FLOSSに新しい呼び名を
Free/Libre Open Source Softwareは、商用ソフトウェアに取って代わりうる存在だ。FLOSSのライセンスや開発モデルからは高品質のソフトウェアが生み出され、一般のエンドユーザがその恩恵をこうむることができる。にもかかわらずFLOSSは、シェアの面で商用のクローズドソース・ソフトウェアに大きく差をつけられている。エンドユーザ、特にソフトウェア開発に携わったことのないユーザはFLOSSになじみがないし、どんなものであるかも知らないのだ。
この原因としては、メディアで取り上げられる機会が少ないという点に加え、FLOSSを指す用語の分かりづらさもあるのではないかと私は考えている。「フリーソフトウェア」や「オープンソース」ソフトウェアという呼称は具体的でなく、エンドユーザが理解しやすいものではないからだ。
「フリーソフトウェア」は無料のソフトウェアであり、したがって商用ソフトウェアに比べて品質が劣ると誤解している人はあまりにも多い。「フリーソフトウェア」と聞いて、それが「自由」を意味する「フリー」だと考える人は少数派だろう。「フリーソフトウェア」という用語は、普及の助けにはならない。
一般のユーザにとって、「オープンソース」はいよいよ意味不明だ。「ソース」とは何かを知っているエンドユーザは少ない。なぜなら、彼らは「ソース」ではなくバイナリパッケージを使うからだ。エンドユーザはソースコードを見ることができるかどうかなど気にしないし、ソースに何らかの価値があるとは思いもよらないだろう。彼らにとって価値があるのは、PC上で仕事をこなしてくれるバイナリパッケージなのだ。
以上をかんがみると、「フリーソフトウェア」や「オープンソース」という名称が、FLOSSの普及に役立つとは考えにくい。むしろ、FLOSSの新しいユーザを混乱させかねない。エンドユーザが理解しやすい、具体的な呼び名が必要だ。
ソフトウェアのライセンス・モデルは、エンドユーザに直接関連する部分だ。ソフトウェアにおいて、その機能に次いで重要な要素だとも言える。ライセンスとはつまり、そのソフトウェアを利用するための条件にエンドユーザを縛り付けるものだ。ご存知のとおり、プロプライエタリ・ソフトウェアはエンドユーザに厳しい制限を課すのが普通だ。この点が、FLOSSとの大きな違いだ。FLOSSライセンスでは、そのソフトウェアを入手する人にも同じ権利を保証することを条件に、ソフトウェアを配布したり改変したりすることを認めている。若干GPL(General Public License:一般公衆利用許諾契約書)寄りの説明になってしまったが、この他のFLOSSライセンスも大意は同じだ。
ソフトウェアを自由にコピーおよび配布できる点は、エンドユーザへの大きなセールスポイントとなる。これは間違いなく、FLOSSの最大のメリットだ。FLOSSを使っている限り、エンドユーザはBSA(Business Software Alliance)を恐れる必要はない。ユーザの数にもPCの台数にも制限はないから、好きなだけ配ったり使ったりすることができる。友達に合法的にソフトウェアを配ることができるのは、多くのユーザにとって驚くべきことだろう。これに加えて、低コストで高品質とくれば、FLOSSは多くの新しいユーザを獲得できるに違いない。ただし、そのためには彼らが基本的なFLOSSの信条を理解してくれることが必要だ。
すでに述べたとおり、「フリーソフトウェア」と「オープンソース」という2つの呼び名は、エンドユーザをFLOSSに惹きつけるには役不足だ。これらはFLOSSの魅力や重要性をまったく表していない。一方、「寛大なライセンス」なら、エンドユーザも理解しやすい。ソフトウェアにライセンスがあることは誰もが知っているし、プロプライエタリ・ソフトウェアでは、1台のPCで使う以外の使い方がほとんど禁止されているということも知っている。FLOSSは、ほかのソフトウェアのライセンスよりもはるかに多くのことを許可しているので、「寛大なライセンスソフトウェア」といえる。一般的なユーザにとって一番重要なのは、FLOSSが「寛大なライセンス」であることなのだ。この呼び名は、世界中のほとんどのユーザが身を置いている、制限ソフトウェア(restrictive software)の世界と好対照をなしている。
「寛大なライセンス」および「寛大なライセンスソフトウェア」という用語は、「フリーソフトウェア」と「オープンソース」の二者間にある確執も解決してくれる。「寛大なライセンス」と「寛大なライセンスソフトウェア」は、FLOSSの性質を非常によく表している。「フリーソフトウェア」という語の背後にあるイデオロギーとも、「オープンソース」のメリット重視の側面とも無関係だ。誤解を恐れずに言えば、私は「寛大なライセンス」と「寛大なライセンスソフトウェア」という名称を採用すれば、この2つの派閥は和解できると考えている。なぜなら、寛大なライセンスソフトウェアは、「フリー」であると同時に「オープンソース」であるからだ。
私は単なる上級GNU/Linuxユーザにすぎないが、この記事が何かの役に立てば幸いだ。1人でも多くの人がこの記事を読んでくれること、そして、この記事の意義について議論してくれることを願っている。
(私自身はGNU/Linuxユーザだが、BSDやHURDなど、その他の寛大なライセンスOSの存在に深く感謝している。)
(c) Ronald Trip, Scharmer 2003 The Netherlands. このテキストは、この注意書きを削除しない限り、コピー、印刷、格納、配布自由。