先日のOSS Roundupでは冒頭で「ハッカーがまつもとさんしかいらっしゃらないようですが、ハッカー側の意見があまり聞けなさそうです。もうちょっと公平な人数配分にできなかったんですか?」というネタがあった。このネタを元にさらっと各人のハッカー観を聞き、それを自己紹介にするという流れだったのだが、ここでのハッカーの意味についての話題はセッション本番だけでなく、セッション終了後の控え室でも5人でそれをネタに弁当を食べつつ談笑していた。
ここではしきりにMatzさんが「ハッカーがまつもとさんしか」という点についてしきりに不思議がっていたような記憶があるが、それに対して私は「最近のオープンソース界隈だと『RubyのMatz』のように呼べないとハッカーと思われないのではないかも?」というようなことを言ったような気がする。つまり、『○○を開発した○○』と言えるような世間によく知られたその人の代表作のようなものがないと一般(一般といってもかなりGeekな層での一般?のこと)にはハッカーと最近では思われにくいのかもしれないなということだ。
こう考えると当日の5人ならばRubyという代名詞を持つMatzさんがハッカー認定されることは納得だし、逆に例えば『Jcode.pmの小飼』というのはそのネタを考えた人にとっては弱いのかもしれない。けど、こんな基準だと主要なソフトウェアの原著者しかハッカー認定されないことになるので、せいぜいこーいう傾向もあるかもしれんなというぐらいなもんだろう。
で、こんなことをわざわざ書いたのは、この後ハッカーと言われて誰を思い浮かべるかなぁとモワモワと考えたのだが、実はMatzさんは私にとってはまず最初に思い浮かぶタイプのハッカーではないなと思ったからである。
では誰が?ということになると、実は鵜飼文敏である。鵜飼さんは一部では386BSD(98)な人、また一部にはDebianな人として認識されているかもしれない。また、他のいろいろなプロジェクトでハックをしているということがあるわけだが、そのわりには世間ウケがよさそうな代表作のようなものは特に持っていないと思う。(ということで、私の基準では代表作というものはハッカー認定には関係ない。)
そして片やMatzさんは誰もがハッカーと認める存在には違いないはずなのだが、私個人としては『Rubyの』という代名詞がつくことでまた違う存在に感じているように思う。私の認識では、MatzさんはRubyの開発コミュニティの優しい独裁者として君臨し、この数年間でライセンスや開発体制といったところで様々な汗をかいてきていると思っている。そこでの経験的なものがオープンソースに対するMatzさんの考え方の土台にもなっていると思っているのだが、ここまでくるとMatzさんがRubyというプロジェクトを引っ張っている存在である以上はハッカーという枠で納まらない何かを含んでいるように漠然と思ってしまうのだろう。Andrew MortonやRusty Russellをカーネルハッカーと呼ぶことは多いが、Linusをカーネルハッカーと呼ぶことがあまりないのと似ているかもしれない。まあ、ハッカーとしての本質の部分はどっちも変わらないとは思うが。
で、鵜飼さんの話に戻るが、私は実は鵜飼さんのようなハッカーがもっと多く出てきて欲しいと思っている。どこにでも現われてパッとハックして、またどこかへ行く。晴耕雨読というか、晴耕雨ハックの悠々自適なハック人生に私には見えてしまうのだが、鵜飼さんのようなタイプのハッカーは様々な問題を解決してくれる貴重な戦力になる。オープンソースというよりもバザール的な世界では鵜飼さんのような役回りをするハッカーは重要なのである。ただし、あまりスポットライトが当たるわけではないのだが。
つか、こんな風に分類すると怒られそうだな。Matzさんの1日1ハック生活も晴耕雨ハックみたいなものだし。特に結論もないので、とりあえずここまで。