中央集中型サーバアーキテクチャをUnixのキラーアプリに

私と同じように、自宅ではLinuxまたはUnixを使い、会社ではMicrosoft製品を使っている人は、おそらく、Microsoft製品と格闘している人々がどうしてLinuxにアップグレードしないのか不思議に思っていることだろう。

コストやセキュリティの問題にもかかわらず、企業は相変わらずMicrosoftのWindowsデスクトップ製品に傾倒している。この状況を変える鍵は、システム担当者の視点よりもユーザの視点の方に重きを置くことだろう。

人々にどういう理由でシステムについての決定を下したのかを聞いてみると、興味深い答えが返ってくるだろう。UnixユーザとMacユーザは、たいていの場合、そのプラットフォームで使用できる技術や、満たされる要件などを挙げる。主な選択理由は、機能、低価格のわりに充実した性能、社会への貢献度といったものである。

しかし、平均的なWindowsユーザや企業のCIOに同じ質問をぶつけたときに返ってくる答えは、たいていの場合、「みんなが使っているから」というものか、その変形である。

技術や要件のことを何も考えずにシステムを選択するなど、およそ論理的な話ではない。しかし、論理的かどうかはさておき、これはUnix(オープンソースやネットワークコンピューティングも含む)という概念の普及を阻んでいる基本的な態度である。

80年代半ばにMacintoshが初めて登場したときには、分別のある個人ユーザの中で、MacのメリットとPCのメリットを客観的に比較して、PCを選ぶ人はほとんどいなかった。当時のMacに起きたこと(そして今日のLinuxにも当てはまると思われること)は、ユーザが自分のニーズに基づいてテクノロジーを選択できるときには優れた製品が成功を収めるが、組織がテクノロジー選択の決定権を専門のシステム担当者に与えたときには同じ製品でも失敗するということだ。

1984年当時、ユーザはMacを購入したが、組織はIBMを購入した。今日では、技術力のあるユーザはLinuxをインストールしているが、組織はMicrosoftを購入している。製品こそ違っているが、根底にある態度は変化していない。そして、この個人と組織の態度の違いが、今日のデスクトップLinuxの普及を妨げているのだ。

この理由の一端を、次のような奇妙な現象に見ることができる。つまり、個人の決断は将来的であり、享受できるであろう価値への期待が大きな影響力を持っているが、組織の決断は回顧的であり、ベンダの業績が大きな影響力を持っているということだ(たとえば、トム・クランシーやJ. K. ローリングが、1冊目の本が出るまで大手出版社に見向きもされなかったのも同じ理由である)。したがって、かつてIBM PC/ATを購入していた組織が今はMicrosoft Windowsを購入しており、かつてMacWriteやMacDrawを購入していた個人が今はOpenOffice.org製品を購入している。

どうすれば組織をこの自己永続的なループから抜け出させることができるだろうか? それには外圧を加えるしかないだろう。

アメリカ以外の国では、Linuxが国家の経済政策の後押しを受けている。ドイツや中国などの政府は、主にそれがアメリカ製でないという理由でLinuxを推進しているし、インドや日本は、コンピュータサービスにおける国家経済的メリットを得るためにLinuxを推進している。しかし当然ながら、こうした力はアメリカ国内では働かないし、それどころか長年の競争相手と考えられている。

アメリカ国内で必要なのは、Unix用の真のキラーアプリケーションである。従来のものより明らかに優れていて、組織の惰性に打ち勝ち、重大な文化的変革をもたらすだけの力を持ったアプリケーションが必要なのだ。

こうしたキラーアプリケーションの役割として有力なのは、Microsoftのクライアント/サーバ・アーキテクチャをUnixのビジネスアーキテクチャで置き換えることだ。

Microsoftのクライアント/サーバにつきものの「1人に1台」という分断化とは異なり、適切に実装されたUnixアーキテクチャは、大人数のグループが共通の目的を目指すのに必要な協調関係と焦点を実現することで、個人の勢力範囲を広げている。

残念ながら、Unixで組織を統一化できると言っても、常にそれが実現されているとは限らない。それどころか、制御を分散化するという要件のおかげで、Unixビジネスアーキテクチャは従来のデータセンター管理者にひどく嫌われており、デスクトップのロックダウンとサーバの中央集中化によって生産性とアップタイムを実現しようと努力しているWindows管理者にとってはほとんど理解不能である。

スマートディスプレイとは

スマートディスプレイとは、大画面と強力なグラフィックエンジンを備えた端末である。一般的には、Java/OS、Xサーバ、またはDisplay PostScriptをしばしば同時に実行している。ただし、アプリケーションはクライアント上ではなくサーバ上で実行される。これはディスクレス・ワークステーション(別名:Microsoftシンクライアント)ではない。したがって、二重ライセンスも、Microsoftのセキュリティ問題も、Windowsサーバも、ローカルアプリケーション処理もない。

ユーザの視点から見れば、スマートディスプレイは、高速、高解像度、大画面のグラフィックを表示でき、ノイズや熱もなく、300,000時間も故障なしで動作できる端末である。

このデバイスの信頼性はシステム管理者にとって大きな魅力だが、最大の長所は、読者の予想とはおそらく正反対のところにある。このUnixホスト環境はソフトウェアの範囲が広く、固有のセキュリティを持ち、更新しやすいので、スマートディスプレイのユーザは、実用的なコストのMicrosoftクライアント/サーバ・アーキテクチャで実現できるよりも大きなデスクトップ制御とアプリケーションの柔軟性を得ることができる。

Laurent KahnとAkihiko Tanishitaが著した1998年のIBM Redbook「IBM Network Station – RS/6000 notebook」は、やや古くはあるが、スマートディスプレイ端末のセットアップ、運用、利点、代表的な企業配置などをカバーした、有用な入門書である。

その結果、企業のほとんどのUnixインストール環境は、基本的に管理方法を間違えている。現時点では、企業で成功を収めているUnix/スマートディスプレイ・アーキテクチャの例はほとんどない。

Sunは、現在進行中の成功例の1つである。SunのCIOであるBill Vassが行った、Sun上でSunを動かすことについての最近のプレゼンテーションによれば、現在では約25,000台のスマートディスプレイがインストールされ、大きな成果を上げ始めているということだ。

このアーキテクチャの長所をユーザに示すには、ただスマートディスプレイの電源を入れ、ログインし、目的のアプリケーションを即座に実行でき、しかも、ビジネスPCによくあるような一切のストレス――ファイルの損失、再起動、ヘルプデスク、複数のサインオン、ノイズ、数ヵ月ごとのOS更新、ひねくれたアプリケーションクライアント、ウィルス、PCネットワーキングなど――とは無縁であることを見せればよい。

同様に、組織にとっての直接的なコスト軽減を立証するのも簡単である。資本コストの軽減、保守コストの軽減、そしてソフトウェアおよびファイル管理サービスの一極化の利点について話し、さらに、Microsoft Windows関連のさまざまなコスト(PCネットワーキング、ヘルプデスク、メンテナンス組織など)がなくなることを指摘すればよい。

しかし、さらにその先に進もうとすると、長所を裏付ける研究結果が必要になってくる。たとえば、ERP/SCMアプリケーションなどに対する高額のシステム投資の見返りは、クライアント/サーバよりもUnixアーキテクチャの方がずっと高くなると考えられるが、この考えを裏付ける(または否定する)研究は行われていない。

小さな変更で大きな利益
Windowsアーキテクチャはもともと複雑であるために、企業がPCヘルプデスクを用意する必要があり、インフラストラクチャについては知っているがユーザの仕事やアプリケーションは知らない人々に第一線のアプリケーションサポートを任せることになる。

このようなクライアント/サーバ・アーキテクチャをUnixアーキテクチャに置き換えれば、問題診断のあいまいな部分のほとんどが取り除かれる。なぜなら、ないものは分析できないからだ。これにより、ヘルプデスクの必要性がなくなり、企業はユーザに仲間どうしでアプリケーションサポートをさせることができるので、ユーザの演習および学習に伴うコストと社会的障壁の両方を排除できる。

その結果として現れる生産性の向上は、最終的な損益に直接結び付く。年間売上が10億ドルに上る企業ならば、1%の変化でも1000万ドルの増収になり、それを株主への配当や再投資に回すことができる。これは、システム関連の費用とメリットを検討するよりもはるかにスケールの大きい話である。

企業におけるUnixの重要な問題は、技術ではなく管理である。鍵となる要素は、分散化された制御と中央集中化されたサービスとを組み合わせることに深く関係している。本当の長期的な意味での生産性の向上は、ソフトウェアやデスクトップ、人員配置のコスト節減によってもたらされるのではなく、複雑な階層をはぎ取り、各人にそれぞれの仕事をしたいようにさせるというリスクを取ることによってもたらされる。残念ながら、これはUnix/スマートディスプレイ・アーキテクチャの最大のリスクが潜んでいるところでもある。もしもシステム管理者が、ビジネスプロセスを制御するためにこのシステムを使用し、かつてのメインフレーム端末の時代を再現しようとした場合は、だれも太刀打ちできない。Unixを中央情報交換局と考えると、この恐怖が理解できるだろう。不適切な人物に管理を任せると、その人が企業を抑圧するようになる。

これに対抗するには、各ユーザに自分のアプリケーションとコンピューティング環境の制御権を与える必要がある。そのためには、IT部門の中央集権化の動きに対して抑止力を行使できるようユーザを教育しなければならない。ユーザを教育する一番よい方法は、自宅でLinuxやBSDを使わせることである。知識のあるユーザベースを育てれば、デスクトップのロックダウンやそれに関連するMicrosoftクライアント/サーバ戦略など、権力を握ろうとするITスタッフの試みに抵抗することができる。

生産性を高めるには、ハードウェアやソフトウェアのコストを減らすよりも組織モデルを変更した方がよいのだが、これは計算をしてみればはっきりする。来週は、この2つのアーキテクチャの明らかなコストの違いを紹介する。

Paul Murphy――『The Unix Guide to Defenestration』の著者。ITコンサルティング業界で20年のキャリアを持つベテランである。