あらゆるところにクレジットを!

フリーソフトウェアの推進力は自負心である。フリーソフトウェアの作者は、お金の代わりに名声を得る。しかし、我々ユーザコミュニティは作者をその労に見合うほど積極的に称えているとは言いがたい。そこで私は、いくつかの簡単な実践方法を通じてこの状況を変えることを提案する。

フリーソフトウェアはラジオやテレビのようなものであり、誰でも好きなときに簡単に入手して使うことができる。ソフトウェアプログラミングは娯楽番組と同じくらい普及しつつあり、他にもさまざまな類似点を見せるようになってきている。その中のどの類似点を容認するかを慎重に検討しなければならない。事実上のルールになっている悪い習慣に染まる前に、今の段階で、適用すべきタブーを確立しておく必要があるだろう。

たとえば、フリーソフトウェアのプロジェクトに連続メロドラマと同じくらい充実したスポンサーを付けたいだろうか。もしそれが可能なら、それほど喜ばしいことはない。

あるいは、減量効果や格好のよさを前面に打ち出しているタバコの広告を画面の背景に挿入したいと思うだろうか。個人的にはそう思わないのだが。

また、頻繁に使うすべてのソフトウェアの作者の名前を皆に知らせた方がよいだろうか。もちろん、そうすべきである。そうすれば、作者はもっと熱心に開発作業に取り組むだろう。

私としては、すべてのディストリビュータに対して、Linuxソフトウェアの作者の面々についての詳しいクレジットを60秒ごとにランダムに表示する標準のスクリーンセーバーを付けることを要求したい。さらに、起動時の標準のスプラッシュスクリーンに、これらの作者たちが書いたソフトウェアについての詳しいクレジットをランダムに表示することを提案する。

私は、作者のクレジット表示をフリーソフトウェアのライセンス要件にするべきであると考えている。では、これをライセンス要件にしなければならない理由とは何だろうか? こんなグッドアイデアならば、誰もが賛同してくれるのではないだろうか?

そう思う人は、背広組のマーケッターのやり方を知らない人である。マーケッターたちは「認知度は金なり」と考えており、それを他人に譲ることなどまったく考えていない。マーケッターの仕事は、できるだけ多くのマインドシェアを獲得することなのである。

マーケッターは、製品に対する賞賛を自社だけが享受できるようにするために、自社製品のクレジットを厳しく統制している。ディストリビュータが、自分たちはほとんど開発にタッチしていないにもかかわらず、自社の名前だけを記したスプラッシュスクリーンをカーネルに組み込むのも同じ理由である。このようなスプラッシュスクリーンの目的は、自社のブランド名を強調し、その他のものをすべて覆い隠してしまうことである。もっとも、ディストリビュータが語る表向きの理由としては、普通のユーザには理解できない情報を、自社の(三流アーティスト作の)グラフィックで紛らわせているのだということになっている(スプラッシュスクリーンのデザインを募るオープンコンテストを開催するべきだと常々思っているのは私だけではないだろう)。

ディストリビュータがすべてのKDEプログラムから「K」の文字を省くのも、同じ理由である。誰かがブランド名を確立しようとしたときには、それが市場の脅威になる前に芽を摘んでおくのである。同様に、自分たちが開発していないデスクトップでも、実際のデスクトップ作成者のロゴに代わって自社のロゴを表示するようにユーザインターフェイスを変更することはよく行われている。

他人の作った物をクレジットなしで使うのは盗作である。教育の場では、盗作やその他の帰属問題を取り扱うためのしくみがずっと前から確立されている。論文を公に発表する前に、独立の審査委員会が審査を行うのである。もしも独自の理論でなかった場合、その論文は審査委員に相手にされないだろう。提出者は自分の独自性を加味しなければならず、引用元を意図的に隠していた場合には、発表の機会さえ与えられない。論文の盗作防止のための戦いは絶え間なく続いているが、既に社会的なしくみが確立されており、かなり有効に機能している。

それに引き換え、フリーソフトウェアの発表に関しては、ディストリビュータとアプリケーションベンダがクレジットの適切なシェアを決定している。ディストリビュータは自分の既得権に固執しているので、クリエイティブな才能の功績を認めようとはしない。資金を提供している人や企業に対しても同様である。お金だけを出している人の功績より、コードを提供している人の功績の方が大きいとする考え方もあるかもしれないが、私はそれに賛同できない。そう考える人は、他のプログラマに資金を提供する仕事を実際にやってみたことがあるのだろうか。私に言わせれば、それこそ正真正銘の大仕事である(場合によっては休憩も許されないくらいだ)。金銭は重要でないなどと言えるのは、働いて稼いだことのない人だけである。

正しい方向への一歩

本稿の提言は、この問題についての第1ラウンドにすぎない。フリーソフトウェアの作者が自分のソフトウェアにクレジットを付けられるようにするためには、他にもさまざまな問題を解決しなければならない。

たとえば、作者が何人もいる場合に、クレジットを公正に示すにはどうすればよいだろうか。誰かが見積もった「公正な」クレジットのシェアに納得がいかない場合にはどうしたらよいのだろうか。そのまま甘受するのか、それとも他の人が作成したソフトウェアを使わずに済ませるのか。これは決して新しい問題ではない。役者たちがスクリーン上に映し出される自分の名前の大きさについてあれこれ言い争う様子は簡単に想像できるだろう。

どこかの時点で、この言い争いに終止符を打つ調停者が必要になってくる。まず考えられるのはオリジナルの作者だろうが、オリジナルの作者は利害に無関係ではないので、結局はだれか別の人物が必要になる。ただし、オリジナルの作者が自分の名前にちなんだ名前をソフトウェアに付けていた場合は(実は私もそうしている)、その人自身がクレジットの調停者になってもよいだろう。なぜなら、彼らはクレジットにおける自分の位置をあまり気にせずに済むからだ(私はいつも、一緒に仕事をしている他のプログラマたちに、自分の労力に見合った代償がほしいならばLinusや私のように自分の名前をソフトウェアに付けるべし、と勧めている。ソフトウェアに自分の名前を付けるのは、作者のクレジットを示す最も有効な手段である。実際、ReiserFSの各パーツには、将来のプログラマたちの名前がいろいろ付けられている)。

Free Software Foundationはようやく、適切なクレジットの付与について動き始めたところである。GPL V3への布石として、Free Software FoundationはそれをGNU Free Document Licenseに移行した。 GFDL は、作者のクレジットと政治的声明を削除できないようにするものである。

これは正しい方向への一歩であるが、クレジットを目に見えるようにするという点についてはどうだろうか。GPL V3はソースコード内のクレジットを保護するだけであり、マーケッターのクレジットではなく作者のクレジットを実際にユーザに見えるようにすることを保証していないようだ。つまり、これは99%無意味である。ReiserFSのソースコードを見たことがある人は全部で100人もいないだろう。この100人という数字は重要ではあるが、一般大衆の99%に比べれば、その重要性はたかが知れている。私が知る限り、我々への資金提供の決断権を握っているような人物は、ソースコードなど読んだこともない人々ばかりなのだ。

ソースコード内のクレジットを保護するだけでは不十分である。この意見に同意してくれる人は、盗作に対する有効な保護対策を盛り込むようGPL V3の作成者に働きかけるのに力を貸してほしい。もしもそうならなかった場合には、反盗作ライセンスの必要性についてコミュニティを説得するつもりである。

残念ながら、ソフトウェアに作者のクレジットを含めたがらない人々もいる。たとえばDebianは、GFDLに対する抵抗勢力の筆頭であるように見える。しかし、よりよいソフトウェアを求めるならば、この枷を受け入れる必要があるだろう。読者の皆さんはどうお考えだろうか。

私は、GNU/Linuxのディストリビューションボックスの外部にだれの名前をどのように記載するかは調停者が決定するべきだと考えている。GNU/Linuxのボックスには、Richard Stallmanの名前が作者としていっさい書かれていない。これは、彼の名前を出してもマインドシェアの拡張にはつながらないとディストリビュータが判断したからであるが、それは大きな間違いである。私は、Stallmanの社会経済学には必ずしも賛成していないが、彼の声が彼のコードとリーダーシップにおける貢献に及びもつかない背広組によってかき消されることには反発している。私と同じ気持ちの人も多いのではないだろうか。

Hans Reiser:Reiser FileSystemの設計者。 namesys の設立者でもある。