmanは言う。そのGPLも、現行バージョンの執筆者であるStallmanとEben Moglenが、いまだ、第3版で取り組むべき問題点を関係者との協議で洗い出している段階である。とすれば、FDLの次期バージョンが形になるまでに少なくともまだ1年はかかるだろう。
とりあえず、FDLの将来あるべき姿について、Stallmanがいくつかの考えを明らかにしている。1つの案として、不変部分や表紙テキストに関する条項を除いた修正バージョンも考えられる。「公正な使用」を明確に定義し、書評者やカタログ作成者がライセンス違反を心配せずにサンプルを使用できるようにすることも必要だ、とStallmanは言う。
GPL/FDLのデュアルライセンスの可能性も探りたい、とStallmanが言うのは、Debianからの批判を意識してのことかもしれない。RobinsonはQtのデュアルライセンスを先例としてあげながら、デュアルライセンスなら、DebianのFDL批判がすべてクリアされる可能性があると言う。だが、Stallmanの言を待つまでもなく、2つのライセンス間の潜在的対立を解消し、デュアルライセンスに生じる抜け穴をすべて埋めるのは、相当な難事になるだろう。
当面、StallmanはFDLを「部分的成功」と評価している。フリードキュメントの必要性を認識し、より多くのドキュメントを万人の手に届かせようとする初めての試みだったという意味での、部分的成功である。「ドキュメントはまだまだ足りない」というStallmanの指摘は、まったく正しい。
Bruce Byfieldは講座設計者であり、講師でもある。また、コンピュータジャーナリストの顔を持ち、NewsForgeとLinux JournalのWebサイトに定期的に寄稿している。
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