オープンソースカルチャーにおける作法

オープンソースカルチャーの特徴の1つに、何が失礼で何が失礼でないかの概念が他と違う点が挙げられる。ここで紹介する例は、フリーソフトウェア開発にも、ましてや一般的なソフトウェア開発にも限ったことではない。数学、自然科学、あるいはエンジニアリングの分野で働く人たちの間でも同じだろう。ただ、フリーソフトウェアの世界は敷居が低く、新しい人がどんどん入ってくるので、特にこういった慣習に不慣れな人たちが戸惑うことも多くなる。

この記事は『Producing Open Source Software』(Karl Fogel著、Copyright (c) 2006、O’Reilly Media, Inc. All rights reserved)からの抜粋です。

まずは、失礼でない方から説明しよう。

技術的な批判は、率直であっても遠まわしであっても、失礼にはあたらない。これはある意味、賞賛と見なすことができる。批判するということは、その対象について深く検討する、あるいは一定の時間を費やすだけの価値があると暗に言っているようなものだからだ。つまり、何の反応も起こらない投稿が多ければ多いほど、時間を割いて批判するという行為自体がより大きな賞賛となるわけだ(もちろん、誰かを個人的に攻撃するなど、明らかに無作法なやり方であれば話は別だが)。

無遠慮な、歯に衣を着せない質問も失礼ではない。場合によっては冷淡な、修辞的な、あるいはからかっているように思える質問でも、聞いている側はおそらく真剣だ。あるいは、できるだけ手短かに情報を聞き出したいだけの質問もある。技術サポートでの有名な質問に「コンピュータのコンセントは入ってますか?」というものがあるが、これはその典型的な例だ。サポート担当者は、ユーザのコンピュータのコンセントが入っているかどうかが本当に知りたいのだ。サポートの仕事を始めて数日もすると、相手の気分を害さないよう丁寧に質問するのが面倒になってくる。だから、「失礼ですが、最初に考えられる原因を排除したいので、簡単な質問をお願いします。当たり前の質問かもしれませんがご容赦ください」などのように言えば、それ以外にあれこれ気を遣わなくても「コンセントが入っているか」という質問を率直に伝えることができる。似たような質問はフリーソフトウェアのメーリングリストでも日常的に交わされている。これは相手を侮辱するためではなく、最も明確な(そしておそらくは最も可能性の高い)原因を手っ取り早く排除するための質問なのだ。相手がこれに理解を示し快く質問に応じたなら、”寛大さ”という点で評価できるだろう。だが、不快感をあらわにしたとしても、その人を非難するべきではない。単なる文化の違いであり、誰が悪いわけでもないのだ。好意的な口調で質問(あるいは批判)に他意がなかったことを説明しよう。できるだけ短い時間で情報を得たかった(あるいは伝えたかった)だけで、それ以外の何でもないのだと。

では何が失礼なのか?

技術的な批判はある意味賞賛でもあるという話と根拠は同じだが、きちんとした批判をしないと失礼になることがある。他の人の作業(提案、コード変更、新しい問題の提起など)を無視するなと言っているのではない。意見を返すことを前もって約束しているのでなければ、何も言わなくても通常はかまわない。周りはただ、その人が忙しくて発言できないのだと思うだろう。けれども、批判をするのであれば手を抜かないことだ。時間をかけて実際に分析をし、必要であれば明確な例を提示する。あるいは過去の投稿を片っ端から調べて、関連する発言がないか探すなどを行うべきだ。あるいは、そのような手間をかける時間はないが、簡単に何か意見を述べる必要がある場合は、メッセージでそれを正直に打ち明けるとよい(「この内容には問題があると思われますが、その点について調査する時間がありませんでした。ごめんなさい」など)。大事なのは、このカルチャーにおけるノルマの存在を認識することだ。批判をするなら責任を持ってする、その時間がないならそれを大っぴらに認めることが必要なのだ。どちらを選んでもノルマは果たされる。だが、ノルマを果たさず、その理由も明確にしないとなれば、このトピック(およびそれに参加している人たち)に、自分の時間を割くだけの価値がないと言っているようなものだ。このような失礼な態度をとるくらいなら、時間がないときっぱり述べるべきだろう。

もちろん、これ以外にも失礼な行為はさまざまにあるが、そのほとんどはオープンソースカルチャに限定されるものではない。常識に従って行動すれば十分に避けられるはずだ。