太鼓叩きの文化にもオープンソース問題

ぴんと張られた太鼓の皮へ奏者の全身から繰り出されるバチの動きは、鍵盤を叩く指の動きとは比べ物にならないほど優美で力強い。だが、北米の太鼓奏者とオープンソースソフトウェア開発者は、実は共通の問題に直面し、それに頭を悩ませている同志でもある。両者に共通する問題とは、特許であり、改良点の共有である。

現に、太鼓奏者とその指導者の間には、太鼓のオープンソース化を推進しようとする動きがあり、すでに独自の運動歌まで作られている。『おみやげ』もそうした曲の1つで、芸術としての太鼓演奏が日本の歌舞伎や祭り太鼓から生まれたことにちなみ、日本語の曲名をつけている。

「まったく新しい運動というわけでもありません」と、『おみやげ』の作曲者であり、ロサンゼルスのOn EnsembleとTaiko Projectで太鼓奏者を努めているShoji Kamedaは言う。「要するに、オープン性とコミュニティ意識の継続ですね。オープンソースソフトウェア運動を参考にしています」

口伝の曲をFOSSでコード化

「太鼓コミュニティにはオープンソースの考え方が昔からありました」とKamedaは言う。太鼓の世界では曲が共有され、新米奏者には「ドン・カラ・カ」のように打ち方が口伝えで教えられていた。

「たとえば、Kinnara Taiko(緊那羅太鼓)というグループがあります。北米太鼓グループの先駆けとも言うべき存在で、ここでは求める人には分け隔てなく『アシラ』という曲を教えていました。いまでは、多くのグループがこれの独自バージョンを演奏するようになっています。もっと最近では、P. J. Hirabayasiが『ええじゃないか』という太鼓と踊りの曲を書いています。これは北米太鼓コミュニティ(NATC)全体が共有する曲で、まさにオープンソース曲と言ってよいでしょう。また、Taiko Projectの演奏会では、最後に必ず『おみやげ』をやります。これは、訪れたコミュニティへ私たちからのお土産として残していきたいという思いからです。Bryan Yamaniの発案でしたが、背後には、他家を訪れるときはお土産を持参するという日本の習慣があります。Kris(Bergstrom、On Ensembleメンバー)と私がNATCでやったことは、太鼓コミュニティに受け継がれてほしいこの理想を、FOSSコミュニティの言語を使うことで強化し、コード化することでした」

BergstromはOn EnsembleのWebサイト運営者である。古びたハードウェアとLinuxを使い、サイトを維持している。自らが所属するOn Ensemble用に1編のエッセイを書いた。それがいま北米太鼓コミュニティ全体に注目され、読まれている。

「On Ensemble内部での話し合いの材料にでもなればと思って書きました」とBergstromは言う。「あれ以後、曲の共有についてグループの方針がまとまってきて、われわれのスタンスを外部に説明するために、ちょっと書き直しが必要になりました。ついでに、On Ensembleの新しいアルバムをCreative Commonsライセンスのもとで出すことについての説明にもなれば、と思っています。書き終えたら、なるべく多くの人に読んでもらって、フィードバックを得たいですね」

「所有と(自由な)共有の問題は、太鼓コミュニティだけでなく、あらゆるクリエイタにとって座視できない重大問題です。著作権や特許もそこに含まれるわけですから、アーティストとしては絶対に無視できません。これに真剣に取り組んでいる太鼓コミュニティの姿勢は、私には感動ものです。広範な話し合いを経て、世論が中央統制から共有の拡大へ向かってくれれば言うことがありません。自由文化の擁護者が増えてくれることを望んでいます」

Bergstromにフリー/オープンソースソフトウェアへの関心が芽生え、太鼓など諸分野への適用が気になりはじめたのは、スタンフォード大学時代、音楽・音響学コンピュータ研究センターのいくつかのクラスで、Linuxを使いはじめたことがきっかけだった。

「当時、まず感銘を受けたのは、このソフトウェアの技術的すばらしさでした」とBergstromは言う。「プロプライエタリ製品にはとうていできないことができましたから。やがて、GNU GPLの考え方を学んで、これだけ多くの人々が緩やかに結び合い、協調しながらこれだけのものを生み出せたという事実に驚き、興奮しました。ソフトウェア自体にも増して、フリーソフトウェアという考え方がすばらしいと思いました。それからは、何をする場合でも、この考え方をなんとか適用できないものかと考えるようになりました。たとえば、音楽家としての私には、自分の書いた曲が万人に共有され、社会全体に1つの慰めを与えられれば最高です。結局、私は心の底からの自由文化愛好者/擁護者なのだと思います。私にとって、創造的社会に参加するための道が音楽なのだと思います」

演奏法の特許と亜流

和太鼓演奏の発祥の地である日本でも、太鼓楽曲は伝統的に口伝され、共有されることが一般的だった。だが、1960年代にアジア系アメリカ人の文化運動が起こり、その中から北米太鼓グループが生まれて、助六スタイルの演奏を始めると、1つの問題が生まれ、論争が巻き起こった。助六とは、日本で傾き(かぶき)スタイルを創始したグループの名前である。

相手はMicrosoft社ではない。傾きスタイルを考案し、完成させた団体であることはよく理解されていたし、賞賛も惜しみなく与えられていた。だが、その一方で、日本の大江戸助六太鼓だけが傾きスタイルを独占することへの懸念もあった。

RIAAによるファイル交換の取り締まりにも似て、助六論争ほどオープンソース太鼓のアイデアを普及させたものはない、とKamedaは言う。Kamedaの見るところ、助六スタイルを確立した大江戸助六太鼓にも、自分たちの演奏スタイルがアメリカで広まるのを歓迎する人々はいた。だが、奏法の知識も不十分なまま、助六の名で勝手に質の悪い演奏をやられてはたまらないと考える人々もいた。

「1997年、アメリカで助六亜流が広まることを恐れる人々が、アメリカにおける助六太鼓代表であり、北米太鼓のゴッドファーザーとも言うべき田中先生に圧力をかけはじめました。助六太鼓の代表として、アメリカの太鼓グループが大江戸助六太鼓の許可なく助六スタイルを使い、助六レバートリーを演奏することをやめさせるよう、先生に指示してきました。助六太鼓とアメリカ傾き太鼓の論争は、結局のところ、著作権や特許の問題というより、大江戸助六太鼓が助六スタイルを管理したかったということ、自分たちの創意工夫による奏法であることを認め、敬意を払ってほしかったということだと思います」

その辺の事情は徐々に認識されるようになったが、北米太鼓コミュニティは助六側の要求を無視する道を選んだ、とKamedaは言う。これに対し、大江戸助六太鼓は著作権と特許による締め付けを強めてきて、北米太鼓奏者との争いは今日でも完全には収まっていない。

「この問題の鍵とも言うべき重要な要素の1つに、NATCと日本の文化的な違いがあります」とKamedaは言う。「アメリカ太鼓と日本太鼓には、文化的にいくつかの違いがあります。まず、アメリカの太鼓は、アジア系アメリカ人の文化的運動から生まれてきたもので、あの運動が掲げていた理想がNATCにもそのまま引き継がれています。その1つがコミュニティ建設でした。コミュニティ建設は運動の重要な一部でしたし、NATCでもそれは変わりません。ここで考えられているコミュニティとは、オープンで、共有と連帯の精神で貫かれているコミュニティです。助六側の要求の問題点は、それが――確かに向こうの視点からは正当な要求なのでしょうが――この理想と真向からぶつかっていることです」

オープンソースソフトウェアで太鼓をWebへ

On Ensemble太鼓奏者の1人、Kris Bergstromは、同グループのWebサイトをフリーソフトウェアで作っている。大学時代にLinuxやその他のオープンソースに出会った経験が、Bergstromをフリーソフトウェア愛好者に変えた。

「とても簡単明瞭、それにちょっと時代遅れでしょうか」とBergstromは言う。「標準的なDebian Woodyマシンに、Apache 1.3とPostfix、IMAPメール用にはCyrus、それにDNSにはBIND 9といったところです。別にバックアップ用のサーバがあって、こちらでは友人のRon Golanが書いたスクリプトが動いています。Mike Rubelの言うrsyncスナップショットを実装したスクリプトで、On Ensembleの技術的インフラのなかでは、ここが一番セクシーかもしれません……ネットワークに接続しているすべてのマシンのスナップショットを定期的に作成してくれます。仮にあるファイルを削除してしまって、1週間もそれに気づかなくても、回復が可能です。数週間分のスナップショットでも、システム上では2x程度のスペースしか占めません。夢みたいですね。何度か助けられました」

「OnEnsemble.orgも、私自身も、フリーソフトウェアから大きな力をもらっています」とBergstromは言う。「Windowsへのいらいらが募って、5年前にDebian GNU/Linuxに完全に切り替えました。これはずっと高度な環境ですから、ここで自由に泳ぎ回れるだけの知識を身につけるのはなかなか苦労でしたが、得るものは信じられないほど大きかったですね。小さなツールの組み合わせで大きな仕事を成し遂げる――このUnix理念は見事です。たとえば、OnEnsembleが資金集めのメールを発送するときは、sed、uniq、sortでアドレスのCSVファイルを作り、メールマージとレイアウトをLaTeXで処理します。何度やっても、そのたびに思わず顔がほころんでしまいます」

Bergstromの態度はさらに明確で、助六側の懸念や不満は理解できないと言う。奏法を管理しようなどという試みは間違っている、とも言う。「自由な文化を推進する運動の一員として、ある打ち方で太鼓を叩いてはならんなんてことを人に命令するのは、とんでもないことだと思います。スケートボードでこういうジャンプをしてはならんとか、こういう技法で絵を描いてはならんとかいうのと、同じレベルのことではないでしょうか。演奏スタイルは、情報と創造性という一般的カテゴリに属する事柄です。誰もが自由に研究し、練習し、使用できるものでなければなりません」

「太鼓コミュニティが大江戸助六太鼓の心配を生産的な方法で乗り越えること――それが私の希望です」とBergstromは付け加える。「私個人としては、これで傾きスタイルをやめるのでなく、もっと使いたい。そして、確かに拙い技ですから、大江戸助六太鼓には上達のための指導をもっとお願いしたい」

芸術的ソフトウェア、役に立つ音楽

オープンソフトウェア太鼓の提唱者は、ソフトウェアと音楽の類似点・相違点をよく話し合う。どちらも芸術と見なせる一方で、有用なツールとも考えられる。

オープンソースの理念を適用することと、太鼓音楽にライセンスを与えることの違いは、Kamedaによると「ソフトウェアのようなツールを作ることと、音楽のような芸術作品を作ることの違い」だと言う。

「重なり合うところはたくさんあります。でも、芸術は、その性格からして主観的であり、個人的なものです。私自身の音楽をオープンソースライセンスのもとでリリースできるか? どうでしょうか。個人的な思い入れの強いものもあるし、ちょっと躊躇します。私自身の表現であり、私自身の声であり、この世で私がありたいと望む姿です。うーん……私がもっと啓蒙され、心が安定していれば……感情的に作品から離れられれば……それなら全作品をGPLのもとでリリースできるかもしれません。でも、感情的にまだそこまで行けません」

だが、Bergstromは、ソフトウェアと音楽をそういう風に規定するのは正しいと思わない、と言う。

「現実に役立つ創作物と芸術的創作物という分け方をする人は多いです。でも、役に立つか芸術的かという分け方はナンセンスです。これでは芸術というものの定義が曖昧すぎますし(ソフトウェアにも、芸術品と呼べるものは少なくありません)、音楽は主観的な性格のものだとしても、そのためにリミックスの可能性が広がるということもあります」

「自由に手を加えられる音楽なら、多くの人が心の赴くままに変奏曲を作れます。フリーソフトウェアがソフトウェアに目覚しい成功をもたらしたのと同様、フリーミュージックには、音楽に多様性と質的向上をもたらす可能性があると信じます。創造者の声を勝手に改変することを懸念する向きもありますが、それは、オリジナルの改変であることを明記することで乗り越えられるでしょう」

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