ストールマンのブログ

先日知り合いと雑談していたら、案外知られていないようだったので改めてご紹介すると、RMSことリチャード・M・ストールマン大先生はずいぶん前からご自分のブログ(のようなもの)をお持ちである。筆まめなRMSらしく、ほぼ毎日更新されている。RSSフィードもある。というか最近できた。

ただ、fsf.orggnu.orgではなくRMSの個人サイトstallman.orgにあることからも明らかのように、これはあくまでRMSの個人的なブログで、GNUプロジェクトやFSFの見解とは直接関係はない。というか、そもそも(フリー)ソフトウェアの話はほとんど出てこない。そのタイトル(Political Notes)が示すように、アメリカを含めた各国の人権問題や自由に関するテーマについてひとくさり、といった内容が中心である。なかなかおもしろいし、大した量でもないので私は毎日読んでいる。

若干話は変わるが、個人的にストールマンが偉いと思うのは、フリーソフトウェア運動と当人の政治的スタンスや嗜好みたいなものをまったくリンクさせなかったところである。もちろん大きなくくりで言えば市民的自由の追求という点で両者は一致しているわけだが、ストールマン個人の理想とフリーソフトウェアの理想は必ずしも直結はしていない。一例を挙げると、ブログの内容からも何となく分かるようにストールマンは徹底した昔ながらのリベラルで、基本的には反企業・反商業主義者だと私は思うのだが(何せ筋金入りのアメリカ緑の党支持者だし、支持する大統領候補はラルフ・ネーダーだ)、それでもフリーソフトウェアという概念にに商用利用の禁止を盛り込もうとはしなかった。FSFの基準では、商用利用を禁じるライセンスはフリーソフトウェア・ライセンスではないし、GPLを始めとしたGNUライセンスはもちろん全て、それが適用されたソフトウェアの商用利用を認めている。今では当たり前のことだが、昔の「フリーウェア」のライセンスにはnon-commercial use onlyが多かったから、これはある意味英断と言える。これが無ければ、現在のオープンソースの隆盛は無かっただろう。

原理主義者だの理想主義者だのと言われることも多いが、ストールマンという人は実のところ、自分の実践を信用し、経験から学ぶ人だと私は考えている。こういうことになったのは、ようはストールマン自身がソフトウェア一本で飯を食ってきた人間だったからだろう。商用利用を禁止してしまっては、ソフトウェアを中心としたビジネスモデルというものが、プロプライエタリ、フリーソフトウェアを問わず全く成立しなくなってしまう。逆に言えば、MITを辞めずに給料の保証された研究者のままフリーソフトウェア運動を始めていれば、あるいはフリーソフトウェアの定義に商用利用の禁止が盛り込まれていた可能性もあったのかもしれない。