ウクライナにおけるオープンソースとMicrosoftの戦い
ただし、この法案は、正当なプロプライエタリソフトウェアに対しては競争の機会を十分に残している。この法案では、オープンソース製品とプロプライエタリ製品の機能が同等であるときにはオープンソース製品を優先するよう求めているが、オープンソース製品の方が高価である場合には、プロプライエタリ製品の使用を認めている。
このオープンソース法案には、ウクライナの法的機関の言語に翻訳されたオープンソースのOSI定義のほとんどが含まれている。また、公的機関が開発したソースコードはすべてオープンな性質を持ち、国家安全保障の要件によってのみ制約を受けると明記されている。さらに、この法案はソフトウェアに限ったものではない。同法案の重要なポイントは、公的機関にオープンスタンダードを取り入れるよう求めていることだ。また別の条項では、公的機関に対して、国家安全保障の観点からふさわしくない場合を除いては、開発中のソフトウェアのソースコードを公開するよう求めている。
オープンソースポリシーに関連する社会的・経済的問題
このオープンソース法案は、ソフトウェアだけの問題ではなく、ウクライナ経済の健全な発展にとっても重要な問題である。現在、ウクライナで使用されている100万台あまりのコンピュータのうち90%以上が海賊版ソフトウェアを実行している。これらのコンピュータにインストールされているソフトウェアの平均価格を1本あたり少なくとも1000ドルと考えた場合、このすべてのプロプライエタリソフトウェアを正規ライセンスで実行するために必要な金額は何十億ドルにも上る。
さらに、ウクライナ国内だけでは収まらない問題もある。特に、ウクライナはEUへの加盟意思を表明しているため、プロプライエタリソフトウェアの使用状況を是正して、知的所有権の侵害者という汚名を晴らす必要がある。しかし、このような動きは国家財政に大きな負担をかけるおそれがある。ウクライナのシンクタンク、Centre for Constitutional Studiesの試算によると、現在の政府機関および民間機関のプロプライエタリソフトウェアの使用状況を是正するための総費用は5230億ドルにも及ぶということだ。この費用には、海賊版防止キャンペーンの費用とライセンス料金の両方が含まれている。2005年のウクライナの国家予算が1000億ドル強であることを考えると、問題の大きさがよくわかるだろう。
このオープンソース法案の支持者は、当然ながら、外国製のプロプライエタリソフトウェアのライセンス料金などに予算を費やすよりも、国内のIT企業に投資した方がよいと主張している。この主張が理にかなっていることは明白だ。とりわけ、Microsoftライセンスを入手するということの潜在的な重荷を考えれば、この主張にうなずかざるを得ない。
ウクライナでなぜ海賊版ソフトウェアが横行し、これほど深刻な問題になったのかを探るために、平均的なウクライナ国民の所得水準を考えてみよう。ウクライナの首都では、月給500ドルと言えば高給取りと見なされる。地方都市ならば、この数値は200〜300ドルまで低下する。つまり、ウクライナ国民には正規のプロプライエタリソフトウェアを購入するだけの余裕がないのである。最近までは、やむを得ず海賊版を選ぶしかなかったのだが、今ではオープンソースに切り替える人も出てきている。
政府機関についても同じことが言える。市民の社会状況を向上させるという重要課題のことを考えると、この国家予算の規模で、ソフトウェアの正規ライセンスを購入するのに何十億ドルもの予算をつぎ込むわけにはいかない。
海賊版ソフトウェアのベンダに厳しい制裁を課すだけで、それに代わる何かを提示しなければ、何千人というウクライナ国民が失業者名簿に加わることになる。さらに、その影響がウクライナ経済全体に広がっていくおそれもある。海賊版ソフトウェアの需要が減少すれば、その周辺産業(CD書き込み業者など)にも影響が及び、ただでさえ難しい状況をより悪化させてしまう。
オープンソースソフトウェアに切り替えれば、中国やブラジルでそうだったように、著作権違反が大幅に減少するばかりか、ソフトウェア業界の新規雇用の創出にもつながる。これはウクライナ政府の優先的な社会政策にも一致している。
帝国の逆襲
Microsoftは、このようなオープンソース思想への流れに敏感に反応し、ウクライナ文部省との協定を発表した。同省は、2006年の終わりまでに120,000本のMicrosoft Windowsライセンスと120,000本のMicrosoft Officeライセンスを購入することに同意したのだ。
当然ながら、この発表は物議をかもした。中でも重要だったのは、今日では幅広い種類のオープンソースソフトウェアがウクライナ語で提供されているのに、なぜ今さら、お粗末なローカライズしかされていないソフトウェアに何百万ドルも支払わなければらないのかという疑問である。
また、透明性という点でも問題がある。この協定の署名日付は5月1日だったのに、発表されたのは5月20日過ぎだった。それも、ウクライナのMicrosoft代理店からのプレスリリースという形で発表があっただけだ。さらに、この協定書のコピーは、同代理店が運営するWebサイト(www.legalgovernment.org)でのみ公開されている。
このMicrosoftの協定は、ウクライナ政府の独占禁止委員会の関心を引いたはずである。これはMicrosoftの長期的な独占体制を形成するだけでなく、サービス提供者の数をウクライナの9つのMicrosoft公式代理店に制限するものだからだ。
このMicrosoftと文部省の水面下の交渉は、ウクライナのオープンソースコミュニティに不安を与えている。前述のオープンソース法案は、オープンソースソフトウェアにMicrosoft協定よりも強固な法的地位を与えてくれるはずだが、まだ正式に採択されたわけではない。オープンソース法案は過去にウクライナ議会に2回提出されているが、いずれもMicrosoftのロビイストの活動により採択を阻まれたのである。
文部省との協定によると、Microsoftはかなりの割り戻しをすることになっている。私はWindowsが国家機関に提供されるときの割り戻し金額を調べようとしたが、Microsoftの代理店は、この種の情報は面談でなければ教えられないと答えるだけだった。私の要求に対して彼らが提示した唯一の情報は、Windows XPの価格が150ドルを切ることはないということだ。
先のオレンジ革命で示された指針は、政府機関の行動は国民の目にさらされていなければならない、というものだ。多くのオープンソース支持者にとっては、ウクライナ政府のIT政策はいまだ不透明に感じられ、崩壊したクチマ政権を思い起こさせる。
ロビイスト・官僚 VS オープンソース
ウクライナのオープンソースコミュニティから見れば問題は明白だが、この問題についての官僚側の見解は異なるようだ。ほとんどの官僚の管理スタイルはソ連時代に培ったものなので、彼らの理解では、今でもコンピュータと言えば「Wintel」を指している。ソ連時代から現在のウクライナ官僚に引き継がれているもう1つの特質は、知的所有権を尊重しようという意識がまったくないこと、つまり複製についての抵抗感がまったくないことである。たとえば、官庁で使用されているコンピュータの実に90%以上が海賊版ソフトウェアを実行しているのだ。その一方で、世界各国からの批判をかわすために、ソフトウェアの不正複製に対する制裁措置を定期的に実施し、何百枚もの海賊版CDを破壊するというパフォーマンスを行っている。
かつてはビジネス界でも知的所有権に対して同様の態度がはびこっていたが、「マスクショー」と呼ばれる立ち入り検査(海賊版ソフトウェアをインストールしているすべてのコンピュータを没収するというソフトウェア適法性チェック)のおかげで状況は改善された。今では2004年ほど一般的には行われていないが、マスクショーは海賊版ソフトウェアを使用しているウクライナ企業にとって今も脅威である。
ウクライナ官僚の多くは、自分をとりまくIT世界の変化に恐れを抱いている。なぜなら、彼らは現在の発展速度についていけていないからだ。そのため、オープンソースソフトウェアを優先的に選択する法案が法制化されたら、若い競争相手に負けて職を失うだろうと信じ込んでいる。
しかしながら、Microsoftがウクライナのオープンソース法案に対して熱心なロビイ活動を展開したという証拠はない。本稿で述べた事実は、単に政府の非効率的な調達方針の結果であると解釈することもできる。しかし、ITに携わる行政官が、「Microsoft solutions for government」と書かれたCDを定期的に受け取っていることもまた事実だ。おそらく、それはただのマーケティングの一環なのだろう。だが、オープンソース法案の採択に反対する一部の議会文書の中に、Microsoftの公式サイトから直接引っぱってきたテキストが含まれていることについてはどう説明したらいいのだろうか。
オープンソース法案を提起し、ウクライナ官僚にLinuxを使わせようと努力しているBorys Olijnyk議員とMykhajlo Syrota議員は、ウクライナの政治勢力分布で言えば左派にあたる。Syrota議員は、1996年のウクライナ憲法の「生みの親」の1人でもある。Syrota議員とOlijnyk議員は、今度はこの国のITに対する見方を大きく変える流れの生みの親になろうとしている。
原文