アジアのオープンソース――GNU/Linuxの台頭

地球上の陸地の30%を占め、37億の人口を抱えるアジアには、47の国と、諸国領の島々が含まれる。アジアは資源が乏しく、インフラストラクチャも貧弱な地域だ。しかし、注目を集めることは少ないが、GNU/Linuxは、アジアにおいて興味深い動きを見せている。
電力を利用できるのは全人口の15%にも満たず、コンピュータの所有率はそれよりもはるかに低い。富める者だけがテクノロジを利用できるのである。ここでは、モデムは牛一頭よりも高価だ。インターネットの利用人口は世界レベルで見ると北半球に集中しており、各国レベルで見るともっぱら都市部のエリートで占められている。インターネットに関する誇張された情報と、救いの手を差し伸べようとするトップダウン・アプローチによって、企業の所有権争いや情報操作、そして、インターネットというものが世界の大部分では存在すらせず、南の人々には何の役にも立たないという単純な事実すらも隠蔽されてしまっている。
— ダッカを拠点とするバングラデシュ人写真家/活動家Shahidul Alam

アジアのインターネット事情

Dr Madanmohan Rao著『The Asia-Pacific Internet Handbook』からは、日本、韓国、中国、インド、オーストラリア、シンガポールのインターネット産業についてうかがい知ることができる。各国の状況が、インターネット産業の「8つのC」(接続性(connectivity)、コンテンツ(content)、コミュニティ(community)、コマース(commerce)、資産(capital)、文化(culture)、協調(cooperation)、能力(capacity))の面から紹介されている。

Raoは、アジアにおけるインターネットの成長を、4つのエピソードにまとめている。まず、アジアでのコンピューティング・インフラストラクチャの誕生(1960〜1980)、次に、初期のインターネットワークの登場と教育機関でのインターネット、Asia-Pacific Network Information Centre(1980〜1995)、続いて、商用インターネットとデータ通信の規制解除、アジアでのワイヤレスネットワークの登場(1995〜2000)、最後に、アジアでのインターネットパワーハウスの台頭とその対象国(2001年ごろ〜)である。

Raoは、「30億を超える人口を持つ、アジア太平洋地域の23の国々は、世界中のインターネット市場の中で目ざましい成長を見せており、いま有利な市場だ」と述べている。しかし、この可能性がアジア全体に均等に広がっていくかどうかという点には、疑問の余地がある。

現在の状況は、楽観も悲観もできる。Raoが紹介しているインドのケースを見てみよう。 インドは、アジアの一部の国とは違い、言論の自由を保証された、非常にコンテンツの豊富な国である。ニュース、文化、エンタテインメント、スポーツ、そして医療のナレッジ・ベースは、 優に10以上のポータルやボータルを形成できるほどであり、国内のユーザはもとより、国外のインド人ユーザ(120を超える国に2000万人が暮らしている)、国際企業、そして熱狂的なインドファンたちの貪欲なニーズに応えている。

しかし、人口10億人強のこの国で、2000年から2001年にかけて販売されたモデムの数はわずか70万台である。

Raoによれば、インドでは今世紀、ほかのどの国も経験していないような、サイバーカフェの爆発的な増加が見込まれているという。多くのユーザは自分のPCやインターネット・アカウントを持たず、30ルピー(約70セント。いまはこの3分の1程度)払い、何日かおきに30分間、地元のサイバーカフェでメールをチェックしているのだ。

多くの可能性を秘めていながら、資源に恵まれないアジアでは、FLOSS(Free/Libre、Open Source Software)が多様なニーズに応えることができるだろう。価格が安い(特定の業界向けに特殊化されたソリューションは、プロプライエタリの競合製品と同様に値が張るので例外だ)という点だけでない。FLOSSはすぐに習得でき、多数のコンピュータに製品を配備することができる。プロプライエタリ製品では、著作権による制限があるため、ほかのPCにソフトウェアをコピーすることはできない。

コンサルタントのMichael Dunhamが主張するところによれば、「開発途上国の、経験と才能はあるが資金に恵まれない企業家にとって、Linuxが最適な選択肢であることには疑いがない」という。彼はFLOSSのライセンスが「ローカライゼーションと機能拡張を付加することで、テクノロジの採用をビジネスや家庭の場に押し進めることができる柔軟なソフトウェアという富をもたらしてくれる」とも述べている。また、アジアではすでにGNU/Linuxへの対応が万全で、インストールの単純化や信頼性の向上、デスクトップへの対応などに関して、多くの独創的な工夫が行われているという。

気づきにくく、理解しづらい

「盲目の男たちと象」の伝説と同じく、GNU/Linuxが果たしている役割はなかなか気づきにくく、そして理解しづらいものである[訳注:6人の盲人が象を見に行き、目が不自由なために見ることができなかったにもかかわらず、それぞれが好き勝手な描写をするというもの]。しかしヒントを見つけることはできる。GNU/Linuxの登場によって、ソフトウェア・ゲームのルールは完全に変わり、その変化を望んでいた今の世代のユーザの想像力をかきたてることにつながったのだ。

GNU/Linuxの影響力、特にアジアでの影響力を測るのが難しいのは、主に次のような理由からである(ただしこれだけが理由ではない)。

  • 変化は草の根から訪れる。つまり、散らばっているために指摘するのが難しい。典型的な枠組みにあてはまらないため、ニュースにならない(ただし、GNU/Linuxの影響をレポートする試みはなされており、その成果は多くの人々を驚かせた。プロジェクトを記録することは、現在の状況を知ったほかの人々が行動を起こすきっかけになる)。
  • GNU/Linuxを採用している国々は、その普及を喧伝しないことがほとんどである。これは、その国々でコミュニケーションに使われているのが英語以外の言語であることが理由だろう。たとえば、中国、韓国、タイなどの国々ではGNU/Linuxが広まりつつあるが、世界規模でそれが報告されることは非常に少ない。
  • 生活レベルの向上が課題である地域では、コミュニケーションの問題に優先的に対処できる状態にない。
  • 変化を実感するのには時間がかかる。若い技術屋たちは、テクノロジの垣根が低くなったことや、人類の最大規模のコラボレーション・プロジェクトとかつて呼ばれたものを介した共有が可能であること、そして、ほかの開発者のスキルや自分のスキルを共有することなどによって生まれる可能性を、今まさに感じ取っているところだ。プロプライエタリ・ソフトウェア界のリーダーであるBill Gatesがインドを訪れ、Microsoftを始めとする企業が自社製品で学生を囲い込もうと必死なのは、今後数年間でソフトウェア界の勢力図が大きく変わるという恐れを抱いていることの表れだ。

取り上げられることは少ないが、GNU/Linuxは、アジアのさまざまな地域で独特の使われ方をしている。来週はこれに焦点を当てる予定だ。