GPL違反容疑による告訴、訴訟が増加中
ロシア生まれのMaryanovsky氏は、テルアビブ大学でコンピュータサイエンスを学ぶ学生だ。開発に貢献した主なフリーソフトウェアには、Jinの他にもChessboardやautomateといったJavaプログラムがある。また、Jeditの開発にも少し貢献している。
Maryanovsky氏にとってJinは特別に誇らしい作品だ。最初の版がめちゃくちゃになってしまった後、「一から書き直すことにした。そして自分に誓った — Jinには汚いコードを決して入れるものか、Jinを完璧なものにしてみせる、とね。だからこそ、IChessUはJinをベースにして、いとも簡単に構築できたんだ。Jinはとても柔軟性が高く、きれいにモジュール化されていて、エレガントだからね」と彼は言う。
一方、被告のAlexander Rabinovitch氏は元プロのチェス選手だ。1996年に高校生選手権で世界チャンピオンになり、現在はグランドマスターに次ぐインターナショナルマスターの称号を持っている。ソフトウェア工学の学位を持ち、IT業界で3年の経験があるが、GPL関連の経験に関しては今回のIChessU社のJinとの関わりを通してがほとんど初めてだと言う。同氏はIChessU社について「『ゲームの楽しさに惹き付けられた仲間の集い』を一歩先へと進めたコミュニティ」であり「教育機関」だと説明する。
このところ何週間にも渡り、Maryanovsky氏はこの訴訟についてPRしてきた。同氏のウェブサイトでは、英語とヘブライ語の両方で書かれた訴訟の発端となった出来事に関する文書などを見ることができる。さらに、GPLに関する別の記事についての同氏によるコメントをきっかけとして本件がSlashdotでも記事になり、また同氏の視点から見た事件の内容がイスラエルの大手新聞Yediot Ahronot紙でも報道された。Googleでサーチしてみるとブログでも広く取り上げられており、Maryanovsky氏寄りの意見が大多数であることが分かる。
一方のRabinovitch氏はと言うとあまり多くを語ろうとせず、われわれの取材に対しても弁護士と相談した後でないと答えていただけなかった。同氏は当初、訴訟についての注目度の高さに驚かされたと言う。また現時点では、 Eric Schnell氏のブログやJason Rumney氏のブログなど自分の立場を支持する(と同氏が信じる)オンライン記事もあると指摘する。
Rabinovitch氏はまた、同訴訟に関する世間の評論のほとんどを一蹴する。「記事はすべてMaryanovsky氏びいきの人によって作られているだけです」と彼は言う。「別に結構ですよ。それらの記事を掲載しているのは技術屋向けの雑誌/サイトだけですから」。また、非公開の電子メールでの取材において彼は「(Maryanovsky氏は)自分が狙っていたものを得られない場合でも、最低限『IChessU社の良い評判に傷を付ける』ということを個人的な目標にでもしているのでしょう」との考えをほのめかした。
これまでの流れ
Rabinovitch氏は、同氏の視点から見た状況を説明して欲しいという問いに対し、Maryanovsky氏のサイトに書かれている説明の詳細のほとんどについて反論はないとした。そのMaryanovsky氏のサイトの説明によると、2006年初頭、IChessU社のためのチェスクライアントとサーバを書くのを手伝って欲しいと、Rabinovitch氏がMaryanovsky氏に話を持ちかけた。しかしMaryanovsky氏はその頃時間がなかったことから、IChessU社はJinをGPLライセンスの下で使っても良いし、あるいは商用ライセンスの下で使うためにMaryanovsky氏に4,000ドルを支払っても良いと提案した。そしてMaryanovsky氏はRabinovitch氏に対し技術的な事項についてのアドバイスを行ない、新興企業での経験を持つ友人を紹介した。その後の3月27日、Rabinovitch氏がMaryanovsky氏に対し、GPLの条件の下でJinを使用するつもりであることを伝えた。
「Rabinovitch氏は、IChessU社が(GPLに従わずにソースコードを公開せずに済ますために)Jinをソケット経由で制御できるようにするレイヤでラップすることを計画しているとも言っていたので、僕は『そうしたとしても、ほぼ間違いなくGPL違反に該当すると思う』と言ったんだ」とMaryanovsky氏は言う。
最終的にIChessU社はソケットは使用せず、(Maryanovsky氏によると)「95%が僕のコード、5%がIChessU社のコード」と言う独自クライアントを作成した。Rabinovitch氏はこれに同意する。そして「私たちのクライアントがJinのコードをベースにしているという事実を隠そうとしたことはありません」と電子メールのやり取りで言った。IChessU社が付け足したのは、(IP経由の)オーディオ/ビジュアルモジュールや、そのモジュール関連のいくつかのJavaクラスなどだ。ソースコードの一部はサイトで公開されたが、IChessU社が開発したモジュールのコードが含まれていたのか、含まれているとしたらどれ程含まれていたのかは、今となってははっきりしない。というのも、IChessU社のサイトにソースコードへのリンクは残っているものの、現在、ダウンロードのページは閲覧することができなくなっているためだ。
IChessU社がチェスクライアントを公開した後、Maryanovsky氏はRabinovitch氏に連絡を取り、いくつかの点でGPLに違反しているように思われるということを伝えた。Maryanovsky氏はわれわれの取材に対し、「なぜ違反になるのか、その理由を説明するので、実際に会って一緒にGPLをチェックしませんか」と提案したものの「全部断られた」と打ち明けた。
Rabinovitch氏に実際に会うことを断られると、Maryanovsky氏はFree Software FoundationとSoftware Freedom Law Centerとに連絡した。しかしどちらも米国の機関であることから、どちらのスタッフもイスラエルの法律について助言することを渋った。そこでMaryanovsky氏は友人の勧めに従い、この訴訟のためにJonathan J. Klinger氏を雇った。Klinger氏はイスラエルの弁護士でありながら、Electronic Frontier Foundationのメンバーであり、フリーソフトウェアライセンス・オープンソースライセンスに関するコンサルタントとしても活動している。
「他に方法はなかったでしょ?僕はカモになんかなりたくない」とMaryanovsky氏は言う。
一方Rabinovitch氏によると「Maryanovsky氏の主張は、法的なものというよりは、欲や傷付きやすいエゴから来ているものの方が多いのです。彼の心は傷付いている。そして、ただ自分の気が晴れ自分の名前を知られるためだけに、関心をあおり相手を傷付けようとしているのです。実のところ彼はお金を要求しているのですから。これは良くて物ごい、悪くて恐喝以外の何ものとも考えられません」とのことだ。
争点
同訴訟の争点は、Maryanovsky氏による論争の説明文書とともにオンラインになっている3つの文書(最初の手紙、最初の手紙に対するRabinovitch氏の返事に対する返事、訴訟の本文)に概説されている。 争点はこれら3つの文書からは発展しているとは言え、大部分は変わっていない。手短にまとめると、以下の通りだ。
- IChessU社は詐欺的交渉をした。なぜなら、Maryanovsky氏に相談を持ちかけた後、 同社は彼の作品に対価を支払うことなく使用したため。
- オーディオ/ビジュアルモジュールは、Jinに非依存の作品ではない。なぜならJinベースの「IChessUクライアント」は、 そのコードなしではコンパイルすることができないため。したがって、 GPLの第2条項により同モジュールもGPLの下に置かれなければならない。
- IChessUクライアントは、 制約の多いEULA(使用許諾契約)の下にリリースされている。これによりクライアントの使用が一台のコンピュータに制限され、 明示的にコピーや派生物が禁止されている。このライセンスはGPLとの互換性に欠け、GPLの第6条項に違反する。
- GPLの第1条項が再配布の際の著作権表示の保持を要求しているにも関わらず、 IChessU社はMaryanovsky氏の名前を記載せず、著作権を「不明」として記載している。
- IChessU社のサイト上にあるJinのスクリーンショットは著作権の侵害である。 訴訟の申し立て(ヘブライ語からの翻訳)によると 「スクリーンショットはライセンス許諾を得ないままのプログラムを実行して得た結果である」。
Klinger弁護士がRabinovitch氏に送った7月6日付の手紙では、IChessU社のサイトからのプログラムの削除と、損害賠償としてMaryanovsky氏に対し20,000NIS(イスラエル通貨シェケル)(約4,500ドル)の支払いが要求されていた。ただし実際に提起された訴訟では、IChessU社とRabinovitch氏に対する当該プログラムの配布の半永久的な差し止め、訴訟費用、損害賠償としての110,000NIS(25,000ドル)の支払いを要求している。なお80,000NIS(18,000ドル)は、サイト上のスクリーンショットに対するものだ。
反論
Rabinovitch氏はKlinger弁護士の手紙に対し、日付なしの手紙(英語)と、NewsForgeとの非公開のやり取りという形で応答した。手紙の中でRabinovitch氏は、「詐欺的交渉」というMaryanovsky氏の主張について否定した。それについては何の説明も証拠もないからとのことだ。また(ソフトウェアの原作者には)「『第三者』がこの契約書に従うことを強制する責任はない」というGPL第6条項の記述を引用し、(IChessU社とその顧客という観点からは第三者にあたる)Maryanovsky氏にもKlinger弁護士にも「申し立てを行なう資格はありません」と主張した。さらに、(どうやらGPLは商用ソフトウェアに対してのみ適用されると考えているらしく)「当該のソフトウェアはまだ商用配布していません。したがってGPLは適用されません」とも付け加えた。ただし現在では最後の2つの主張は取り下げたようだ。
NewsForgeとのやり取りの中でRabinovitch氏は、ソースコードは、オーディオ/ビジュアルモジュールも含めすべてIChessU社のサイト上で公開したと述べた。この主張は、IChessU社のサイトから現在全コードが削除されたため、実証は不可能だ。彼はまた、オーディオ/ビジュアルモジュールについて独立したプログラムであると説明し、「もともとのJinとはまったくコードを共有していません(書かれているコンピュータ言語も違います!)─仮に私たちがMicrosoft WordボタンをJinに統合したとしたら…Maryanovsky氏は私たちにMicrosoftのソースコードも公開しろと言うのでしょうか?」と言う。
著作権表示が保持されていないという論点についての答えとしてRabinovitch氏は、「私たちは自分たちのクライアントがJinのコードをベースにしているという事実を隠そうとしたことはありません。…『Download Client』のページに適切な表示があります。その表示は、Jinのソースコードを得ることができる場所へのリンク、GPLライセンスのウェブサイトへのリンク及びアドレスに加え、IChessUソフトウェアアプリケーションにはチェスサーバ用のJinクライアントが含まれていること、JinクライアントはGPLの下で公開されているサードパーティ製のソフトウェアであること、を明確に記しています」と言った。
掲載されているスクリーンショットが著作権侵害にあたるという論点についてRabinovitch氏は、「この主張が通れば、訴訟費用回収の足しになる」という内容のMaryanovsky氏によるSlashdot上の記述を引用することだけにとどめた。一方、GPLと互換性のないライセンスを使用している問題点についてはRabinovitch氏はコメントしなかった。
「私たちは、IChessUがGPLの要求のすべてを満たしていると考えています。法的にも倫理的にもです」とRabinovitch氏は言う。そしてこの訴訟がMaryanovsky氏にとっての「個人的な問題」の様相を呈してきたとし、この訴訟を「ばかげている」そして「恐喝の手口」だと言う。
現状
現時点でMaryanovsky氏は「和解、それにもし申し出てもらえるならば謝罪も受け入れることは、前向きに考えるつもりだ」と言う。部分的にはこの姿勢は、現在、訴訟が無期延期の状態にあるという事実から来るものであることは明らかだ。
Klinger弁護士は、同訴訟において略式裁判手続きを選択して提起した。同弁護士によると「略式裁判手続き」とはイスラエルの法律下では、「抗弁や事実関係についての論争がほとんどなく、明白で決まりきったケースである場合に、損害賠償のために通常よりも簡略に訴訟を起こすための選択肢です。損害賠償額が法定であるため、支払われる額面についての論争もありません」とのことだ。ただし被告に正当な抗弁を示すことが可能な場合は、訴訟手続きは通常通りに進む。
通常の場合、略式裁判手続きの主な利点は、抗弁の提起がなければ被告が通知の送達を受けてから30日以内に判決が出るという点だ。しかし今回の場合、この方法は裏目に出た。というのも、Rabinovitch氏がどうやらすでにイスラエルにはいないためだ。
Klinger弁護士によるとRabinovitch氏は「カナダへ逃げました」とのことだ。さらにKlinger弁護士は、「カナダででも、あるいはイスラエルへ戻ってきた際にでも、彼に通知が届くように私たちは全力を尽くします」と言う。一方Rabinovitch氏は、自分の正確な所在地を明らかにはしなかったが、自分と妻は仕事の都合と家庭の事情から移動したとしている。
(謝辞:Kripken氏に、訴訟のヘブライ語の文書の翻訳を提供していただいた。)
Bruce Byfieldは、教育コースの設計・指導を行なう傍ら、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalへと定期的に寄稿するコンピュータジャーナリスト。