ご冗談でしょう、坂村健さん
この記事については、坂村氏が発言した内容に関して筆者の事実誤認に基づいた記述があるので、まずこちらを参照して頂きたい(2003.10.08追記)
あまり時間がないので手短にしたい。詳しい反駁は必要があれば他の機会に行うつもりである。
今週の『週刊ダイヤモンド』(2003年10月11日号)の14-15ページをぜひ読んでみて頂きたい。目次だけならウェブからも読める。
この文章を読んでくださる方々の興味の埓外にある雑誌だということはよく分かっている。しかし、それでもなお、今週号だけは読む価値がある。
記事のタイトルは「トロンとマイクロソフトに”和解”を促した共通の敵」だ。そして、サブタイトルの一つは「宿敵同士の意見が一致『リナックスのモデルは国を滅ぼす』」である。そう、共通の敵というのは、GNU/Linuxなのだ。
ここまでは別によい。物事にはいくつも見方があるし、確かにGNU/LinuxはTRONやMicrosoft Windowsといくつかの分野で競合しているようにも思う。しかし承服しがたいのは以下のような記事の内容(深沢献という週刊ダイアモンドの記者が書いているようだ)、そして何より、坂村教授の発言だ(強調は筆者)。
一方で、このところ組み込みOSとしても急速にシェアを伸ばしている「リナックス」も、技術仕様が無償で公開され自由に使えるが、新たに改変したら、それもすべて公開しなければならないという約束事がある。GPL(General Public License)と呼ばれる、知的所有権を放棄するモデルだ。「オープン」という点で、トロンとリナックスは似ているが、根本的に異なるのである。「ソフトがすべてタダなんて、資本主義の国を崩壊させる行為だ」と坂村教授は苦言を呈する。
説明する必要があるのかどうかすら分からないが、簡単にいえばGPLは知的所有権を放棄するモデルなんかではないし(というより知的所有権が存在しない世界ではGPLは何の意味も持たない)、「ソフトをタダ」にすることを目標にしているわけではない(この点に関しては、フリーソフトウェアは売るのも自由を参照して頂きたい)。だいたいGPLは私有財産制の存在する「資本主義の国」でしか成立しないものである。ここまで露骨に反資本主義者扱いされるのはひさしぶりだが、それが事実無根の思い込みからだと思うと余計に腹が立つ。
この直後に
という記述もあるが、これは経済産業省が推進するオープンソース化の流れに真向から対立するものといえよう。別に政策に反論があってもよいし、むしろ好ましい。問題は、経済産業省(の少なくとも一部)は、さんざん叩かれた結果とは言え理解してオープンソースを推進しているのに対し、坂村さんはほとんど何も理解していないということなのである。日本が引き続き技術力を飯のタネとし、知的財産立国を目指すなら、リナックスのGPLという考え方は日本の競争力を削ぐ原因となる。
失笑を禁じ得ないというより、これは坂村健という「技術者」、あるいは「人間」への信頼を一挙に失墜させるような、手酷い失敗である。『週刊ダイヤモンド』という雑誌がどれほど一般への影響力があるのか、それは分からない。しかし、もしオープンソース/フリーソフトウェアに馴染みがない人々がこの記事を見たら、少なくともオープンソースに対してポジティヴな印象は受けないだろう。TRONはMicrosoftのFUD(Fear, Uncertainty and Doubt、ようするにデマ)に苦しめられてきた、そうTRON周辺の人々は言い続けてきた。しかし、今回坂村さんがやっていることは古典的なFUD以外の何者でもない。
加えて坂村さんが罪深いと思うのは、彼のこのまぬけな発言がオープンソース・サイドから見たTRONの正当な評価すら失墜させるだろうということだ。仕様を公開していたこと、そしてその実装からロイヤルティを取らなかったことは、実際TRONの持ち続けていた美点なのだし、誇るに足る先駆的な発想だったのである。しかし、ここで彼は根本的に理解していないことを語る人だということを露呈してしまった。比較的坂村さんに好意的だったものの一人として、失望せざるを得ない。また、例えばTOPPERS プロジェクトのような、GPLをライセンスの一つとして採用したITRONベースの開発プロジェクトの名声すらも大きく傷つける結果となるだろう。
公開書簡というものを筆者は書いたことがない。しかし、この批判を受けてTRONサイドからの真摯な反論を望みたいところだ。ご冗談でしょう、坂村先生?