Linuxとコンピューティング:雑感

製品レビューで、ラップトップコンピュータ仕様の最重要項目が注目されないのはなぜだろう。Linuxを実際よりわざと難しく見せかけようとするのはなぜだろう。フリーソフトウェアやオープンソースの一部を、実際よりすぐれているかのように触れ回るのはなぜだろう。空気が存在するのはなぜだろう。

ホットなラップトップ

最近、新しいラップトップコンピュータを買った。私の希望は、大きくて明るい画面、打ちやすいキーボード、Linux対応、そこそこのパフォーマンス、そして安い価格である。 上記項目のほとんどについては、インターネット上のあちこちで十分な情報が得られた。だが、ラップトップ仕様のなかで私が最も重要視している項目については、なぜか情報がない。それは、温度――どのくらい熱くなるか――である。

考えてほしい。ラップトップは膝の上で使うものである。誰も膝を火傷したいとは思わないだろう。いやしくもラップトップのレビューである以上、1時間ほど連続的に使ったあとの底面の温度くらいは調べておくべきではなかろうか。

私が選んだToshiba Satellite 1410は、CPUが1.8GHzという高速uPである。だが、あまり熱くならない。速さがその半分にも満たないくせに、これより熱くなるラップトップはたくさんある。今回はたまたま幸運だったが、やはり、購入を決める前に、底面温度を知る方法があってしかるべきだと思う。熱すぎるかどうか、使ってみないとわからないというのでは困る。

E-Z流Linux

コマンドラインこそベストという主張には、異論がない。最初はそれしかなかったし、いちばん融通がきく、というのもそのとおりである。だが、パソコンが本格的に普及しはじめたのは、ユーザがテキストコマンドをいくつも覚える煩わしさから解放され、日常作業のほとんどを――管理作業さえも――ポイント・アンド・クリックでこなせるようになってからのことである。

好むと好まざるとにかかわらず、それが事実である。

なのに、これはどうしたことか。Linuxのマニュアルには、簡単な作業をコマンドラインで実行する方法が満載してある。いまではすぐれたGUIツールがあって、同じ作業を完璧にこなしてくれるというのに……。

たしかに、ソフトウェアの内部の仕組みを知っておくに越したことはないだろう。甲状腺が身体機能のあれこれをどう調整しているかも、オートマチック車のトルクコンバータがどう働くかも、理解しておくに越したことはない。だが、ほとんどの人は自分の甲状腺のことも、トルクコンバータのことも知らずに暮らしている。同様に、LinuxでCDドライブを使うとき、CDアイコンをクリックするとどこがどうなり、それはなぜか、など知らなくても、使用上の不都合はない。

私は、昨年一年間、ポイント・アンド・クリックの管理ツールしか使わずにLinuxを使いつづけてみた。どういうことになるかを知りたかったからである。で、どうなったか。一言でいうと、特別なことは何もなかった。現在、ほとんどのデスクトップLinuxユーザには、SuSE、Mandrake、Red Hat、Lycoris、Xandros、Libranet、Lindows、その他から提供されている管理ユーティリティがあれば十分で、コマンドラインインタフェースは必要ない。CLIも多少知っていて、必要に応じて使えればすばらしいが、それは、必要なとき自分で車のタイヤ交換ができればすばらしいというのと同程度のことである。

タイヤ交換ができなくても、日常の運転には差し支えない。コマンドラインに精通していなくても、Linuxは使える。どちらの場合も、忙しくてやり方を覚えている暇がないという人は、誰かにその作業を頼むことができる。

私がなぜこんなことを言うかといえば、たとえば、インストール方法の説明書には、ソースからパッケージをuntarし、インストールする方法が事細かく書いてある。思うに、ただ「ダウンロードディレクトリをKonqueror(KDEファイルブラウザ)で開き、untarかつインストールしたいパッケージをクリックし、要求されたらルートパスワードを打ち込む。あとは、パッケージ付属の説明書(普通はREADMEテキスト)を参照」でよさそうなものだが、そんな説明書は見たことがない

インストールはロケット科学ではない。プロペラ科学でさえない。Linuxがこれほどやさしくなったのに、ほとんどの人はそれを知らない。これは残念なことである。事実を知らしめなくてはなるまい。知る人が多くなればなるほど、Linuxに乗り換える人も増え、帯域幅を食うだけのばかばかしいワームやウィルスの拡散も減るだろう。

フリーソフトウェアの全部が全部すごいわけではない

フリーソフトウェア信者は耳をふさぎたくなるかもしれないが、あえて言わせていただく。Gimpはよいソフトウェアではあるが、Photoshopにはとうてい太刀打ちできない。とくに、グラフィックの印刷には使えない。さらに、$100未満で売られているPaint Shop Proでさえ、ほとんどのグラフィック編集作業をGimpよりずっと簡単にこなす。GIFを処理できるし、特別の迂回策やインストールルーチンに頼らなくても、箱から出したままの状態でいろいろな見映えのよいフォントが使える。

フリーソフトウェアパッケージのなかには、同分野の市販製品ほど優秀でも使いやすくもないものが、ごまんとある。だからいけないと言うのではない。ほとんどは、(少なくとも一部のユーザにとっては)十分に仕事をこなせるレベルにある。私が言いたいのは、事実を美化も卑下もせず認めようということである。現時点で、Linuxとそれに付随するフリーソフトウェアパッケージは、全部が全部完璧なわけではない。

たとえば、Webデザインを取り上げてみよう。生計が立てられるほどのスピードでWebサイトを構築するという観点から見るとき、現在のフリーソフトウェアパッケージはDreamweaverの足元にも及ばない。市販のその他のWindowsプログラムやMacプログラムにもかなわない。たしかに、手書きのコードがベストであることは疑う余地がないが、HTMLとCSSを熟知している人でさえ、作業のスピードアップのためにはツールを必要とする。しかも、WYSIWYGなツールであればあるほど、作業が速く進む。物理的世界に譬えを求めれば、電動工具だろう。板の縁をつるつるに仕上げたければ、電動鉋より手動鉋のほうがよいに決まっている(しかも、段違いに静かだ)。しかし、大工仕事を職業にするのなら、生産性向上のためにどうしても電動工具を使わざるをえない。

特定の――とくにグラフィック関連の――分野では、Linuxとフリーソフトウェアの道のりは遠い。現在、市販のプログラムを使っているプロがいて、それと同等のプログラムがLinuxやフリーソフトウェアにない場合、そのプロに与える適切なアドバイスはこうなるだろう。「オペレーティングシステムには、ぜひ、Linuxをお使いなさい。これは、ウィルスを始めとするさまざまなWindows問題には無縁ですから。ただ、お仕事をフルスピードでこなしたいなら、当面は、Win4LinやWineを利用して現在のプログラムを使いつづけなさい」

あらゆる人のあらゆる問題がLinuxとフリーソフトウェアで解決できるわけではなく、それを認めることは少しも悪いことではない。過度の吹聴は、必ず馬脚を現す。無理をしてでっち上げなくても、セールスポイントは十分にある。

空気は何のためにある

もちろん、バレーボールを膨らませるためにある。これはLinuxとは(コンピュータとも)何の関係もなく、1965年にできたBill Cosbyのコメディアルバムのタイトルである。

Linuxやフリーソフトウェアやオープンソースを擁護しはじめると、つい、のめり込みがちになる。SCOがどうのこうの、インターネットとコンピューティングがどうのこうのと言うのも同様で、それが人生のほんの小さな一部であることをつい忘れてしまう。

だから、Bill Crosbyを聞いても聞かなくてもいいが、ときには一歩退いて大いに笑おう。

笑ってよかった、と絶対に思うから。