控えめなリーダーがオープンソース成功の鍵

論説:ソフトウェア業界では、経営陣の個性が及ぼす影響が、よその業界に比べて大きい。他にこうした現象が見られるのは、芸能界や娯楽産業くらいだ。かつての私の同僚が、以前こんなことを言っていた。「Microsoftの経営陣が常識的というわけじゃない。この業界は非常識なのが普通で、Microsoftは大多数の企業より非常識の程度がちょっとましだというだけだ。Microsoftがうまくやっていけている理由はそこにあるのさ。」

最近、Sunのことを話題にするとき、その話の中心はSunの技術開発ではない。「Javaは.NETより優れた技術か?」という話をしているわけではないのだ。我々の関心は、「Joltin’ JonSlaverin’ Scottの次の一手は何か。今週のタッグ戦の対戦相手は誰か」という点にある。

これはビジネスではない。プロレスと同じである!

たとえば、FordのCEOは、以前は電気自動車のことを悪く言っていたが今では大好きになった、と言って巨大バッテリのコスチュームで登場するなんてことはしていない。

一方、オープンソースやフリー・ソフトウェアでスポットライトが当たる人も変化してきた。Richard StallmanやEric Raymondは、世間一般やメディア向けという意味では影響力が薄れてきている。その反面、ブランドや企業、セールスに重きを置くStu Cohenの露出が増えており、その隣にはたいてい、最近のメディア受けのいいLinus Torvaldsが控えている。そして、この戦術は功を奏している。以前は、「あんな企業やこんな企業がOSDLに参加した」ということがニュースになったし、今では、週2回の退屈なプレス・リリースで伝えられてくる。Microsoft以外はどこもOSDLに参加するのではないかと思える。

アンチ・オープンソース特許侵害の元祖であるUnisys(GIFの「サブマリン特許」の話を覚えているだろうか)ですら、今ではOSDLのWebサイトにロゴが載っているのである。

最近の企業向けLinuxコンファレンスで盛大に取り上げられるという点では、HPの重役で人当たりがよさそうに見えるMartin Finkの方が、コミュニティのスポークスマンであるBruce Perensよりも、可能性が高そうだ。

世界的な大手のプロプライエタリ・ソフトウェア企業を動かしている重役たちの「十人十色」ぶりを見ると、時と場合によっては、オープンソースは、風変わりなアウトサイダーではなく、地に足の着いた保守的な選択肢に見えるかもしれない。具体例として、OracleのLarry EllisonとMySQLのMarten Mickosを比較してみよう。Martenを見ると、MySQLのことをいつも考えている、真摯で信頼の置けるエグゼクティブだという印象を受ける。一方、Larryを見ると、エゴが詰まっているという印象を受け、品質の高いソフトウェアの開発に対する興味と同じかそれ以上に、走りのいい自動車、女性関係、飛行機、レース用ヨットといったものに対して興味を持っていそうに思える。

巨大なエゴが普通とみなされるシリコン・バレーの世界から1歩外に出ると、Marten MickosはLarry Ellisonよりもビジネス・ライクに見えるのではないかと私は思う。そして、こうしたとらえ方(広報部門が作成した経歴によるものではなく、2人に対する私の個人的な観察によるもの)は、MySQLをOracleの直接のライバルへと近付けるうえで、少なからず意味を持つはずだ。

企業やオープンソース・プロジェクトを動かしている人たちから受ける印象の他にも、オープンソースには安全要因がある。すなわち、プロジェクト・リーダーの個性がオープンソース・プロジェクトに及ぼす影響は、プロプライエタリ・ソフトウェア企業のCEOが自社製品に及ぼす影響に比べたら、重大性がはるかに小さいのだ。MicrosoftのCEOであるSteve Ballmerは、Microsoftの反トラスト法の裁判における公式な陳述の中で、もし自分の気に入る判決が出なかったらWindowsを市場から撤退させると述べた。これは確度の高い脅威であった。なぜなら、Windowsの作成、配布、修正、更新は、Microsoftにしか認められていないからだ。

Ballmerとは違って、Linus TorvaldsやStu Cohenは、出来心にまかせてLinuxをこの世から消し去るという脅しをかけることはできない。消し去ることができるとしても、Linuxという名前だけだ。カーネルやその周辺のもろもろは、2人がいなくても継続されていくことであろう。

きわめて重要なプログラムの独自のバージョンを作成、メンテナンス、配布できるというのは、すべてのオープンソース・ソフトウェアやフリー・ソフトウェアに組み込まれている大きな「安全価値」である。不安を感じている企業のマネージャが、プロプライエタリ・ソフトウェアではなくオープンソース・ソフトウェアやフリー・ソフトウェアを選ぶべき理由としては、長い目で見てこの点が最大である。

オペレーティング・システムなどの大規模なソフトウェアをメンテナンスするほどのリソースは社内にない、ということもあるかもしれない。だが、そのソフトウェアが自社のビジネスにとってきわめて重要であれば、それを同じく重要と考える人は他にも大勢いる可能性が高く、そうした人たちと協力してそのソフトウェアを維持および発展させていけるのではないだろうか。そして、その新しいプロジェクトにかかったコストのうちの自社の負担分は、同等のプロプライエタリ・ソフトウェアの購入にかかる金額に比べたら、安くあがると考えてまず間違いない。

つまるところ、フリー・ソフトウェアやオープンソース・ソフトウェアには、2つの強みがある。1つは、オープンソース製品のリーダーやスポークスマンの方が、プロプライエタリ・ソフトウェア業界のリーダーやスポークスマンよりも、常識的でビジネスライクに見えるようになってきたということだ。もう1つは、オープンソース・ソフトウェアの場合は、プロジェクト・リーダーの出来心がソフトウェア・ユーザに影響を及ぼすことはなく、プロプライエタリ・ソフトウェア企業のCEOが顧客に及ぼす影響とは比べものにならないということだ。

オープンソースのこの2つのメリットは、ソフトウェア利用の趨勢に影響するにはまだ至っていない。だが、きっとそうなる。

そしてそのときには、プロプライエタリ・ソフトウェア企業は、企業向け市場におけるオープンソースとの競争で、かなりの苦戦を強いられることになる。

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