資本から見たVA Linux:私がVA Linuxという舟に乗れる理由

今週も特にオープンソース界隈には大きな出来事がないようだ。ネタもないようなので内輪ネタにもなりかねないが、ニッポン放送株の話題がホットな時世でもあるので、それに関連して最近考えたことをネタにしよう。

私がVA Linuxに入社して以来、かなりの回数聞かれた質問がある。それは「佐渡さんってどれくらい株持ってるのですか?」ということだ。最初の頃は、大学に勤務していた私がわざわざベンチャー企業に入社するくらいだからそこそこのオプションでももらってるのだろう、という意味で聞かれてるのかと思っていたが、どうも純粋に私がVA Linuxの株を持っている立場かあるいは経営側として振る舞っているように見えるときも結構あるらしい。そんなこと言われても、実際には一株も持ってないし、立場も取締役でもない。役職は付いているが、資本の世界からみればただの従業員の一人に過ぎないわけである。

そんなのは私のキャラの問題だと言ってしまえばそれまでだが、何故私がそのように見えるのかを少し考えてみた。

まず、VA Linuxを資本からみた構造から考えてみよう。VA Linuxの株主は住友商事、NTTコムウェア、NTTデータといったところで、現在のところ住友商事が過半数を確保しているという状況である。つまり、VA Linuxは流行り言葉を拝借すれば、資本的には住友商事に支配されている、ということだ。で、その株主陣から任命された取締役会は、全員が株主各社から任命された取締役である。つまり、取締役会にはインサイダーがいなく、株主中心の経営がなされていると言える。

株主中心の経営がなされる企業では、普通は従業員の地位は高くはない。本来であれば私は単なる「手足」であって、取締役会という「頭脳」の思うがままに動かなければいけないわけである。

しかしながら、実際にはそうはなっていない。まあ会社が小さいうちはいろいろな形態があり得るもので、VA Linuxの場合は代表取締役社長の上田が、株主各社と従業員の間を橋渡しし(その場が取締役会)、そこで双方の調整を取りながら最高経営責任者と社長としての決定を行うという形態に実質なっている。

で、最初の私が経営側の人間に見えたりするという話につなげると、これは社内での役職的に会社の戦略的な部分な部分に関わることが多いことと、小さいながらも一つの事業を率いていることに加え、代表取締役社長の上田の決定に際して補佐的に動くこともあるからだろう。大きな会社であれば、このような立場は執行役員とも言えるわけで、確かにそれなら私も経営側にみえてもおかしくはない。

けど、まあ… まだ小さな会社なんだから、誰もが主役なだけなんだけどね。(VA Linuxが大きくなったときには、執行役員は本当にいないといけないなとは思うが、まあまだ先のことだ。)

ついでに言えば、私は会社というものは株主のものだと思っている。ただし、利害関係者、つまり従業員、顧客が共同体として存在していることも最大限に配慮しなければならない。株主の最大価値の追及もある程度はそれに配慮したものであるべきかなと思う。VA Linuxはまあこのあたりはいいバランスが取れているのではないかと思う。

そもそも私がVA Linuxに在籍しているのは、(私の内部基準では)特に大した待遇でもないわけだが、そのかわり株主が見ている方向と私が見ている方向が一致しないまでもある程度の部分で道程を一致させることができているからである。あまりはっきりとは書かないが、特に住友商事はVA Linuxのオープンソース市場に対する可能性について大きな夢(野望?)を持っているようには思う。まあ、総合商社というビジネスの形態はあらゆる何にでも手をつけておくのは基本であるのでVA Linuxもその一つの可能性に過ぎないわけだが、それでも住友商事はよくVA Linuxを注視していると思う。

私個人としては、VA Linuxはまず個々の開発者が主役となり、創造的な仕事をさせ、そして顧客にはパッケージではなく技術力を売り、グローバルな世界でも技術力なら通用する、まあそういった会社でありつつ、それでいて安定した持続的成長を続ける会社を作りたいと思っている。その手段としてオープンソースが欠かせないとも思っている。当たり前のことを書いているようにも見えるかもしれないが、実際これはかなり難しいことだ。

おそらく普通のVCが株主であればもっと成長のテンポを早めることを求められていただろうが、住友商事の場合はキャピタルゲインももちろん考えているとしても、純粋な事業の成長の可能性と既存の住商グループとのシナジーといったことも考えているように感じる。他に戦略的な面も何故か合わせやすいなとも感じているが、このあたりが、まあ私がその舟に乗りやすい根本でもあるわけである。

VA Linuxが成長し大きくなった時には、今の組織、資本体制も変えざるを得ない時が来るだろうし、私の考えとは違う方向を目指すかもしれない。まあ、その時はその時でまた同じ舟に乗れるかどうかを考えればいいことだが、そもそも私のような人間をVA Linuxが必要としない時も来るだろう。まあ、その時は会社を去るだけで、また新しいことを始めればいいだけだ。そもそも、たとえば私がオープンソースに飽きてしまって、もう全部ヤメという可能性も私も人間なのであるだろう。ただ、少なくとも現在のところは、私とVA Linuxの見ている方向は合わせることができている。つまり、私とVA Linuxは一体である。