メタファがオペレーティングシステムを創る
Neal StephensonはSF作家で、代表作Cryptonomiconでよく知られている。最近、筆者はStephensonの作品を2つほど読み、大いに楽しんだ。そのため、1999年のエッセイIn the Beginning was the Command Lineを見つけたときは、とても興味をひかれた。このエッセイの中で、Stephensonは当時(4年前)のオペレーティングシステム市場の状況を、現実とメタファという2つの観点から論じている。4年前のことながら、今日でも考えさせる内容を含んでいる。
Stephensonは、いろいろなプラットフォームを使った経験があるらしい。BeOSについて論じている部分などは――beunited.org が存続しているとはいえ――もう時代遅れだが、Windows、MacOS、Linuxについての主張は、今日でも目を見張るほど新鮮である。たとえば、
製品に明らかに欠陥があることが知れているのに、欠陥つきのままで製品をリリースしたほうが、バグフリーの美しい製品に仕上げるより利益があがり、株主のためになると思いついたのは、ひとえにMicrosoft社経営陣の優秀さである。
筆者が上の引用箇所を読んだのは、Microsoft社が3年ぶりにサーバ・オペレーティングシステムを大改訂すると発表した翌週のことである。興味深く読んだが、ここにはStephensonの思い違いがあるのではなかろうか。それとも、このエッセイが書かれたのち、Microsoft社が美への態度を変化させたのだろうか。筆者の考えでは、「ルック・アンド・フィール」こそ、Microsoft社の成功の一大原因である。同社のデスクトップ、アイコン、書体には、どこか心和ませるものがある。それに、Windows XPを開発するときも、デスクトップ・オペレーティングシステム改善の主要目標を「ユーザ体験」に置いた、と聞いている。Lotus SmartSuiteがMicrosoft Officeの前に一敗地にまみれたのは、Lotusの外見が不細工で、平面的だったことに大きな理由があったと思う。ユーザがその外見から無意識のうちに感じ取っていたのは、ソフトウェアの中身も水準以下に違いない、というメッセージである(もちろん、Microsoft社のマーケティング部門の威力と、腕力にものを言わせる強引な商売のやり方も、Lotus苦戦の原因ではあろう)。オープンソース・アプリケーションの開発者としても、せめて市販のソフトウェア並みには、プログラムを親しみやすいものしなければなるまい。
ネット上には、Microsoft社への敵意があふれている。その敵意には2種類あって、1つはMicrosoft社が強すぎることを恨みに思う人々の敵意、もう1つはMicrosoft社を「ださい」と軽蔑する人々の敵意である。筆者などはこの状況を見ると、共産主義や社会主義の全盛時代を思い出してしまう。当時、ブルジョアジーは上からも下からも憎まれた。プロレタリアートからは金持ちだからと憎まれ、知識人からは、せっかくの金で芝生を飾ることしか能がないといって憎まれた。ハイテクで繁栄を誇るMicrosoft社は、いわば現代のブルジョアである。だから、あらゆる憎しみの対象となる。
自分は貧しくて抑圧されていると感じる人々は、Microsoft社のやることなすことすべての裏に、薄気味悪いオーウェル的陰謀を見出す。自分はインテリで、情報通のハイテクユーザであると感じている人々は、Windowsの「だささ」に我慢がならない。
今日でもその辺の事情は変わっておらず、筆者などは首をかしげざるをえない。何かに――Microsoft社でもいい、牛肉でもいい、カントリー音楽でもいい――哲学的嫌悪感を抱くというのは理解できる。だが、それは、客観的な観察で緩和すべき性質のものだろう。Microsoft社=悪だろうか。たしかにその製品は、本来あるべきほど安全でなく、安定もしていない。しかし、感情論をぶつけるだけで、具体的な問題提起をないがしろにするのでは、主張の根拠として頼りない。
筆者は、陰謀説には与しない。では、筆者はインテリゲンチアなのだろうか。
製品を売るには2つの方法しかない。価格でいくか、機能でいくか、である。OSが無料になると、当然、価格での競争はできなくなり、OSメーカとしては機能で競争せざるをえない。つまり、つい最近までOSの一部とはみなされていなかったコード――たとえば、GUIなど――を書いて競争することになる。
この点は、Linuxの推進者にぜひ心得ておいてほしい。Linuxは強力なオペレーティングシステムである。誰にも異存はない。しかし、出発時のLinuxが、平凡なユーザにとって学習しにくいオペレーティングシステムだったことも事実である。世間には、熟練したユーザより平均的ユーザのほうがずっと多い。Linuxコミュニティの成長を願うなら、Linuxの操作を可能なかぎり簡単にしなければならない。ユーザグループが大きくなることは、熟練ユーザにとっても平均的ユーザにとっても好ましいことなのだから、熟練ユーザとしても、GUIユーティリティやパッケージインストールツールでLinuxを「飾る」ことを支持すべきだろう。
Linuxの強力な機能を引き剥がし、「やわ」にしろと言っているのではない。パワーはとどまるが、それは使いこなせる人のためのものである。パワーを使いこなせない人のために、頼れるGUIやヘルパアプリケーションを用意せよ、ということである。結局のところ、
OSを買う人(買おうという殊勝な考えを起こす人)は、そのOSを縁の下で支えている機能より、表面的なルック・アンド・フィールのほうに注目する。平均的なOS購入者は、メモリの割り当てがどうの、ディスクへのバイトの書き込みがどうのという低水準のコードに金を払うのではない。というより、そんなことには興味ももたない。人々が買うのは、メタファの体系である。なぜか。それは、世界に対処するうえでメタファはよい方法である、という暗黙の前提に立っているからだ。
Stephensonは、エッセイの相当部分で各種オペレーティングシステムのメタファについて語っている。開発者がやろうとしているのは、自分の作ったメタファを消費者に受け入れさせることだと言い、メタファが企業と顧客に及ぼす影響にも触れている。
Apple社とMicrosoft社に投資する価値があるとすれば、その理由は2つしか考えられない。(1)両社とも、顧客との間にいわゆる共依存関係を作り上げている。顧客は信じたがり、両社は顧客にほしがるものを与える術を知っている。(2)両社とも、自社OSに新しい機能を追加するため懸命に努力している。それが顧客の忠誠心に訴えかけ、顧客離れを(少なくともしばらくの間は)防ぐ。
Linuxには、販売に役立つメタファ作りの専門家がいない。しかし、Linuxそれ自身が1つのメタファであるとも言える。優秀なフィンランドの学生が、世界規模の意欲的な開発者コミュニティの助けを得て、エンタープライズOSを作り上げた……。スマートなソフトウェア……。弱者を応援しよう……。Apple社やMicrosoft社が生み出しているメタファより誠実ではある。しかし、商業的巨人を背後で支えるマーケティング資金は強力で、とうてい誠実さだけで太刀打ちできるレベルのものではない。
Stephensonのエッセイをぜひ一読されるようお勧めする。興味深い視点が得られ、オペレーティングシステムについて再考するきっかけになる。ここで紹介したのは、内容のほんの一部である。最後に、目からウロコが落ちること請合いの引用を。
Torvaldsが安いコンピュータを手に入れられたのは、Microsoft社があったからこそだ。