Linuxサービス起業成功者インタビュー

Con Zymaris氏は、オーストラリア、メルボルンのITサービス会社Cybersource社のCEOだ。Cybersource社は、1991年、個人経営のUnix業者として創業、その後、Linux/FOSSを中心とする会社として現在の規模にまで成長した。Zymaris氏によれば、現在の顧客の内訳は、官庁が20%、企業が20%、中小企業が60%だという。(このインタビューはIRCを使って行い、後からスペル、文法、リンクなど多少手を加えた。)

Roblimo:まず、Cybersource社について教えてください。創業してもう10年ですね。創業時からいらっしゃるんですか? あなたが創立者ですか?

Con Zymaris氏:はい、正確には創立は1991年で、そのとき勤めを辞めて会社を始めたんです。

Roblimo:単独で、それとも誰かと共同で?

Con Zymaris氏:大学の友人4人で始めました。まず私が仕事を辞め、それから6〜12ヵ月の間に会社を設立し、それからほかの者も仕事を辞めました。

Roblimo:そのとき始めたのは、Unixサービスの提供、それともWindowsサービス、あるいはその両方ですか?

Con Zymaris氏:Unix中心です。

簡単に経緯を説明しましょう。

創業の準備は、それより1、2年前の1989年末ごろにはほとんどできていました。当時、もう1人の創立メンバーDavid Keegelと私は同じ家に住んでいました。Davidはメルボルン大学でインターネット接続をやっていて、私はその驚くべき新しい世界を垣間見ることができました。この新しい世界を実業界に持ち込んでビジネスを始めたいと思いました。

比較的不運だったのは、大々的に事業を始める資金がなかったこと。反面、比較的幸運だったのは、最初の数年の費用を倹約したことです。私たちは組織的に成長し、最初の1年でまずまずの収益をあげました。ほかの選択肢はありませんでした。そうするしかなかったんです。それ以上の資金はなかったし、頼れるパトロンもいませんでしたから。

Roblimo:今は何人でやっているのですか?

Con Zymaris氏:フルタイムとパートタイムを入れて約30人です。1999年から2000年ごろは40人近くになったこともあったのですが、私たちのビジネスモデルではその人数は維持できないとわかりました。

Roblimo:そのビジネスモデルとは?

Con Zymaris氏:当初考えていたインターネットを中心としたビジネス展開は、十分な資本がなければ無理でした。創立当初、本物のUnixマシンは買えませんでした。Sunのキットは当時すごく高価だったのです。それで386 UnixとMinixでなんとかしのいでいました。ですから、 Torvalds氏がcomp.os.minixで登場してMinixの後継プラットフォームという話をしたときは、やった!と思いましたね。

ビジネスモデルについてですが、純粋にコンサルティングとスキルを提供するモデルを目指すことに決めました。コンサルタント専門店のようなものにしようと考えたんです。大手のベンダを除けば、真剣にUnixを扱っているところはほかにほとんどありませんでした。また、徹底して独立営業を貫きたいと思い、Sun、HP、SGI、IBMなどの販売店やフロントエンドになるつもりはありませんでした。

Roblimo:Linuxを扱い始めたのはいつごろ?

Con Zymaris氏:1992年ごろからLinuxの動向を追っていて、ほぼその頃からですね。どのディストロだったかは覚えていません。MCCだったかもしれません。確か、5.25インチフロッピー50枚に入っていたと思います。YggdrasilがCD-ROMで提供されるよりも前のことです。

プロプライエタリUnixを購入する資金がなかったので、基本的に低コストのオープンな製品を検討せざるを得ませんでした。LinuxとかFreeBSDとかです。創業メンバーは全員BSD経験者でした。ほとんど全員が、BSD 4.1、80年代半ばからはBSD 4.2を使っていました。でも、現実的には、業務用にUnixワークステーションを購入できる企業はほとんどありませんでした。私たちはソフトウェア開発(Motif、X11、Windowsクライアントサイド)とUnixバックエンドを組み合わせました。各種フロントエンドクライアント用にカスタムUnixバックエンドサーバを作成するのがうちの得意分野でした。

創立メンバーには、コーディング経験者(私自身とRamon Legnaghi)もいますし、Davidにはシステム管理者の揺るぎない経験があります。4人目の創立メンバーは、今の私の妻、Jane Zymarisで、経理と総務を担当しました。

Roblimo:2005年現在、会社でLinuxが占める割合は?

Con Zymaris氏:今もプロプライエタリUnixを担当している者が数名、Windows統合担当者も2〜3名いますが、それ以外は全員Linux/FOSS分野の仕事をしています。80%というところでしょう。

Roblimo:すごい!メルボルンでそれだけLinuxベースのトレーニングとコンサルティングがビジネスになってるんですね。この分野の仕事は一手に引き受けているんですか、それとも同業他社もありますか?

Con Zymaris氏:ここ何年かは、Linuxとオープンソースといえばうちということになっています。でも、実際にはほかにもかなりの数の同業会社があります。この業界が成長している証拠といえるでしょう。

うちの会社は、これだけ長く存続していて、この分野で4〜5人で立ち上げた会社にしては大きめですから、ちょっと変り種でしょう。でも、ほかにも多くの会社がこの分野に参入してきたことは、この分野を正当なものにする上でとても役に立っています。そうした会社は国内に200社はあります。この業界全体の活性化を図ろうと、私たちはビクトリア州の業界クラスタ(Open Source Victoria、州政府の財政支援を受けている)と全国業界団体Open Source Industry Australia(OSIA)の2つの設立に貢献しました。

ここへの参加団体にはMySQL関係などもありますが、Linux分野の’大手’(Red Hat、Novell、IBM、Sunなど)にはまだ申し入れしていません。ただ、どこも、OSIAメーリングリストに登録している代表者はいます。

Roblimo:あなた方が作成したLinuxとWindowsのTCO比較はすばらしいものでした。あの資料は営業的に役に立ちましたか?

Con Zymaris氏:2つの意味で役に立ちましたね。まず、私たちの会社の知名度の範囲が広がったこと。それから、転向を考えている人がLinux/FOSSの価値を検討する上で役に立ちました。

要するに、世間にはほかにもTCO研究は発表されていても、興味を持った団体が自分の数字を挿入して点をつなぐだけという簡単な手法を示したものはあれ以外に1つもないということです。私たちのTCO研究なら、不要な項目を削除して必要な項目を追加すれば、それぞれの条件に適用できます。

ほかにも多くのTCO研究を見てきましたが、その多くがどうやって数値を導き出したかという方法論さえも提示していません。私たちが提示した資料は、Linuxへの移行に興味を持っている企業を対象に営業する上で役にたちますが、それには確たる証拠が必要です。

私たちのほかのサイドプロジェクトとも同じですが、TCO研究も必要性があるから取り組んでいるのです。ほかのFOSS会社がTCO研究をやってもまったくかまいません。GPL対EULAのライセンス比較も同じです。うちは法律事務所ではないので、ライセンス分析に最適な組織とはいえません。でも、ほかに誰も指揮をとろうとしていなかったので、問題提起が大切だと思ったわけです。うちがここまでやったのですから、後は本物の法律家の意見と判断を待てばよいでしょう。

こうしたサイドプロジェクトはどれも、実際の売り上げに貢献したと証明はできませんが、Linux/FOSSの気球をあげて、うちの知名度もあがったという意味で、営業効果はあったと思います。

Roblimo:業務の内訳はどうなっていますか。つまり、官庁、企業、中小企業のだいたいの割合は?

Con Zymaris氏:官庁が20%、企業が20%、中小企業(SME:Small and Medium-sized Enterprise)が60%です。ここ数年、業務拡大をめざすには、従来やってきた標準的なコンサルティング業務の枠を超える必要があることもわかりました。

Roblimo:SMEが占める割合が非常に大きいですね。

Con Zymaris氏:はい。従業員数250人弱くらいの規模のSMEが、Linux展開の大きな部分を占めています。そもそもそれが1つの理由となって、あのTCO研究の原案となる資料を作成したんです。Linuxへの移行をある顧客に勧めたところ、その妥当性を示してほしいといわれたのがきっかけだったのですが、その顧客がそれくらいの規模でした。

Roblimo:その顧客は移行したんですか?

Con Zymaris氏:多くのサーバをLinuxに、多くのデスクトップをOpenOffice.orgに移行しました。Linuxワークステーションにはまだ移行していません。

でも、引き続き働きかけていますよ ;-)

Roblimo:デスクトップといえば…Linuxデスクトップはどうですか?

Con Zymaris氏:小さい企業でいくつか完全にLinuxに移行したところもあります。バックエンドもフロントエンドもです。2〜3ヶ月の移行期間とわずかな手間でできました。

Roblimo:一番の大手はどこですか。名前を出して差し支えなければ。

Con Zymaris氏:たぶん名前を出しても大丈夫なところがありますが、それほど大きい規模のところではありません。医療研究グループのCentre for Molecular Biology and Medicine社です。長年のお客様です。私の記憶が正しければ1997年ごろ、ここの最初のLinuxサーバをうちが導入しました。それでLinuxデスクトップで必要なことができるようにしたかったんです。そこには特殊な医療診断画像アプリケーションがいろいろあったんですが、私たちはそれらに相当するものを見つけ出しました。それからそれまで使っていたWin2kテーマに似せたデスクトップを設定しました。

Roblimo:Molecular Biology and Medicine社はいつデスクトップにLinuxを使い始めたんですか?

Con Zymaris氏:6ヵ月前です。

Roblimo:そこでは結果に満足していますか?Windowsの方がよかったという人はいますか?

Con Zymaris氏:私自身はそのプロジェクトに直接関わっていなかったので、正確なことはいえませんが、私が理解する限りユーザにそれほどたいした面倒は起こらなかったはずです。

正しい方法論を採用すれば、多くの団体の多くのユーザがLinuxデスクトップに移行可能だと思います。

Roblimo:その方法論とは?

Con Zymaris氏:極めて単純です。

デスクトップの既存の地形を分析します。依存プログラムは何か。障害物は何か。

障害物(VBアプリケーションその他、WINEで擬似実行できないWindowsアプリケーションなど)がある場合は、入念に移行戦略の地図を描きます。3〜5年かかることもあります。どこかから手を付けなければなりません。とりあえず、VMWareや、Win4Lin、Citrixの開発費用を見積もります。

ユーザの’地形図’ができあがったところで、移行戦略を立案できます。大きな河の向こう岸に濡れずに渡るための踏み石だと考えてください。

この戦略には次のような簡単なプロセスを含めます。

1)Microsoft OfficeからWindows版のOpenOfficeアイコンとアプリケーションに切り替える。

2)会社で使う全OfficeテンプレートをOfficeとOO.oの両方で動くようにする。

3)Officeが必要なユーザはそのままOfficeを使う。ただし、OO.oも用意して、PDF作成に使用できるようにする。

4)Officeの移行が定着したら、IEをWindows版Firefoxに切り替える。IEアイコンは残す。

5)これが定着したら、Citrixなどを導入する。Linuxで動作しないアプリケーションは、’リモート’アプリケーションにして、Windowsデスクトップにそのアイコンを追加する。

6)数ヶ月経ったら、OSをLinuxへ切り替える。Windows OSのときと同じアイコンを同じ位置に残しておく。

Roblimo: “リモートアプリケーション”とは、サーバ上で実行するという意味の”リモート”ですか?

Con Zymaris氏:そうです。Linuxで動作しないWindowsアプリケーションについては、Citrixで実行させるようにします。Windowsユーザには、Windows上でもリモート実行になじんでもらいます。そうすれば、Linuxでリモート実行することになったときもあまり差を感じなくなります。

最終的なOS移行は組織全体レベルで行います。なんらかの理由で対応不可能なユーザもいるでしょうから、そういうユーザについてはWindowsを残します。そこにこだわらないこと。ITの見地からいって一貫性がないと組織を’能率的’に管理できない、という考えはできるだけ捨てること。 そうした考え方は、まさにMicrosoft社の戦略と同じで、縦割りのソフトウェアスタックに組織を封じ込めるものです。

重要なのは、これまで使っていたWindows版にできるだけ近い操作感と外観を実現することです。

Roblimo:Cybersource社が部分的にでもLinuxデスクトップへの移行を行った会社はだいたい何社ありますか?

Con Zymaris氏:技術スタッフに聞かないとわかりませんが、Linuxデスクトップを実働用に展開したのはせいぜい6社でしょう。まだ時期尚早ですが、関心は高いです。

うちの会社自体は、1997年ごろから基本的にはLinuxデスクトップを使っています。それから何年も経っていますが、いまだに移行できないマシンが1台あります。財務担当者のPCはいまでもWindowsです(それが最後の1台です)。担当会計士が指定する会計ソフトウェアがWindows限定対応だからです。VMWareが稼動していて、Windowsが動き、その会計ソフトも動く、フル装備のLinux PCも用意しているのですが、仕事が忙しくて実運用に移す時間がないんです。

Roblimo:トレーニング業務の方は好調ですか?参加者は大勢いますか?

Con Zymaris氏:実は、(記憶が正しければ1998年に)Linuxトレーニングを始めたのは、うちがLinuxサーバの展開を行った企業からの要望がきっかけでした。ある意味、目的達成の手段だったんです。Linuxへの移行を検討する人の多くはこういいます、「技術トレーニングが受けられなければ、実働システムをLinuxに移行することなど真剣に考えられない」。ごもっともです。

そこで、Linux/FOSSに移行しない理由がほとんどないようにするために、Linuxのトレーニングを始めました。業務の中では副業的なものに過ぎません。顧客満足のためでした。ところが、ある意味、これが役に立ちました。Linux Standards Baseを一般的なプラットフォームとして、どこの宗派にも属さないトレーニングをしています。資格がほしいという人はうちには来ません。そういう人はLPIか、Red Hatか、Novellのトレーニンググループに行きます。ですから、うちに来るのは、日常的にLinuxを扱うことになって新たなスキルが必要になった、組織内の技術スタッフです。

Roblimo:私が聞き忘れた質問はありませんか?

Con Zymaris氏:(笑)

Roblimo:いえ、まじめな話 :)

Con Zymaris氏:それは、私みたいに独断的でしゃべりたがりの人間には危険な質問ですよ ;)

それでは、いくつか。

Linux/FOSSの産業サイドは、これからもっと前面に出るべきです。コミュニティサイドはテクノロジ、理念、’ブランド’の確立において見事な役割を果たしました。’産業’サイドにいる私たちも多くはコミュニティ支持者であるわけですが、支持の時期のピークはもう過ぎたと思っています。これから重点的に取り組まなければならないのは、Linux/FOSSを中心として安定したビジネスを構築することです――成功を導く製品の構築とマーケティング、成功を導くサービスの構築とマーケティングです。

大企業にできるのは当然です。けれど、Linux/FOSSなら、大企業以外の多くにも成長と貢献のチャンスがあります。

ビジネスの言葉を学ぶこと。ビジネスで何が求められているかを知ること。それを作って売ること。

官庁ビジネスで競争力を付ける方法を学ぶこと。その地域の政府調達に構造的な障害があるなら、それを取り除くこと。

私たちは’橋渡し’のスキルに磨きをかける必要があります。私たちギークとその商品がビジネスにとって安全な選択肢になるには、こういったことが必要なのです。

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