Open Source Way 2004初日レポート
OPEN SOURCE WAYは、今年で3回目となるセミナーで、主としてソフトウェア選 択決定権を持つ技術者あるいは経営者にフォーカスし、オープンソースの動向 に関してビジネスイニシアチブやオピニオンを司る各界の人々を講演者に招聘 している。
初日(11月30日)は、「日本とアジアのオープンソース推進」をテーマに、各国 の政策、状況、企業戦略が語られた。
セッションのうち、「OSSがIT産業に与えるインパクトと経済産業省の取組」 (経済産業省商務情報政策局情報処理振興課課長補佐 久米 孝氏)、「日 本OSS推進フォーラムの取組みと日中韓連携について」(株式会社NTTデー タ取締役ビジネス開発事業本部本部長 山田 伸一氏)、「情報システム ユーザとしてOSSへの期待と展望」(総務省情報通信政策局情報セキュリ ティ対策室 高村 信氏) については取材に訪れたマスメディアの数も多かったことから、詳細なレポー トが他メディアで掲載されることは確実だろう。本記事では、あまりフォー カスはされないものの、興味深い残り3つのセッションについてレポー トしよう。
オープンソースにおけるアジア及び官民協調
八田氏は、オープンソースを説明する上でまず歴史の端緒に戻り、伽藍モデル (少数精鋭と綿密な計画に基づく開発モデル; GNUプロジェクトなど)とバザー ルモデル(多数による自由な参加による開発モデル; Linuxなど)を対比した上 で、「オープンソース」とは法的な状態を表すものであり、伽藍やバザールの ような開発形態とは別に考えるべきであると明言した(もちろん、インターネッ トで不特定多数の人々と協業できるバザールモデルのほうが、オープンソース に適合しやすいということはあるが)。さらに加えて、(意識的、無意識的によ らず)オープンソースに対してよくある批評、すなわち「オープンソースはそ のタームが生まれる前、昔のUNIX文化にもあった」に対し、「過去との連続性 という意味ではそうとも言えるが、名前を付けて定義を与えたというところに 非連続性がある」と答える。
講演タイトルでもあるアジアの状況については、詳しくはないと前置きしつつ も、各国の発想の部分での温度差を懸念し、韓国・中国との協業が成功するか どうかについては疑念を表した。また、国策としてのオープンソース振興につ いては、リスク分散・安全保証・調達側の選択肢の増加などのメリットを上げ、 規格化や標準化の作業、教育、それにオープンソースとして供給されにくい分 野(フォントなど)への働きかけを期待することとして挙げた。
そして、八田氏は、たとえオープンソース(特にデスクトップアプリケーショ ン)がまだ未熟であるとしても、前述の理由と同様に公共部門ではオープンソー スを採用すべきであると強調する。と同時に、常に費用対効果を念頭に置くよ う警告する。関係者を前に、住基ネットの基幹をオープンソースにするよう提 案し、返す刀でIPAの「未踏ソフトウェア」の評価方法を改善すべきであり、 また企業などに直接資金投資するのは「rent-seeking(利権狙い)」が出没して 失敗しやすいと語った。また、オープンソース自体の振興よりも開発者の技術 力・コミュニケーション力の向上のほうが重要であり、アジアとの連携でよく 持ち出される目標設定についても「カーネルコードのNパーセントのコミット」 といった数値目標は無意味であると切って捨てた。
オープンソースと企業の関わり方について、現在のオープンソースへの企業の コミットを、既存のライセンスビジネスの行き詰まりの体現と八田氏は見る。 たとえば、音楽や書籍に目を向けると、インターネットの普及により、デジタ ルデータが容易に(ほぼコスト0で)コピーされるのに対し、DRMなどを使ったそ のモニタリング・制限は特許利用料などのコストが増大してしまい、困難な状 況に陥っている。ソフトウェア産業については、ほかの収益源――ノウハウや ソリューションといった方向へのビジネスへの転換が進みつつあると語る。さ らに、ユーザーと頒布者という要素に比べ、実際に開発を担う開発者は、企業 がオープンソースへ関わるときの要素として見過されがちだと八田氏は述べた。 企業に属しながら自由に外部プロジェクトでの開発作業が許されるという環境 は、米国Googleなど欧米では比較的許容されているが、日本では外部活動を禁 止することさえあるという。
また、ビジネス向きではないと批判されがちなGNUプロジェクトのコピーレフ ト(コピーレフトは思想であり、ライセンス実装の代表例としてはGNU GPLなど) を、八田氏は「対象となるソースコードの公開が約束され、フリーライダー (ただ乗り)を抑止でき、普及をより促進できる。ソリューションやコンサルティ ングのビジネスにおいてはコピーレフトが有効である」と擁護した。
今後の展望については、オープンソースの普及により、IT業界全体のパイは縮 小するであろうと八田氏は予測する。ただ、IT業界のアウトソーシング・脅威 としてよく持ち出される中国、インドなどの諸外国はコードを書くことはでき ても、ソリューションビジネスはその国や企業事情に精通していなければ不可 能であり、それほど脅威ではないと断言する。そして、”ハッカー”的気質を持 つ開発者と、一般的指向の人々を仲介するのが新しい経営者の資質になるであ ろうと述べた。
最後に、オープンソースはその採用で即バラ色というわけではないが、納税者・ 調達者の双方にメリットがあり、企業にとっても行き詰まりつつビジネスモデ ルから違う形態への突破口になり得ると締めくくった。
ベンチャー・キャピタリストの目から見たOpen Source
マイナー氏は、1997年のVCからCygnusへの投資を大きな事件として挙げる。知 られている限り、VCからオープンソースソフトウェア企業への投資としてはこ れが最初であり、極めて冒険的なことであった。その後、1998年のオープンソー スブームにはじまるITバブルに乗り、オープンソースソフトウェア企業への投 資は次々と行われる(そしてほとんどが失敗した)。また、Web ASPとして名を 知られている「Zope」は、当初プロプライエタリであったが、VCの要請でオー プンソースに変えたという裏話も披露された。
マイナー氏は、最初の2年でその企業の今後の状況がほぼわかると言う。早期 のビジョンを保持してうまくいくパターン(OracleやRed Hatなど)、早期のビ ジョンを保持しようとしたがうまくいかずブランドを普及できずに失速するパ ターン(Cobalt)、そして環境に反応して柔軟にビジネスを変え存続するパター ン(VAなど)がある。
会場の反応を確かめて、マイナー氏はVCの役割を簡単に紹介した。確実に返還 できる人・企業にしか貸さない銀行に対し、VCは「成功しそうな」企業に投資 する。「満塁バッター」と呼ばれる成功した企業は、投資の10倍の価値を生む。 このような成功企業は、米国では1,000社のうち10社程度という。そして、投 資の条件としてはマーケットの成長状況のほか、人に関わる評価が大きく関係 する。Aクラスのアイデアよりも、Aクラスのチーム。これをマイナー氏は挙げ た。どれほどアイデアが良くても人が駄目であれば失敗に終わり、逆に人が良 ければ少々アイデアが悪くても検討に値する上、アイデアが駄目かどうかの見 極めもやってみてすぐわかるというわけだ。
さて、オープンソースソフトウェアプロジェクトへの投資にVCが目を向けたと き、いくつかの障害がある。通常、オープンソースソフトウェアプロジェクト はエンジニア中心だが、VCが評価対象にするのは技術ではなく、営業・管理・ 技術の総体的な組織であるとマイナー氏は述べる。さらに、ボランタリベース のプロジェクトの初期段階では開発費用がかからず、先行投資として必要なも のは「やる気」あるいはごく少額の金銭だけのため、投資投下単位の大きいVC がプロジェクトで必要とされることは少ないと語る。また、Firefoxを例に挙 げ、無償ダウンロード数は600万でも、それによって収録CDやTシャツの販売が 増えたという話は聞いたことがないと述べ、ビジネスとして成り立つかどうか について疑問を呈した。
このように、VCが直接オープンソースソフトウェアプロジェクトに直接投資す ることはほとんどないが、オープンソースソフトウェアを「利用」する企業に 間接的に投資することはあるだろうと述べた(マイナー氏も言うようにこれが オープンソースソフトウェアへの投資とは正確には言えないが)。また、サポー トビジネスは利益を比較的確実に得られるが、有能な人に依存するため、利益 率を大きくしようと組織を大きくするほど、利益確保が難しくなると述べ、VC はあまり好まないと語った。
マイナー氏は、数年前から「デュアルライセンス」に注目していると述べた。 JBoss、Sleepycat、Trolltech、MySQLなどの成長企業はデュアルライセンス (企業バージョンライセンスと、オープンソースバージョンライセンスの併用) を活用して売上げを伸ばしている。最近投資した12社のオープンソース企業の うち、半分以上がこのデュアルライセンスを採用しており、デュアルライセン スが利益とオープンソースコミュニティ発展をうまくバランスを取る方法の1 つと語る。
オープンソースの急速な発展の裏には、シリコンバレーのエコシステムの崩壊 があるとマイナー氏は見る。そして、日本型イノベーションが「カイゼン(改 善)」、米国型イノベーションが「革新」であるという一般の説に反論し、米 国IT業界の行ってきたことはメインフレームの小型化などの「カイゼン」であ ると語る。本当の革新は、1993年以前まで失敗続きだった日本の、1994年以降の商 品――携帯、デジタルペット、デジタルカメラなどのコンシューマには「コン ピュータ」と思われていないコンピュータ機器であるとする。
日本でのVCの投資額は米国に比べるとはるかに少なく(2000億円程度)、また返 還率もきわめて低い(3%程度)。しかし、堅固なビジネスモデルを打ち立てるこ とが可能なオープンソースプロジェクトであれば、米国のVCよりも日本のVCの ほうが投資する可能性が高いとマイナー氏は強調する。そして、今後のITの発 展系は、家電の中のLinuxなど、家電中心になっていくと予測し、日本生まれ のIT――ITと意識しなくてもよいライフスタイル、製品の提供を待望している と結んだ。
日本におけるオープンソースの幻想とVA Linux
佐渡氏は「日本においては、それほどオープンソースビジネスがうまくいって いるところはない」と始めた。2002年の経済産業省福田氏の「私の本音は“と にかくWindowsを使うな”ということだ」という政府関係者としてはおそらく 初の発言以降、日本におけるオープンソースを取り巻く事情は変わってきてい る。
しかし、全体として見ると、日本の特殊性が浮かび上がってくると佐渡氏は言 い、「OSS(オープンソースソフトウェア)ガラパゴス諸島」と呼称した。グロー バルスタンダードである英語の海に囲まれた中で断絶され、独自の文化、特性、 人間性を進化(あるいは退化)させているのが「ニッポン」という国だと言う。
日本は、利用者が多いにも関わらず、諸外国に比べて開発者の数が少なく、そ の開発者たちの平均年齢も10歳以上高い(FLOSS-JPなどの調べ)。人の新規参加 が少ないことから、いわば、伝統工芸や過疎化農村のようになりつつあるので はないかと佐渡氏は懸念する。また、企業のオープンソースソフトウェア開発 への参加により、企業内業務開発者は増えてはいるが、必ずしも彼らのスキル (特にオープンソースソフトウェア世界での情報収集能力やコミュニケーショ ン能力)が高いとは言えないと苦言を呈する。
さらに佐渡氏は、乱立するユーザコミュニティに疑問符を付ける。日本は世界 第2位のオープンソースソフトウェア利用大国であり、利用については非常に 関心が高いと語る。ユーザコミュニティによって情報が集まり、共有されるこ と自体は悪いことではない。しかし、往々にして実質的な開発グループとその ユーザコミュニティのあいだに接点がなく、結局情報の集積がユーザコミュニ ティのままで止まってしまったり、あるいは日本独自の分岐をしたために本来 開発元に提供されるべきコード貢献が果たされないという現状を佐渡氏は糾弾 する。また、接点がないことを悪用して何らかの利権を得ようとする輩に対し、 「fake open sourcer」(fakeを広めようとする人; 発案はオープンソース布教 活動で著名なBruce Perens氏)と非難した。
コミュニティの次は企業に目を向け、ライセンスモデルに限界を感じつつオー プンソースソフトウェアへの完全移行に伴う売上げの減少を恐れる企業が、中 途半端にオープンソースソフトウェアに手を出していると述べた。そして、 「タダでブームなので」というポーズだけの企業に振り回されないよう警告し た。
人材育成の面では、日本で技術のある人間を集めること自体は困難ではなく、 韓国や中国にはそう簡単には負けないと強く語る。一方で、組織外との付き合 い方(give & takeなど)を理解できていない企業が多いと言う。技術者が足り ないのではなく、ハッカー的資質の開発者と一般的資質の人とのあいだを仲介 する人間が足りてないのだ、とまとめた。
政府の施策にも佐渡氏は辛口のコメントを付ける。自由競争の促進のためにオー プンソースソフトウェアを推進しようという動きには賛同を表明するものの、 IPAのオープンソース基盤整備事業は単年度予算などの制限が多く、評価の仕 組みが不足しており、結果的に本当に良いものは何もできていないと述べた。 標準を採用し、仕様・規格・データを公開して、その実装を自由に行わせ、自 由に競争させることが重要ではないかと佐渡氏は注文する。
今、日本のオープンソース(ビジネス)は、個々の立場でそれぞれの皮算用を考 える段階から、そこから何ができるかという段階に現在移行しつつある。そし て、開発者を増やすためには、敷居を下げるよりも、「敷居を上げる」ことこ そ重要である――より高いハードルを次々と用意していくことで、真にグロー バルに通じる開発者が生まれると語る。日本で閉じずにそういった開発者が世 界に出ていくことで日本人全体の意識を高めることになるのではないか、と佐 渡氏は結び、講演を終えた。