オリジナル作者から開発主導権を取るのは負け? 勝ち?

satoru先生の話題が出たので、ついでに少し書いておこう。

高林哲と言えば世間一般的には「Namazu作者」というイメージだと思う。だが、現在のNamazuはNamazu Projectによって共同開発されており、その中心人物の一人に野首さんがいる。このあたりを見ればご苦労さまの一言である。

その野首さんだが、いつぞやのプレゼンでオープンソース負け組を自認していたように、何故か一通り出来上がった(もしくは出来上がりそうな)ソフトウェアのメンテナンスを次々と引き受けてしまう傾向があるように思う。それを揶揄して負け組と称しているのだろうが、最初の楽しい時期の実装と原作者としての称号を得ている高林さんからすれば、何とも損な役回りに見える。まあオープンソースなのだから、作者が捨ててしまってものをそのまま放置してもいいし、拾いたいなら拾ってもいいわけなので、負けというわけではないのだが。

で、こんなことをわざわざ書いたのは、つい最近の野首さんの日記にこんな記述があったから。

先日、高林さんや平林さんから検索エンジンの実装に関する話を伺う機会があった。gonzuiもEstraierも、元のコンテンツを圧縮してインデックス内に保持しているそうだ。Namazuもそういうことをサポートした方がいいのだろうか。やるならNMZ.contents(.i)という感じになるかな。

これだけを見る限りは「gonzuiの高林さん、Estraierの平林さんにNamazuの野首が話を聞いた」というように読める。本人がどう思って書いているかは知らない(多分、何も意識していない)が、Namazuの開発を引っ張っているのは俺、というような雰囲気がこの文章から私には感じられるのだ。彼は負け組ではなく、乗っ取りに成功した勝ち組だ、と言っておこう。

今日はとりあえずここまでで、時間ができたときに今度は真面目にこの続きを。オリジナル作者とそれ以外のハッカーについて、という感じかな?