Oliverへの贈る言葉

先週の7/1はSlashdot Japanの編集リーダーであるOliverが就職し初出社となった日だったわけだが、他の編集陣がこっそりとOliver氏に「贈る言葉」というストーリーを出していた。なかなか粋なことをするものだ。

ならば私も一言書こうかなと思ったが、んー… 就職については何度もリアルで聞いていたことなので改めて書くようなことは特になさそうだ。そもそもOliverと私はSlashdot Japanを開始する前からの知り合い(いつからの知り合いなのかは全く覚えていない。Oliverがまだ中学生だか高校生だかどっちかだと思うのだが…)であるわけで、私の個人的な受け止め方としては、彼が大学進学のためにドイツに旅立った時と同じように、ある節目を迎えたんだなという印象しかない。まあ、Oliverから見ればもっと大きな人生の節目であると思うが。

ただSlashdot Japanを通しての見方としては私にも感慨深いものがある。Slashdot Japanは2001年5月に開始したわけだが、確か私がSlashdot Japanの企画を書きはじめたのは2000年の12月、で今メールアーカイブを調べたところOliverにSlashdot Japanに興味があるかどうか打診したのが2000年12月16日だったようだ。つまり、私は一番の最初からOliver有りきでSlashdot Japanを開始しようとしていたということになる。この時期というのは開始当初の全てのローカライズとシステム構築を担当したtachがまだ入社していないどころか、本家のCmdrTacoやHemos、そしてOSDN(現OSTG Inc.)の経営陣ともまだ何も話し合ってもいない時期である。こんな時期に既にSlashdot Japanをすぐにでも開始するものとしてOliverに話を振った私はかなりアレな人なのかもしれないなと今振り返るとつくづく思ってしまうが、私としてはSlashdot JapanをやるならOliverしかできる人間はいないと見込んでの打診だったわけである。Oliverは当時既にドイツの大学に進学していて日本と離れていたのだが、それでも私はOliverならばSlashdotをうまく日本で先導してやっていけるだろうと思っていたわけだ。

その後2001年2月にHemosらにSlashdot Japanの構想を説明し、即行動開始が決まり、そして5月にSlashdot Japan運営開始に至ったわけだが、それから4年間何とか運営し、コミュニティを形成してこれたのはOliverがいたからこそであるとつくづく思う。Slashdot JapanにおけるOliverの存在は、SlashdotにおけるCmdrTacoの存在と何ら変わるところはなく、既に切っても切れない関係であると思う。今後 Oliverの編集に関してのアクティビティは下がらざるを得ないだろうが、ここまで築いてきたSlashdot JapanにおけるOliverの存在感やマインドは何ら変わるものではないだろう。

何も書くことはない、と最初に書いていたわりには長くなってしまったが、これまでのOliverの功績には私としてはただ感謝するばかりである。彼にSlashdot Japanを任せたのは、私としては誇るべき判断だったと思う。ま、今後はちと大変ではあるが、何とかなるだろう。