FOSS企業を成功に導く7つのヒント

このところ、FOSS(フリー/オープンソース・ソフトウェア)を巡る新興企業が再び注目を集めている。AlacosBlack Duck Softwareといった企業が紙面を賑わすのを見ると、FOSSが市場への影響力を持ち始めたのはもう6年も前のことだったと感慨深い。しかし、ドットコム企業の倒産やテクノロジ産業の不景気をくぐり抜けた今も、そうした企業は答えを探しあぐねている。そう、「FOSSでビジネスをするには?」という質問の答えである。もちろん、私も完璧な答えを持ち合わせてはいない。しかし、私の経験から成功に関わる要因をいくつか挙げることはできる。

私はいくつかの企業で管理職やコンサルタントを務め、その間、各企業の仕事振りを見てきた。成功も見たが、それ以上に失敗した例を多く見ている。私にとって最初のFOSS企業であるStormix Technologiesは利益を上げていなかったし、Progeny Linux Systemsも、私がいた頃は利益を出していなかった。その他の企業では私はコンサルタントであり、社内の意思決定をすべて知っているわけではない。しかし、同じ過ちが何度も繰り返されているのを目にしてきた。

私としては、新しいFOSS企業がかつての興隆期の起業家たちと同じ過ちを犯さないように(そして、新たな過ちを犯さないように)と願っている。そこで、私が見てきたことをお話し、参考にしていただきたいと思う。そのいくつかは自明のように思えるだろう。しかし、私の経験からすれば、多くの人々にとって、それは自明ではない。他のものも決して珍しいことではないが、FOSSの場合は特別な事情が絡んでくる。

FOSSコミュニティを馬鹿にしてはいけない

6年前の起業家たちは、野盗が無防備の町を見つけたときのようにFOSSを扱った。彼らの目には、FOSSがまるで略奪してくれと言わんばかりに写ったことだろう。FOSSコミュニティのメンバーの多くは若く、自分たちのしていることを信じて、少ない報酬でも働くことを望んだからだ。そして、何よりも、価値ある知的財産を無償で提供したからである。

しかし、若いということは愚かであることを意味せず、理想を語ることと無邪気であることとは同じではない。やがて、起業家たちもそれに気がつくことになる。

ある企業がそのことを思い知らされたのは、10代のフリーソフトウェア開発者と研修の交渉をしていたときのことだ。その開発者はある主要商品を不要にしてしまうと見込まれるプロジェクトの立役者であり、企業はその権利の獲得を狙っていた。企業は細かい文字がびっしりと並んだ契約書を少年に送ってきたが、そこにはすべての権利をその企業に譲渡すると記されていた。しかし、幸いなことに、少年の叔父と叔母は知的財産権を扱う弁護士であり、助言を受けた少年は企業の申し出を断った。その企業は大魚を釣り落としたのである。プロジェクトはGNU General Public Licenseの下で続けられ、今では、ほとんどのGNU/Linuxディストリビューションの標準ツールとなっている。

それから6年たった。FOSSコミュニティは今も理想家かもしれないが、かつてのようには無邪気ではない。やらずぶったくりの人々を疑うのは自然なことだが、数多の起業家たち、FOSSコミュニティを略奪する新手を思いついたと考えている起業家たちによって、彼らの疑念はさらに強固になっている。重要なことは、FOSSコミュニティは多くの人々によって仕事が進められていること、そして、そのソフトウェア・ライセンスは、裁判で守られるだろうと信ずべき理由があるということである。

したがって、今FOSSに関わろうとする起業家たちにとって、かつてのような有利な立場はない。起業家たちが成功したいと思うのなら、FOSSコミュニティのやり方を学び、それを守らなければならないのである。

ビジネス・プランに集中せよ

1999年当時、FOSSは市場に登場したばかりで、その意味を確信を持って言える者はおらず、企業はあらゆる方向に走り出した。ディストリビューション、ファイアウォール、専門的サービス、Webサービス、ゲーム、組み込みシステム――少なくとも10数社がこうしたあらゆる方向に一斉に走ったのである。その多くは従業員数100人以下のところだった。遅れて参入し他社の誤りから学べたはずのProgenyでさえ、開発目標に据えた製品とLinuxディストリビューションとを強引に結びつけようとした。そして、数か月間にわたる暴走の末に的を絞ることを学び、生き残ったのだった。

今、FOSSの経営者たちの理解は改善され、手当たり次第に走り出すことはなくなった。Progenyはカスタム開発ハウスに自らの在り方を求めて成功した。Red Hatはエンタープライズ・サーバーに集中し、小売りのディストリビューションから手を引いた。最近誕生した企業でも同様である。AlacosはWindowsからの移行に自社の行くべき道を拓き、Black Duck Softwareはソフトウェア・コードの管理とライセンシングに活躍の場を求めている。

今日では、FOSSコミュニティが一般的な機能を提供し、FOSS企業が特別なものを提供するというのが一般的なようだ。この棲み分けがいつでも機能するとは限らないし広く成功するとも限らない。しかし、少なくとも「すべてをフリーに」という旧来の発想よりはうまくいく可能性がある。

FOSSの再パッケージングでは力不足

無償でダウンロードできるソフトウェアを一般の製品風に包装しても、その包装に代金を払う人は稀だ。

1999年当時、一般向けGNU/Linuxディストリビューション分野では、Red Hat、SUSE、Turbolinux、Caldera、Mandrake、Corelの6社がひしめいており、Storm LinuxやProgeny Debianなどが新規参入する余地はほとんど残されていなかった。両社とも、地元でさえ苦戦したものだ。

今日では、Corelのディストリビューションを買収したXandrosとTurbolinuxは2番手につけている。The SCO Groupとして再生したCalderaは商売よりも訴訟にのめり込み、Red HatはデスクトップをFedoraコミュニティに譲り、Conectivaの買収が明らかになったMandrakeはRed HatとSUSEの脅威におののいている。この6年間に挑戦者らしきものとして新たに登場したのはLinspireだけである。DistroWatchを見ると、それでもディストリビューションの数は、これまで同様に多いのである。

人材の必要性は変化する。それを見越した雇用計画を作れ

FOSS企業を立ち上げたとき、真っ先に必要な人材はプログラマである。しかし、製品のリリースが近づけば開発以外の仕事も発生し、プログラマ以外の人材を増やす必要が出てくる。人材を確保するには急募したとしても2〜3週間はかかるし、採用してもすぐにリリースした製品を管理できるわけではない。したがって、実際に人材を必要とする少なくとも2か月前には新規採用の面接を始める必要がある。こうした雇用計画は、ビジネスに疎い開発者が創業した場合、特に理解されにくい。

計画的な雇用がなされなかった場合、製品を発売するときになって販売促進を担う人材の不足が発覚することになる。ディストリビュータも、小売店も、販売チャネルも、パートナーも、そのすべてを育てる必要があるのだ。さもなければ、その製品は失敗する。

そうした仕事をするために十分なスタッフがいなければ、他の部門の人材を投入することになる。たとえば、Storm Linuxが最初の製品をリリースしたとき、ビジネスを担当する者は1人しかおらず、しかも製品の勉強をしている最中だった。やむを得ず、販促イベントにはプログラマから志願者を募って出展した。問題はマーケティング経験のない者を登用することにあるのではない。事実、多くの志願者たちは良く順応し頑張ったのだ。問題は、トレードフェアつまり販促の1週間後、事実上の事業閉鎖として現れた。多くの人材が退社してしまったからである。Storm Linuxの最初のリリースは散々に酷評された。8か月後、次のリリースで評価を上げたが、それほどの時間を要したのはこのトラブルが主な原因だろう。

プログラマと非プログラマの分裂を避けよ

技術系企業では、常に、この分裂は脅威である。平均的なプログラマにとって、仕事の満足は興味深いプロジェクトとエレガントなコードを書くことにある。これに対して、平均的な管理者は、より多くの賃金と昇進を求める。プログラマは知識と実績で人を評価し、管理者は肩書きで人を評価する。この観点の違いから、誤解は避けられないもののようだ。

FOSS企業では、この違いは一般技術系企業よりも大きくなりがちだ。FOSSコミュニティは極度にプログラマ的性向を持っており、そうした考え方を曲げない。したがって、普通のプログラマについてある程度の理解を持つ管理者はいても、FOSSコミュニティを理解する管理者は事実上存在しないのである。管理者が気を抜けば、プログラマは他部門を心のないロボットとして見、管理者はプログラマの無邪気さを見下すようになる。

この2つの勢力をまとめるには、互いに理解し合うという地道な努力が必要である。プログラマは準備ができればリリースできるというオープンソース的観点は投資家に受け入れられないことを理解する必要がある。一方、開発に携わらない者は、あらゆることに著作権や特許権を問題にすることはプログラマを不快にさせるだけでなく深刻なライセンス問題――プログラマの方がよく知っている問題――を引き起こす可能性があることを理解しなければならない。

問題は、両者が協力を拒むことにある。ある企業でのことだ。会社の方針に一々文句をつけ、「不道徳だ」と公言する癖のある若いプログラマがいた。一方の創業者も、彼の開発チームを電子メールを通じて非難した。その見解は次第に感情的になっていき、スタッフを子供扱いして、オフィスのカーペットにガムを捨てた犯人が名乗りでなければすべての者に悲惨な結果が待っていると脅したのだった。意外なことではないが、開発者たちは創業者を避け、対話することをやめてしまった。

ときに、理解の欠如は喜劇的に現れる。たとえば、ある企業のオーナーは、土曜日の夜11時半にオフィスのウェブカムをチェックして、開発チームの全員がワークステーションに向かっているのを知って喜んだ。そのあまりの喜びように、実はQuakeで遊んでいたのだと言い出せる者はいなかった。相互理解の欠如が企業の日常を毒し、従業員が協力しなくなってしまう例はさらに多い。

全員が製品とコミュニティを理解せよ

営業のベテランの中には、何でも売れると豪語する者がいる。もちろん、そんなことはないが、FOSS企業では尚更にありえない。FOSSベースの製品では、ソフトウェアをただ理解するだけではなく、その背後にあるコミュニティをも理解する必要があるからだ。そうでなければ、失態を演じて、扉を閉ざされることになるだろう。

たとえば、こんな例がある。ある管理者が自分のWindowsコンピュータにMelissaウィルスを受け取ったため、当然の義務として、メールでやりとりする関係者に警告を出した。その中の一人Free Software Foundationの従業員がLinuxはMelissaウィルスに感染しないことを丁寧に教えた。すると、その管理者は「Linuxってすごいじゃない」と返信したのだった――実はそのオペレーティング・システムを使っていたのだとは誰にも思わせないような、少々わざとらしい感動ぶり。この話は、いくつかのルートから私の耳に入ってきた。詳細は少しずつ異なるが、管理者の名前と企業の名前は一致していた。

広報担当のある管理者はもっとひどい失態を演じた。トレードショウの展示スタッフを「ブースちゃん」と呼んだのだ。一部の人はその性差別に不満を述べ、さらに多くの人は合理性を自負するFOSSコミュニティに対する侮蔑と受け取った。その放言はすぐに撤回されたものの、すでに手遅れだった。その次のトレードショウで、その企業はFOSSを理解しない企業という烙印を押されたのだった。

こうした出来事が企業にもたらすビジネス機会や業務上の損失がどれほどかは計りようがない。私は、あるビジネス開発担当の管理者が取引を自ら爆破するのを見たことがある。その管理者はある社のデモのインストールが難しすぎると言ったのだ。何故か。その管理者はtarファイルの使い方はおろか、それが何なのかさえ知らなかったのだ。デモを見せた担当者の顔を不信と拒絶が横切り、その取引は流れた。

ビジネス・コミュニティとFOSSコミュニティの両方に企業を売り込め

どのような企業でもマーケティングは必要である。しかし、FOSS企業は、ビジネス・コミュニティとFOSSコミュニティの両方に売り込まなければならないという点でさらに困難が伴う。2つのコミュニティはそれぞれ異なるメッセージを期待しており、性格を全く異にする活動を同時に進める必要があるからだ。

ビジネス・コミュニティは、その企業が信頼できるパートナーであるかどうかを知りたいと考えるが、その信頼はFOSSに対して今も残る不信感によって容易に失われうる。一方、FOSSコミュニティは、その企業が無償の労働力を利用するだけの存在でないという保証を求める。また、その企業がコミュニティに貢献――通常はコードだが、現金やマーケティングまたはカンファレンスの後援のこともある――する時期について尋ねる。その企業がコミュニティにとって信頼できる一員であることの証拠を欲しがるのである。

すでにFOSSコミュニティで知られている人材を雇用すれば、信頼の獲得には有利だ。たとえば、Progenyは、Debianの創設者であるIan Murdockと、Branden Robinson、John Goerzen、Jeff LiquiaらのDebian Developersを雇用し、比較的容易に信頼を得た。StormixもDebian Developersを雇用したが、主要メンバーではなく、コミュニティから信任を得るのに苦労した。

こうした2種類のメッセージを送るのが難しいのは、両方できる人がごく限られているからである。予算があれば、Sxip Networksが行っているように、FOSSコミュニティに対する広報に専任者を当てるのが効果的である。

FOSSコミュニティの信頼できるメンバーであると評価されれば、ボランティア集めも容易になるだろう。たとえ、すぐに効果がなくても、あるいは、あまり効果がなくても、コミュニティに応える努力は善意で報われるだろう。その善意は口コミとなり、企業に可能ないかなるマーケティング活動よりも遙かに大きな効果をもたらすはずだ。

おわりに

ここに述べたヒントに従ったとしても、新興のFOSS企業が生き残れるという保証はない。ほとんどの新興企業は、その種類を問わず、失敗に終わるものだ。その多くは、企業自体にはいかんともしがたい原因による。さらに言えば、警告したところで愚行が潜行するだけの人もいるのだ。そして何よりも、FOSSコミュニティは現在でも比較的新しい環境であり、多くの経営者はその位置づけに悩むことになるだろう。しかし、それでも、ここに挙げたヒントを活用し、よくある問題のいくつかを避けるべきである。そして、頑張ってほしい――新興企業であれば、それでなくとも多くの問題を抱えているのだから。

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