このところDebian Project Leader (DPL)の選挙が行われていたのだが、次期DPLにフランスのSam Hocevarが選出された。番狂わせとは言わないまでも、それほど知名度の高い人ではないし、個人的にはかなり予想外な結果だ。彼の政綱は率直な書きぶりだったので、そのへんが広くウケたのかもしれない。 アートワークに優れたUbuntuが人気を集めている昨今、「Make Debian sexy again」というのはなかなか魅力的なスローガンのようにも思う(確かに、今やFreeBSDのサイトのほうが我々のよりもずっと見栄えが良いのは認めざるを得ない)。ちなみに私は第3位にランクしていた(Debianの選挙では、好ましい候補者から順に順位を付けて投票する)。
DPLはDebianの代表として世界各地のイベントに呼ばれてしゃべったりするので、プロジェクト外部からはまた違って見えるのかもしれないが、私も含め多くのDebian開発者はDPLというポストをあまり重視して来なかった(と思う)。「リーダー」という言葉が一般的に持つイメージと違い、自分からイニシアチブを取ってがんがん決めるという役職ではないからだ(そうなったのにはそれなりの理由があるのだが、それについてはそのうちお話しすることもあるだろう)。
しかし、今にして思えば、やはりDPLはDebianというプロジェクトの運営にそれなりの影響力を持っているのである。直接振るえる権力は大して無いのだが、それでも有能なリーダーと無能なリーダーとではプロジェクトの運営の円滑さや士気に相当な差が出る。技術的に優れているからと言って、必ずしも優れたプロジェクト・リーダーたりえるとは限らないというのが、この手の話の難しいところだ。私はハッカーにソーシャル・スキルを要求してもしょうがないと思っているのだが、少なくともDebianくらいの大規模なプロジェクトのリーダーになるような人には、単なる技術的な卓越以上に、それなりの個人的魅力やコミュニケーションの手練手管が必要なのかな、と思ったりもする。