Open Source Way 2004、2日目レポート

昨日に引き続き、パシフィコ横浜会議センターにて開催された、OPEN SOURCE WAY 2004(VA Linux Systems Japan社主催)のレポートをお届けする。OPEN SOURCE WAYは、今年で3回目となるセミナーで、主としてソフトウェア選択決定権を持つ技術者あるいは経営者にフォーカスし、オープンソースの動向に関してビジネスイニシアチブやオピニオンを司る各界の人々を講演者に招聘している。最終日となる2日目(12月1日)は、「知的財産権とオープンソース」をテーマに、ライセンスや開発体制が語られた。

本日はマイクロソフト社による日本初のオープンソースに関する発表があったこともあり、会場はほぼ満席となった。また、昨日は聴衆層があまり明瞭でなく、講演者に対する反応も薄かったが、比較すると本日は講演全体を通して聴衆の反応が良く、活発な質疑応答も見られた。

本日行われた6つの講演のうち、特に印象深かった3つの講演を本記事でレポートする。残る「オープンソースプロジェクトマネージメント」(凸版印刷株式会社Eビジネス推進部 IT開発部 野首貴嗣氏)、「ソフトウェア等の提供者の法的責任〜ファイルローグ事件とWinny事件を題材に〜」(東京平河法律事務所 小倉秀夫氏)、「クリエイティブ・コモンズ、ライセンス解説」(一橋大学大学院社会学研究科 福島 直央氏)および昨日のうちレポートしていない3つの講演については、後日改めてレポートにまとめる予定だ。

オープンソースにおける定義とライセンスの重要性

昨日同様、本日もGNUプロジェクトなどで活躍する八田真行氏の講演からはじ まった。八田氏は、まず、オープンソースに関わる開発者たちの主要な動機を、「自分 の得になるから」と述べる。オープンソース擁護者の中には利他主義や世界革 命(あるいは共産主義)といった思想をそこに見出そうとする者たちもいるが、 そのような思想がなくても、オープンソースという仕組みは成立し得るという。

そして、ソフトウェアにおける関心対象は、ユーザー、開発者、頒布者(ディ ストリビュータ)というそれぞれの立場によって異なると語る。すなわち、ユー ザーはソフトウェアを利用する対象と見なし、実行形式(オブジェクトコード) の複製、商用利用をできるかどうかが重要な関心事となる。開発者はソフトウェ アを開発する対象と見なし、ソースコードの再利用性、二次利用性に注目する。 頒布者はソフトウェアを頒布の対象と見なし、不特定多数への配布が可能か、 配布手数料を徴収してもよいかという点を重視する。

ソフトウェアは無体物の知的財産であり、プログラムを書いた時点で発生する 著作権によって著作権者(通常は作者)は権利を自動的に保護されている。著作 権法(実際は各種の権利の束を総称したもの)によれば、明確な許諾がない限り、 第三者が勝手に著作物を利用することは禁止されている。この権利利用許諾を 表したものがすなわち「ライセンス」というわけだ。ただ、八田氏は、プログ ラムは著作権で考えるよりも特許権のほうが望ましいのではないかと私見とし て述べた。

オープンソースについての概説を簡単に済ませたあと、ソースをただ公開する だけで品質がよくなるわけではなく、それを改良したりしようとしたときに障 害がある(オープンソース準拠ライセンスではないもの)のでは開発者にとって 魅力がないと八田氏は言う。また、海外から輸入されたその定義が気にいらな いからといって「日本独自のオープンソース」や「私はこう思うオープンソー ス」、あるいは「平和利用に限定」、「改変版の発表時には事前に著作権者の 承諾が必要」といったいびつあるいは曖昧な概念を持ち込もうとする動きにも 釘を刺した(もちろんどのようなライセンスを選ぶかは著作権者の自由だが)。

次に八田氏は、再び3つの立場から、オープンソースのインセンティブを考え ていく。まず、ユーザーは、TCO削減が大きなインセンティブとなっている。 ライセンス料が減っても結局のところコンサルティング料などが代わりに上昇 するなどで劇的に変化するとは考え難いと前置きしつつ、適正コストになるの ではないかと期待する。開発者は、開発しやすい環境を入手でき、改変したも のを公開できるという保証がインセンティブになっているとする。そして頒布 者は、普及させること、不確実性がなくなることがインセンティブであるとす る(このせいもあり、頒布を不自由にするようなライセンスをオープンソースの定義適用範囲から排除することは重要だと八田氏は述べた)。ところで、オー プンソースの定義では、特許に関しては何も規定しておらず、特許について明 確に付記されているライセンス文もそれほど存在しない。GNU GPLv2ではやは り明確な規定はないが、現在レビュー段階にあるGNU GPLv3では特許の行使を 禁止する条文が存在し、おそらくこれは著作権者に受け入れられないのではな いかと八田氏は語った。

オープンソースの定義に準拠したライセンスとしては、GNU GPL、BSDライセン ス、QPLなど種々存在するが、ライセンス間の矛盾(インコンパティビリティ、 混合可能かどうか)に注意するよう八田氏は述べた(たとえば旧BSDライセンス の宣伝条項とGNU GPLの頒布に関わる制限の追記の禁止条項)。また、ライセン スに技術依存した情報を含めることも再利用性に問題を生じる恐れがあること から、適切ではないと述べる(たとえば、「URLに置くように」というライセン スの場合、10年後にはURLという概念が消失しているかもしれない)。さらに、 ほとんどのライセンスが米国法制度に基づいたものであり、国内法と衝突する 懸念があるということも加えた。ただいずれにしても、オープンソースは著作 権を否定しておらず、むしろそれに立脚しており、著作権がなければ強制力が 働かず無意味であると強調する。

続いて、八田氏は、企業がなぜオープンソースへと転向していったかを考察す る。その理由の1つとして、マイクロソフト社が市場を独占し、競合製品を開 発していた各社を排除してしまったからだと述べた。IBMをはじめ、現在オー プンソースを推進している企業はいずれもマイクロソフト社に市場を奪われた 者たちで、市場の競争ルールを変えるためにオープンソースにコミットしてい ると説く。また、ソフトウェア単体で利益を上げられなくなったとき、企業の 知的財産の活用を考えたり、あるいは単に社会のより優秀な人材に期待して、 自社製品をオープンソース化するという手段を取った企業もある(Netscape社 のMozilla、IBM社のEclipse、Real社のReal Playerなど)。そして、市場シェ アを握っているマイクロソフト社は、Windowsの古いバージョンを、サポート を続けるよりもオープンソース化したほうがよいのではないかと述べた。

さらに、ソフトウェア特許を挙げ、先行特許の検索性が悪いことが開発者にとっ ての悩みの種であると八田氏は述べた。とはいえ、特許を書くことが人事査定 基準となっていることがあるように、特許自体はすでに企業文化の中で定着し ているため、特許制度をなくしてしまうと影響が大きい。特許は誰のためのも のであろうか。特許を書くために開発すること、既存特許に抵触することを恐 れてイノベーションが失われることの2つのジレンマがそこにはある、と言う。

最後に、ライセンスを考えるとき、属人的な「信用」ではなく、システム的な 「信頼」のほうが望ましいと八田氏は語った。人の意識・常識に依存したもの よりも、明文化され、利用範囲が規定されているほうが、特に世界の人々を取 り込んでいく上で重要であるとする。また、オープンソースに対して過度の思 い入れを避けるよう述べ、単なる方法論に過ぎないと強調した。そして、その 方法論であるオープンソースの世界にマイクロソフトが足を踏み入れようとい うのは良い考えだと述べ、次のセッションへとつなげつつ、話を結んだ。

オープンソースソフトウェアと商用ソフトウェア

日本のオープンソース関連イベントの中で、マイクロソフト社がオープンソー スについての講演をするのは、おそらくこれが最初ではないだろうか。本日2 つ目のセッションで語ったのは、マイクロソフト株式会社執行役法務・政策企 画統括本部長を務める平野高志氏。

過去のOpen Source Wayにも参加するなど、オープンソースやそれを取り巻く 状況にも関心の深い平野氏は、先日の同セミナーで講演した久米氏の講演内容 について、「オープンソースとマイクロソフト社という対立軸を相変わらず描 いている」とやんわり皮肉った。そして、昔の対立的立場から、マイクロソフ ト社はシェアードソースやSourceForge.netを使ったアプリケーション開発な どの「オープンソース的なこと」をしはじめていると述べ、オープンソースと の共存の道で話し合いたいと語った。

そして、オープンソースと共存していく上での課題として、知的財産の扱いを 挙げる。マイクロソフト社では知的財産を特に重要視しており、1) 顧客要求 段階で商標を検討、2) デザインと仕様段階で特許の確保あるいはライセンス の取得、3) コードへの実装と検証の段階で著作権を取得(これは自動的)し、 また関係機関に登録したほうがよいものは登録、4)リリース段階でEULAライセ ンスというように、知的財産とその権利の確保に留意していると述べた。

また、顧客を知的財産紛争から保護するための補償制度も整備していると胸を 張る。現在、Sun対Kodakあるいはマイクロソフト対InterTrustのように特許訴 訟は増加しており、和解金額も膨大である。特にマイクロソフト社は金を引き 出しやすいと思われており、今後とも同社がこのような訴訟に巻き込まれるリ スクは高い。このような著作権、営業秘密、商標、特許に関する訴訟に万が一 顧客が巻き込まれたとき、マイクロソフト社はその裁判費用、賠償額などを補 償するという(2003年以前はボリュームライセンス顧客だけであったが、現在 は組み込み製品を除くすべての製品で補償)。

Novell社、HP社、RedHat社、IBM社などのLinux推進企業と目される企業の補償 制度と比較して、マイクロソフト社の補償制度は充実していると平野氏は述べ た。ただ、実際にはそのような顧客対象の訴訟が発生すること自体考えにくく、 絵に描いた餅ではないのかという質問に対しては、実際のところ米国・日本双 方においても実績がないと答えるに留まった。

「著作権は強いようで弱い」と述べる平野氏は、年間4,000近くの特許を生み 出しているマイクロソフト社の特許方針について、特許は知的財産の中心であ り、重要であるとする。そして、その特許の使用方針として、抱え込むことな く必要とする他社には商業上合理的なライセンスと産業界標準の価格で供与し ていること、高等教育機関やSDK、あるいは一定の標準機関には無償で供与し ていることを明言した。供与の例として、FATやClearType、XMLやスキーマ、 それにいくつかのサーバプロトコルといった特許を平野氏は挙げた。また、 OEMベンダーとはクロスライセンスによって良い関係を築いているとも述べた。

平野氏は、ソフトウェアを2つのコンポーネントであると考える。すなわち、 「コード、ドキュメント、製品サポート、補償」というコンポーネントと、 「提供を受けた製品を使用することについての知財権」というコンポーネント である。マイクロソフト社をはじめとする企業は、(先日八田氏らが述べたよ うな)ライセンスビジネスを止めることはないと言い、1つのソフトウェアを1 台のコンピュータで利用するという想定の上で、それを販売台数で乗算し、税 金や経費を引いたものを次の開発資金とするというモデルの中では、一定の法 的保護こそが研究開発の要であると述べる。そして、商用ソフトウェアの世界 では確立されたそのような知的財産制度が存在し、技術革新が可能となってい ると強調した。

続いて平野氏は、オープンソースを「出発点が違う」と形容した。オープンソー スは特許取得に金を出す必要のない大学に起源を有し、経済原理に基くもので はないと言う。オープンソースも商用ソフトウェアもすでに世に存在し、簡単 に消失するものではないと平野氏は述べつつ、ビジネスモデルや知的財産権を 含めた同一のルールを共有することが連携の条件だと語った。そして今後のオー プンソース側の課題として、オープンソースソフトウェア製品では知的財産権 の調査と検討が不十分なこと、特許否定と映りまた特許侵害を招きかねない GNU GPLの存在を挙げた。

最後に平野氏は、公的ミッションを持った会社として企業の社会的責任を超え た責務がマイクロソフト社にはあるとし、GNU GPLについても真剣に考えてい くと述べて講演を終えた。

ソフトウェア特許の過去、現在、未来

会場を大いに沸かせ、また2日間を通して記者が最も講演内容に深く興味をお ぼえたのが、中央大学理工学部経営システム工学科教授の今野浩氏だ。

今野氏はまず、ちょっとした昔話――アルゴリズムとソフトウェアがはじ めて特許になった「カーマーカー特許」と、初のビジネスモデル特許(ビジネ ス方法特許)である「ハブアンドスポーク特許」を取り上げ、これらが自身に とって「2つの大怪我」と形容した。特にカーマーカー特許は氏が1998年に日 本の東京高裁で無効審判訴訟を開始し、2002年に敗訴したことで思い出深い。

次に知的財産権保護強化戦略について、米国のカーター政権にはじまりレーガ ン政権で固まっていった知的財産権の歴史を紹介する。1981年のソフトウェア の著作権を認めると取れる判決、90年代の遺伝子特許、1998年のビジネスモデ ル特許、近年の医療方法特許と次々と知的財産権は強化され、いずれ言語特許、 情報特許と「なんでも特許」の時代がくると今野氏は予測する。

かたや日本においては、2002年の知的財産国家戦略会議における「知財立国」 宣言を旗印に、知財の保護を強化して途上国の追い上げをかわそうという行動 がはじまった。2004年の特許法改正、2005年には司法界の反対を受けつつ自民 党・産業界の強い圧力で知財高等裁判所を設立予定と、着実にその動きは進め られている。なお、この知財高等裁判所は、技術を専門に扱う独立した高等裁 判所であり、技術に詳しい専門家多数も裁判官と一緒に紛争処理に当たるが、 裁判官が専門家の意見を採用するかどうかは胸三寸で、専門家は結局これまで どおり下働きにすぎないと今野氏は冷めた目で見る。とはいえ、知的財産の保 護の強化自体は正しいと今野氏は述べ、ソフトウェア特許が問題なのだと語っ た。

再び米国に目を向け、ソフトウェア特許の流れを見ていくと、1966年の大統領 特別委員会ですでに現在論評されているようなソフトウェア特許の問題点はす べて挙げられていた。また、1983年のOTAレポート「Finding a Balance」、 2004年のFTCレポート「To Promote Innovation」では、いずれもソフトウェア 特許についてはネガティブなトーンで一貫している。特に後者のレポートでは、 「ソフトウェア特許、遺伝子などに特許網を広げてきたが、ソフトウェア特許 は現状極めて憂う状態になっている。年3万ずつ出現するつまらない小さな特 許が特許の薮(やぶ)を作り、ソフトウェア開発を阻害しはじめている。ソフト ウェア特許を持っている企業は大電気メーカー・有名ソフトウェアメーカーに 握られ、普通のソフトウェア企業が取っているのではない。特許取得のために 費された浪費(本来ソフトウェア開発に投じるべき金)は1兆円を超えている」 と強い調子で説明しているという。ただ、特許推進の流れは強固で、そのスタ ンスを変えるのは容易なことではない。

特許侵害はごく一部の世界の問題ではなくなってきている。2002年の米国のデュー ク大学事件マデー判決では、特許の主張の検証が特許法に触れないというそれ までの慣例に冷や水を浴びせることになった。「単なる気晴らしか、閑暇にま かせて好奇心を満足させるためか、あるいは純粋に哲学的探究のみを目的とし ているのではない場合」には試験研究の例外と認められず、「特定の機関や施 設が商業的な利益の増進に関わっているか否かは問題ではない」とする判決は、 有力20大学学長の連名を最高裁に提出したことでも覆らなかったという。そし て、日本も例外ではない。2004年9月、特許庁見解でマデー判決を原則として 支持したことで、大学研究者が同様の事態への対応を考えるべきときがきてい ると今野氏は語る。

特許拡大の影響を受ける技術者を見たとき、遺伝子特許の影響を受けるバイオ 関連の技術者が深刻な議論を進めているのに対し、ソフトウェア特許の影響を 受けるソフトウェア技術者が無関心という現状に今野氏は警鐘を鳴らす(ヨー ロッパにおいてはFFIIという技術者連帯団体が、イギリス・米国による特許戦 略案の通過を1度は阻止し、現在は30万人を集めて2度目の阻止を図っている)。

たとえ今問題がなくても、ソフトウェア特許が本当に問題となり、あなたの足 元に絡みついてきたときにどうするのか。投資した金は必ず回収しにくるとき が来る。聴衆にそう質問を投げかけて、今野氏は講演を結んだ。